書ダン御曹司と地味シンデレラ

第1話




「雪ちゃん雪ちゃん、これください」


 レジ台の向こうから、目をキラキラさせて可愛い男の子と女の子が二十枚入り半紙を差し伸べてきた。

 店員とお客という関係で仲良くなった子たち。


「はあい。今日はこれからお教室?」


 優しく声をかけながら手早く会計し、商品に店名の入ったテープのみを貼り付けて手渡す。

 いつも買ってくれるものだから、小さな彼らももう慣れたものだ。


「うん! 今日から六級の練習なんだ。ナナも。な?」

「ね? 一緒に級が上がれてよかったあ」


 はにかんで頷きあう様子を見れば、私の笑顔もさらに緩んだ。


 小学二年生だという彼らは幼馴染同士で、一緒に近くの書道教室にも通っているらしい。お教室や学校の授業で使う半紙や墨汁を求めてこの書画用品店によく来てくれる、常連さんだ。

 いつも一緒で仲がいい二人を見ていると私まで嬉しくなってくる。


 突然ゴホンと響いた女性の咳払いで、とろけそうだった気分が一気に現実に引き戻された。

 奥のレジカウンターのさらに向こうから、咳払いの発生源である店長に「ちょっと来て」という仕草で呼ばれる。


「子どもたちにいつまでも時間かけてないで。ほら周りちゃんと見て接客して。あなたももう二年目なんだから、いつまでも新人気分じゃ困るわよ」

「あ、はい……。すみません」


 小声ではあったが実に的確な指摘を受けてしまった。

 いけない、仕事仕事。気を引きしめないと。

 気分を切り替えて深呼吸すると、遠くから不安そうに眺めていた二人の子たちと目が合う。

 心配させないように笑顔で手を振り「気を付けて。がんばってね」と口パクで伝えると、彼らは安心したように手を振り返して店を後にした。


 入れ違いに年配の男性客が入ってきたので、よし丁度いい、と接客態勢に入ろうとする。

 ――と。

 あ、待って深見さん。と店長が動いた。


「あの先生はいいわ、私が行く。あなたはそれ三階まで運んで片付けて。あと書籍コーナーが乱雑になってたから整理もね。大急ぎで。はい動く!」

「は、はい」


 二回り以上年上のはずなのに店長の機動力、判断力はすごい。

 そんな彼女が駆け寄っていく男性客を見て、なるほど……と引きとめられた理由に合点がいく。


 頑固で気難しいと、従業員の間では逆の意味で評判の書家先生だった。

 時々来店されるが、確かにいつも空気そのものが怖いし謎だ。

 慣れてきたとはいえまだ二年目だし、荷が重いだろうという配慮なのだろう。何か失礼があったら大変、というのも確かにあるだろうが。


 でも後学のためにその難しい接客を見ておきたい気もした。――が。

 そうだ。まずは大急ぎでと頼まれた仕事をしないと。


 その時点で、焦って変に積み上げてしまっていたのかもしれない。

 在庫として倉庫への運搬を頼まれたのは、大量の大判下敷やら文鎮、筆洗など。

 店内用の買い物カゴを使ってはいたが、階段を上り始めたタイミングで最上部の筆洗にぐらりと崩落の気配。


 あっまずい落ちる!と理解はできたものの。

 塞がっている両手ではなす術もなく、瞬時にそれらすべてをどうにかできる運動神経も元から無い。

 確実に陶器が大破して飛び散るのを覚悟した。その時。


「……っと。セーフ」


 ガシャンという音の代わりに響いたのは、やわらかなテノールの声。

 そして見えたのは、後ろから伸びて哀れな筆洗をキャッチしてくれた手。

 振り返ると、見覚えがある男性のお客様だった。


「あ、ありがとうございます」


「通りすがってよかった」


 屈託のない笑顔でその男性は言う。

 年の頃は二十代半ば……私と同じくらいだろうか?

 確か少なくとも月に二、三度は来店されている方だ。


「またやらかしてしまうところでした。本当に助かりました」


「また……って、前にもそういうことが?」

「そうなんです……二度ほど」


 硯箱にヒビを入れ、梅皿を割ってしまったことがある。


「結構ドジっ娘さんなんだ? 深見さんは」


 クスクス笑いながらの男性に、おや、と思ったが。

 あ、制服のネームプレートを見たのか。わざわざ店員を名前で呼んでくれるなんて丁寧な人だな、と納得しておいた。


「けど、女の子一人で運ぶには大変じゃない? 半分手伝おうか?」

「いえお客様にそんな! 裏……えと、三階の倉庫までだし。いいんです大丈夫です。これも下っ端の仕事ですから」


「下っ端さん、えらいね。じゃせめて二階まで持つよ」


 言うが早いか重いカゴをひょいと奪って階段を上りだす。半分どころか全部になっているし。


「や……あの、お、お客様にそんな」

「いいのいいの。これくらい全然」


 ひぇー、こ、こんな場面見られたらまた怒られる。

 焦ってオタオタついていくだけの私をよそに、あっという間に三階へ続く階段に到着してしまった。


 とりあえず他の従業員に見られなくてよかった……。

 肩までの髪を揺らして、つい大きく安堵する。

 もうここで大丈夫です、すみません。いえいえ、またね、などとカゴの受け渡しをし、あらためてお礼を伝えてお別れした。

 いくら親切でも店舗の完全な裏側までお通しするわけにもいかない。


 一階へと戻り始める、頭一つ分くらい高い身長。短くラフに整えられた黒髪。

 腰にキーホルダーを付けたカーゴパンツと黒のブルゾンという後ろ姿を見送りながら、気さくな人だなあ……それでいて砕けすぎてもいなくて、などと考える。

 目を瞠るほどの二枚目というわけでもないけど、やわらかな笑顔がいいのかな? 丁寧だし。


 そんなことを思い返しているうちに、何やら気分が上向いてあっという間に片付けを終えてしまった。

 我ながらゲンキンな性格だな、とは思う。





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