第5話 採用
走りながらカメラを使って館内への侵入者の姿を捉える。どこにでも売っていそうな安物のラフな服装で目出し帽を被った男たちが両手に銃火器を構えて走っていた。先行した一人がクリアリングの後にハンドサインで後続を呼び寄せている。油断のならない手慣れた動き。
「直線距離にしてあと100mと少し。相手はサブマシンガンで武装してます」
「問題ない」
「それは心強い。じゃあ、まずは先頭の一人から」
細かい指示をするまでもなく田中がシャッターの手前の曲がり角に身を隠した。恵三は先頭の男が通り過ぎるタイミングを見計らって館内の非常システムを動作させる。
シャッターが下りる音に男が背後を慌てて振り返る。それと同時に曲がり角から飛び出した黒い影が、フロアタイルから跳びあがって壁を蹴り、頭上から男を急襲する。
機械化された田中の前足が相手に触れた瞬間、電撃が迸り通路が一瞬だけ青白く光った。
黒い犬の一撃に反応すらできなかった男が膝をつく。待ち伏せに気付いた残りの襲撃者たちはシャッターの下をくぐるのを諦め、その代わりに銃弾でシャッターを穴だらけにする。だが、その時にはすでに田中は恵三の足元まで戻ってきていた。
「使え」
田中が口に咥えていたサブマシンガンを転がした。
「いまの一瞬で奪ったんですか?」
「赤子の手を捻るようなものだ。その機械化した両手両足は見世物ではないのだろう?」
恵三はサブマシンガンを拾い上げてマガジンの残弾を確認する。「俺の専門はサイバー戦とデバイスの操縦だったんで、これはそれ専用にしてあるんですよ」
「やれやれ」田中が頭を振った。「背中を撃ってくれるなよ?」
人間とは比べ物にならない聴力をもつ犬には不要だろうが、恵三は念のためカメラがいま映し出しているものを田中と共有した。映像のなかで襲撃者たちは目線と無線通信で意思を共有して頷きあっている。
「連中はどう出るか。逃げるかな?」
田中が言った。侵入者はいったん来た道を戻ると十字路で二手に分かれる。
「どうやら仕事を完遂する気はあるようですね」
二方向から目的地を目指してくる腹積もりだろう。どちらか一方が目的を達成できればいいという判断。
「それでこちらはどうする、佐藤?」
「奥から回り込んでる方には足止め食らわせときますよ」
恵三は敵の進路を推測してシャッターを動かし、館内に即席の迷路を作り上げた。これで奴らの片方は散々に迂回した後に先ほどのオフィスに到着することになる。そのルートがビルのフロントを通過しているのを見て、恵三は一つの案を思いついた。危険は減らせるならそれに越したことはない。
ビル周辺を電波で探査する──車が三台。ひとつは弥永のチョコケーキ色のフィアット/ブルーのアウディ/シルバーのバン。アウディとバン、どちらかがさっき会った告発者のもので、どちらかが襲撃者のものだろう。恵三は怯える中年男の身なりを思い出しながら、保険に入っていないことはないだろうと勝手に決めつけた。新規に自我を生成して命令を下す。
≪外にある車両をクラックしろ。間違ってもフィアットを使うなよ≫
≪言わなくても分かるとも。俺はあんたなんだから≫
オフィスにあったPCの処理能力を使って自我のスレッドが活動を開始する。体に悪影響が出ていないか試しに肩や首を回したが、特に違和感は感じなかった。
「近いぞ」田中が警告した。
「またさっきの手でいきますか」
「いや、それよりもいい方法がある」田中が左手にあるドアを鼻先で示した。「この部屋を開けられるか?」
恵三は返事の代わりに掌握したビルの管理システムを使ってドアのロックを外した。右にスライドしていくドアの隙間に田中がするりと滑り込む。
「私が合図したら連中の頭を抑えろ」
そう言い残した田中は数歩の跳躍で部屋を横切ると、窓ガラスを足で蹴破ってビルの外に躍り出た。地上8Fの高さにあるビル外壁の出っ張りの上を、風にあおられながら黒いレトリバーが駆け抜ける。
『落ちたら死にません?』恵三はサブマシンガンのセレクタースイッチをフルオートに切り替える。
『例え足を踏み外してもこの高さなら大した問題にはならない。そら、来るぞ』
曲がり角の先から男たちが姿を現す。先ほど開けた部屋に身を隠し、恵三は腕だけ出してサブマシンガンをめくら撃ちした。
弾がタイル、壁、天井を喧しく削って白い粉が飛び散る。恵三の攻勢は僅か数秒で終わり、急に静まり返った廊下に空しく空撃ちの音が響き渡った。耳ざとくそれを聞きつけた敵が反撃に転じる。数発の発砲。慌てて手を引っ込める恵三。遠くで窓ガラスが割れる音。再び途切れる銃声。
田中から通信が入った。『仕留めたぞ』
部屋を出て合流すると、襲撃者たちがうつ伏せに昏倒していた。どうやらビルの外壁を伝って背後を取り、一撃を食らわせたらしい。通路の奥の窓ガラスが割れており、室内の方にガラス片が飛び散っている。
「これって、俺が手伝う必要ありました?」
「多少は役に立ったさ。では残りを──」
階下で盛大な破砕音がした。衝撃が8Fにいる恵三たちの足裏まで伝わってくる。
「む、なんだ──」
「上手くいったみたいですね」
警戒を深める田中に恵三は1Fの映像を回してみせた。フロントのカウンターに頭から突っ込んだシルバーのバンとブルーのアウディ。散らばった椅子やテーブル/粉々になった植木鉢/床の上でうめき声をあげて緩慢にのたうつバラクラバの二人。
「ほう」田中の合成音声には感心の色があった。「これは、私の援護をしながら?」
「多分」
「多分? まるで他人事のように言うんだな」
「ええ、まあ。実際に他人事ではあるんですよ」
生存期限が間近に迫った自我が戻ってくる。フィードバックの精神衝撃。車をクラックして操縦していた自我の記憶が統合される。入り口のガラスドアをぶち破ってビル内に突入した二台の車は、進路上にあるものを全てなぎ倒して目標に向かう。急ブレーキと同時に急ハンドルを切って車体の横面で襲撃者をなぎ倒す。達成感と高揚感の波に襲われる/恵三は手を叩いてげらげら笑った。
「はしたないぞ、佐藤。真の戦士は敵を必要以上に虚仮にはしない」レトリバーが眉をひそめ、叱りつけるように言った。
「あ、失礼しました。別に情緒不安定ってわけではないんですが、まあ、改造の副作用ってやつです」
「ふむ」
恵三は作業着のポケットをまさぐった。弥永に貰った名刺を見ながら書かれた番号に電話をかける。
『もしもし?』
待ち構えていたようにワンコールで相手が出た。網膜のモニタに弥永の顔が映る。
『首尾はどうですか?』
『今しがた無事に終わりました』
『なにやらすごい音がしてましたけど?』
『安全策を取りました』
百聞は一見にしかず、と1Fの惨状を送信する。弥永が手を叩いた。
『うーん、すばらしい。採点するなら80点というところですね』
『マイナス20点の理由は?』
『建物に被害が出ています。まあこのくらいなら保険の適用範囲内なんですが、あまり度が過ぎると過剰防衛だったんじゃないかと裁判でケチをつけられる可能性もありますし、そうなると逆にこちらの過失を問われるなんて展開もありえます。とはいえ、及第点には違いありませんが』
『ああ、なるほど……以後、留意します』
弥永が少しの間だけ意表を突かれたような顔になって、すぐに元の余裕のある微笑みを浮かべた。
『ええ。今後もこういったことは度々起こりますし、業界の流儀についてはおいおい慣れていただければと。他に聞きたいことはありますか?』
恵三の口をついて出たのは、弥永と会話してからずっとひっかかっていた部分だった。
『俺をスカウトした理由が二つあるって言ってましたよね? 一つ目は……そう、その、正義の味方? だからってことらしいんですが、二つ目は何なんです?』
『貴方が尊敬に値する人物だからです。そういう方と一緒に仕事をしたい』
恵三はいきなり横っ面をひっ叩かれたような気分になって意味もなく作業着のポケットをまさぐった。
『……どういう?』
『あなたは自分が何者であるかという問いに対して、臆面もなく答えることができる。そうじゃありませんか?』
相手の発言の真意がくみ取れずに押し黙っていると、弥永が言った。
『他に質問はありますか?』
『えー、そうですね……普段使いできるようなスーツを持ってないんですが、買ってきた方がいいですか? さすがに軍の礼服ってのは場違いですよね?』
弥永が笑った。『それはそれで面白そうですが、残念ながら服装に規定はありません。常識的な範囲であればどんな格好でも構いませんよ。なんだったら自慢の毛皮でも』
通信を隣で聞いていたレトリバーが言った。「冗談を真に受けるなよ、佐藤。これは、コンテストに出れば入賞だってできる私だからこそ許される出で立ちなのだからな」
恵三は両者に対して二度、三度、細かく頷いた。『了解しました』
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