第326話 リモートデュエット

 暁さん演じるホイップとの歌ってみた動画の制作の段取りは着々と進んでいた。歌うべき楽曲は既に暁さんが決めてくれた。そして、肝心のデュエットの方法だけど……先に俺が歌の音声ファイルを収録して、それを暁さんに渡す。暁さんは俺が歌った音声ファイルに合わせて歌う形となる。MIX等の調整は暁さん側がやってくれるそうだ。MIX師に頼まずに自力でできるそうなので、その辺はもう完全に彼に任せてある。MIX師を探す手間や依頼するお金とかもかからずに済んだのでその点は非常にありがたい。


 暁さんがそうした調整をしてくれている間に、俺は動画の映像部分を制作に着手する流れだ。暁さんが完成させた音声ファイルと俺が作った映像ファイル。その2つを合わせてエンコードにかけてようやく完成。という流れだ。


 段取りが決まったので早速、歌を収録する場所を探そう。自宅で録音するわけにはいかない、カラオケに行くか? でも、カラオケの防音も完璧ではないからな。万一隣の部屋に歌声がでかい人がいたら、その音までも拾ってしまうかもしれない。そう考えたらお金を出してまでリスクを取る必要があるのかどうかといった判断をしなければならない。


 もう1つの候補の方が確実、そして安全に収録ができる。ただまあ……確実に俺の時間は削られてしまうのは目に見えている。でも、やるしかないか。


 俺は姉さんに電話をかけた。姉さんの防音マンションを借りるための交渉を今からするのだ。


「もしもし姉さん? 今何してるの?」


 いきなり頼み込むのもアレなので軽い世間話からスタートさせる。こうしたワンクッションを挟むのも現代日本を生きていくためには必要な処世術なのだ。その処世術がこの姉に通用するのかどうかは別として。


「んー? 今ー? おしゃけ飲んれるのー。琥珀も飲むー?」


「あ、じゃあ、また後でかけ直す。急に電話してごめんね。じゃあ」


 俺は姉さんの返答を待たずに電話を切った。酔っている状態で奴と交渉をしてはいけない。酔いが覚めた奴は交渉の内容など覚えているわけがないからだ。それにしてもいくら酔っているとは言え、未成年に酒を勧めるコンプライアンス意識のなさは現代日本を生き抜くには辛すぎると思う。


 翌日、俺は再び姉さんに電話をかけた。


「もしもし、姉さん。今何しているの? ちょっと時間大丈夫かな?」


「あ、琥珀? 今は全然大丈夫だよ。クッキーをオーブンにかけている最中だから暇なんだよー。むしろ構えー」


「え、ああ。そうなんだ。ちょっと今日は姉さんにお願いがあって電話したんだ」


「ん? この頼りになるお姉ちゃんに何のお願いかな?」


 どこに頼りになるお姉ちゃんがいるのかは知らないけれど、ここはツッコむだけ時間の無駄なので本題に入ろう。


「実は、姉さんの防音の部屋を使わせて欲しいんだ。できれば姉さんがいない時に」


 部屋主がいない時という条件をつけるのも怪しさ満点だけど、姉さんは多分そんなこと気にしないはずだ。


「ん? いいよ。その代わり、部屋を借りる以上は来た時よりも美しくって気持ちが欲しいかな」


 美しさの欠片もない部屋で何を言うか。でも、こちらは頼んでいる立場だし、こういう交換条件を持ち出されるのもわかってはいた。それに、たまには姉さんの部屋も掃除してやらないとゴミ屋敷と化してしまいそうだし……


「まあ、使わせてもらうんだから掃除はしておくよ」


「やったー。ありがとう琥珀」


「一応、姉さんも女子なんだからさ。見られたくないものがあったら事前に片付けておいて」


 最低限の片づけを促しておく。これで少しは俺の負担も減ることだろう。


「うんうん。それじゃあ、都合の良い日を教えて――」 



 収録日当日。喉のコンディションも整えて、姉さんの部屋の合い鍵をもって突撃。鍵が開いて中に入ると……まあ、予想はしていたゴミが散乱している光景が広がっている。


 こんな気持ちの悪い空間で気持ちよく歌えるわけがない。先にある程度片付けよう。俺はゴミだと思われるものを片っ端からゴミ袋に詰め込んだ。明らかにゴミだろって思うものを袋Aに、判断がつかないものを袋Bに分けてとりあえずのところで片づけていく。


「うわー……」


 片付けをしているとゴミの山の下に1枚の布切れが落ちているのが見えた。まあ、姉さんの下着だ。身内の下着なんてまじまじと見たくないから、詳細な描写を頭で思い浮かべるのはやめよう。あれ? おかしいな。俺、確かに見られたくないものは、片付けておけって言ったはずだよな?


 他人の下着なんてあんまり触れたいものでもないから持ち込んだ箒の柄の部分に引っかけて、片付けた。


 そんなありがたくないハプニングに見舞われながらもなんとか片付けたので収録をスタート。軽く発声練習をしてから喉の準備体操をした後に収録スタート。持ち込んだスマホで音楽を再生して歌い始める。


 気持ち歌声を高めにして、歌うように暁さんから言われていたのでその通りにする。特にNGを出すこともなく、収録は終わった。


 俺は録音した歌声を確認して、特に問題はなさそうだと判断したのでそのまま暁さんにデータを送った。まあ、問題があるとすると高い声で歌ったからセクシーな女声にしか聞こえなかったことだ。ショコラはセクシー路線のキャラなのでイメージ通りと言えば通りなのだけれど……この歌い方は友人間ではできないなと思ってしまった。



 ショコラさんから送られてきた音声データを聞いてみると、中々の良い歌声だった。歌い手活動をメインとしている人でも、ここまで上手い人は早々いない。これで歌い手が本職じゃないんだから、ショコラさんの基本的なスペックの高さには思わず感嘆の声が出てしまう。元々の才能が凄いのか、それとも良い指導を受けたのか。どちらにしても恵まれた才能か環境があったということだ。


 ただ、ショコラさんの声を聞いていて思うことがある。ショコラさんは間違いなく男性であると。しかも天然ものの中性の声だ。


 両声類として多くの男性ボイスと女性ボイスを聞き分けてきたからこそ、わかる裏付けられた経験が導き出す答え。それがショコラさんを男性だと言っている。この声は決して作られたものではない。なんとなく擦れている感じがしない。普段の地声とは違う声をだした時、人はどうしてもどこかしらに力みが入ってしまう。でも、ショコラさんにはその力みのようなものが感じられない。全くの自然体だ。


 苦労して女の子の声を手に入れた身としては、正直嫉妬すら覚える。私が元からの声質がこれだったらと思うと羨ましくて仕方ない。


 その羨ましさは憧れへと変わる。正直、ショコラさんの声は無限に聞いてられる。この方法によるデュエットを提案したのもショコラさんのソロの歌声データを合法的に手に入れるためというのもあった。


 今から、このショコラさんの声に私の声を被せていく。純粋なる無垢な天然の歌声に、私の養殖モノの女声を入れるのはちょっと背徳感を覚えた。


 よし、音声データの方は完成した。音声を加工して整えて完璧な仕上がりだと自負できる。後はショコラさんが作った映像データと併せるだけか。


 声フェチ、音フェチとしては映像なしでも十分頂ける代物ではあるけれど、やはり最近の音楽業界はPVやMVとして映像と併せることで作品を表現する傾向にある。特にVtuberモノなんかはそのキャラクターが動画に映っているかどうかで評価がガラリと変わってしまう。そこら辺の技術や見せ方について私は詳しくないからショコラさんの腕を信じて待つしかない。

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