第387話 お前だったのか定期

「ちなみに、母親が逮捕された時の記事もありますが見ますかい? アニキ」


「はい。ちょっと気になります」


「へい。ちょっとお待ちを」


 鳩谷先輩が机の上に置いてあったスクラップノートを手に取り、とあるページを俺に見せた。【人気女性漫画家逮捕】というインパクトがある見出しの記事が貼り付けられていた。日付は15年前とかなり古い。


「記事を要約するとですね。漫画家のふせ 蓉子ようこが薬物を所持していたとして現行犯逮捕されたとのことです。ちなみに、この伏は彼女の旧姓で、本名は瀬尾ですね。結婚後も同じペンネームを使用するというよくある話です。車を運転していたところ検問に引っかかって、不審に思った警察が車内を所持品を確認したところ、薬物が見つかったみたいです」


「薬物ですか……」


 クリエイター系の職業に就いている人が手を出すケースというのは残念ながら少なくない。俺は当然のことながら使用したことがないのでわからないが、通常とは違う世界が見えることで創作の刺激になるという話は聞いたことがある。俺はどんなに落ちぶれたとしても、違法なものに手を出すつもりはないけど。


「伏容疑者は容疑を認めていて、所持はしていたものの使用した痕跡は確認できなかったみたいです。尿検査も毛髪検査も結果はシロ。手に入れたものの使用は思いとどまったってところでしょうかね。ただ、薬物は所持するだけでも犯罪ですので、逮捕はやむなしかと」


「ですね。思いとどまるなら手に入れる前だったというわけですか」


「後悔先に立たずとはこのことですよね。ただ、あくまでも使用目的で所持をしていて、使用する前であったこと、初犯だったこともあってか、後の裁判では執行猶予がついたみたいです。その後、彼女がどうなったのか。そこまでは調べきれてはいません。薬物を使用してないとなれば、依存することもないでしょうから、幸せに暮らしているといいんですけどね」


「そうですね。ただ、自分の過ちで子供の将来を潰してしまったと考えたら、幸せな生活も難しいと思います」


 俺の母さんは、俺の夢を否定したことを悔やんでいる。実際に俺の将来は今のところは潰れていないわけではあるが、潰しかけてしまっただけで反省しているのだ。実際に潰してしまった彼女の心境を考えると決して穏やかなものではない。もちろん、最大の被害者は子供の方で、瀬尾 藤花さん。彼の心境は母親以上に穏やかではないだろう。なんだかこの親子の関係性が他人事には思えない。


「まあ、これはちょっとした補足というか、世間が狭いなと感じる部分ではあるんですけどね。伏 蓉子を逮捕した警察官って実は私のお父さんなんですよね」


「え? そうなんですか。それはまた奇遇ですね」


「そのことまでは自力で突き止めて、お父さんに事件のことを聞こうとしたけど、守秘義務があるからと言って突っぱねられました」


「そりゃそうでしょうよ」


「あー。折角の特ダネを身内が握っているのに、手に入れらないこのもどかしさ。どうすればいいんでしょうかね」


 鳩谷先輩が頭を掻いて困った顔をして見せる。この人にあるのかは知らないけれど、ジャーナリスト魂がくすぐられるってやつなのだろうか。


「お父さんの秘密を握って脅すっていうのはどうでしょうかね」


「え? アニキ倫理観大丈夫ですか? 父親を脅すって何を考えているんですか。やめて下さいよ」


 正論だけど、この人に言われると無性に腹が立つ。


「いや、先輩は他人の弱みを握って脅しているじゃないですか。だから、父親にそれをしない程度の分別がつくのは意外だなって」


「ええ……アニキ。私のことなんだと思ってたんですか」


「外道」


「うぐ……余計な修飾を加えずにシンプルな一言で済ますからこその切れ味! 流石アニキです。敵に回したくないと改めて思いました」


 多分、この鳩はこれで褒めているつもりだと思っているのがタチが悪い。


「それにしても、集めたネタだけは面白そうなのでちゃんとした人が記事を書けばいいものが出来上がると思うんですよね」


「ですよね! それじゃあ、私が記事を書くということで……」


「俺の感想聞きたいんですか?」


「あっ……ミンナト キョウリョクシテ ツクリマス」


「ええ。ぜひそうして下さい」


 このポッポのワンマンでさえなければ、新聞部に平穏は訪れるだろう。ちゃんと釘を刺したし、俺は仕事をした。後は他の部員の実力の問題だ。これ以上俺が関与することでもないな。



 なんとか世界の平和を守った俺が帰宅すると奴の靴が玄関先にあった。ええ……あの鳩を相手した後に奴が出てくるのかよ。今日は消費カロリーが多い1日だな。ボスラッシュやめてくれ。


「あ、琥珀! あんた、この漫画持ってない?」


 姉さんが出会い頭に俺にスマホを見せつけてきた。そのスマホに映っていたのは、万単位のでオークションにかけられている週刊少年誌だった。


「え? なんでこれがこんなに高く売れてるの?」


「わかんない。けれど、確かうちもこの漫画買ってたよね? もしかして、残っているんじゃないかって」


「いやいや。残ってるわけないでしょ。これ、15年前の号だし」


「そっか。アンタ、その時まだ糞尿まき散らしては泣くクソガキだったもんね。漫画なんて読めるわけないか」


「事実だけど言い方」


 1歳児に対して厳しすぎる21歳児だなあ。


 それにしても、15年前という数字には既視感がある。そう言えば、例の打ち切り漫画も15年前に母親が逮捕されたことをきっかけで打ち切られたって言ってたっけ。単行本未収録の回が掲載されている号に高値がつくのは、ありえる話なのか? それにしても万単位はいきすぎだと思う。


「あーあ。こんなことなら、漫画取っておけばよかったな」


「いや、姉さんが手にしたものは例外なくボロボロになるから売れないでしょ」


「え? ボロボロだと売れないの?」


「そりゃあ、ほぼ新品同然の美品と比べたら価値が落ちるだろうし」


「なんで? 漫画なんて読めればいいじゃん。変なの」


 本来の用途を考えれば、ある意味真理をついてはいるんだろうけど、もう少しコレクターに沿った考え方はできんのか。


「まあ、この漫画がないなら、この家に用はないかな。ばいばい」


 うわあ、自分勝手な理由でやってきて、自分勝手な理由で帰った。嵐が過ぎ去ったようって表現があるけれど、嵐の方が穏やかだぞ。



「藤花。連載おめでとう。今日はお祝いで何か美味しいものでも食べに行こうか」


「うん。わかった」


 私は母さんの運転する車に乗った。嬉しそうな母。だが、私はそれ以上に嬉しかったのだ。念願だった漫画家デビュー。それも高校生の内に連載を持てるとは思ってもみなかった。


「藤花……漫画描くの楽しい?」


「ん? 楽しくなかったら、ここまで続かないよ。それに母さんって目標があるから」


「そっか。うん。楽しいのはいいことだよね。でも、楽しいだけじゃない。辛くて苦しい瞬間もいつかはやってくる。私は藤花に尊敬されるような漫画家でもない」


「……? 母さん?」


「ううん。なんでもない。そうだよね。私は藤花のお母さんだし、漫画家の先輩でもあるんだからね。それに恥ずべき行動はしちゃいけないよね」


 目の前に警察官がいる。止まれと指示をしているようだ。


「すみません。検問にご協力ください」


 そこで私は目を覚ました。あの時の夢。この後のことは思い出したくもない。警察官は職務を全うしただけ。けれど、どうしても個人的な感情では嫌いにならざるを得なかった。母を……夢を奪った警察という組織が。あの時、あそこの検問に引っかかりさえしなければ、母は例のクスリを捨てて何でもない日常が戻って来たのかと思う。


 裁判後、執行猶予が付いた母は私の前から姿を消した。私の顔を見ると辛くなる。そう言い残して以降、私の前に姿を現すことはなかった。私の顔を見るのが辛いと言うのなら、私は顔を隠して生きよう。そうすれば、また母に会える日が来るのかもしれない。そう思い、私は枕元にあった狐の面を取った。

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