第325話 庭師「庭の手入れをした」=洋画のモブキャラ「新車を買った」

 箱の発表の翌日。SNSでエゴサをかけてみた。概ね好評のようで一安心だ。でも、一部だけ批判の声もあるにはあった。唯一の男性キャラのカスタード。その演者が明らかに男性で百合の間に挟まる男絶対許さないマンが怒り狂っていた。そもそも純粋な百合好きはショコラのチャンネルを見るケースは少ないので、この人は本当にレアケースだ。でも、実際は百合空間なんて存在しない。カスタードとホイップの魂は同一人物だし、箱のメンバーの魂は全員男性である。つまり、百合好きが思い描いていた理想郷はここにはない。これが現実。


 メールをチェックしてみるとナツハさんから送られてきたものがあった。


『ショコラさんお疲れ様です。昨日の配信は緊張しましたが、無事に終えて良かったです。昨日の配信でもちょこっと話題に出ていましたが、庭師の登場ということで、オレがお屋敷の庭を改修するというのはどうでしょうか? オレも手を動かして今まで活動休止していた期間の遅れを取り戻したいんです。ご検討のほどよろしくお願いします』


 まあ、確かにお屋敷とその庭も実のところ力を入れて作ったわけではない。それに毎回同じ背景というのも、芸がないも思う。庭のアップグレードをナツハさんに任せて、彼に経験を積ませるのと同時にチャンネルに新しい風を吹き込むのも悪くないな。


『ナツハ様お疲れ様です。リアルで庭の改修は面白い試みだと思います。参考資料として現在のお庭のデータをお送りしますね。本業のお仕事もある中大変だとは思いますが、どうかご無理をなさらずにご自愛ください』


 個人的な感覚で言えば、ナツハさんは、真面目と言うかがんばりすぎてしまうような人だ。そういう人に「がんばれ」という言葉をかけ続けるのはプレッシャーをかけすぎてしまうことになる。無理をして体を壊されたら困るので、やはりここは気遣うのが正解だろう。


 それにしても、アレだけ完璧主義者で融通が効きそうもなかったナツハさんが、とりあえず完成させるという技を一瞬にして覚えさせるとは……流石は師匠の師匠の師匠だ。教え方が上手いにも程がある。匠さんと言い、師匠と言い、今のところ育成成功例しか見当たらない……そう思うと俺も初の育成失敗例にならないように、気を張っていかないといけないな。


 そんな決意を胸に刻み込んでいたら、新着メールが届いた。今度は暁さんからだ。


『ショコラさん放送お疲れ様でした。ライブ配信の場慣れはしていると思っていたのですが、Vの姿で人前に出るのは初めてですので少し緊張してしまいました。アーカイブを見返してみても普段の自分よりちょっと堅かったですね。

 本日はショコラさんにお願いがあってきました。私と歌のコラボをしてくれませんか? 折角、同じ箱の仲間になったのですから、デュエット曲を歌ってみたいです。ちなみに、こちらはホイップのキャラでデュエットをする予定です。お返事待ってます』


 なんというか……2人とも積極的だな。俺は配信に関しては歴は1年も経ってないし、まだまだ未熟なところがある。だから、こうして色々なアイディアを出してくれるのは本当にありがたい。こうした、アレがしたいこれがしたいと提案する能力というのも才能の内の1つだ。本当に消極的な人間は「何がしたいのか」がこちらで把握できない。本人の希望がわからなければ、こちら側から提案することも難しい。そうして意味では、俺は有能な2人を引き抜くことに成功したのかもしれない。


『暁様お疲れ様です。デュエットですか。中々楽しそうですね。私としては受けるのは構いませんが、歌ってみた動画に関してはこちらは素人に近いもので暁様にお任せする方が良い結果になると思います。ですので楽曲の方はそちらで決めて頂けるとありがたいです』


 俺は椅子の背もたれによりかかり、天井を見上げて「ふー」とため息をついた。なんだこれ。なんだこの状況。楽しすぎる。空白だった自分の予定がどんどん埋まっていく感覚。本来なら忌避したい忙しいという状況ではあるが、自分の意思でやっている分には余裕で楽しすぎる。


 例えるならば、今は文化祭の準備をしている段階に近いのかもしれない。仲間たちと共に1つの目標に向かって、より良い選択肢を見極めてアイディアを出しあって進んでいく。その結果、自分の予定が詰まったとしても、楽しい予定で詰まる分には歓迎できる。


 現在、現役高校生でリアル文化祭を経験できる身ですら楽しいのだ。高校を卒業して社会人になって、2度と文化祭を経験できない人にとっては、多分俺より楽しい想いをするんじゃないかなと思う。


 俺も負けてられないな。2人がアイディアを出して今後の予定を埋めていくというのであれば、俺も何かしらのアクションを起こしたい。そのアクションは……急に言われても思い浮かばないので後々じっくり考えるとして、俺は俺が今やれるべきことをやろう。


 兄さんが学生時代に作った各種シミュレーター。色々なことができるこれを俺はまだ完全に活用できていない。自分1人では、扱いきれなかったこれも、仲間ができた今では、新しい使い道が思い浮かぶかもしれない。


 それに気になるフォルダ名もある。【協力者:八城】。八城って人が誰なのかは俺は知らない。当然のことながら、会ったこともないし、話したこともない。だから、なんとなく触れるのは気味が悪いと思っていた。けれど、兄さんが渡してくれたってことは、これも使って良いものだとは思う。


 俺は緊張しながらも八城さんの協力の下作られたであろうものを開いてみた。【DogAction】? なんだこれ。犬の行動を制御するものか? だとしたらセサミに使えるかもしれない。いや、頭が3つあるケルベロスに使うのは流石に無謀か?


 俺はシミュレーターを起動してみた。ダイアログボックスには、小型犬、中型犬、大型犬と言ったチェック項目があり、更には【信頼】という謎の値が設定できるみたいだ。多分、この数値が高いほどに飼い主として見立ててあるオブジェクトに対して友好的な行動を取るということなのか? そして、俺は目を疑った項目を見つけてしまった。3択で選べるラジオボタン。その項目名が明らかに、この状況に適しすぎている。


【⦿通常の犬 ◎オルトロス ◎ケルベロス】


 しているのかよ……ケルベロス。対応しているのかよ……


 え? これ一応大学の課題か何かで作った真面目な提出物のはずだよな……? それなのに、オルトロスやケルベロスって概念を実装するなんて、下手したら採点側にふざけていると思われるかもしれない……いや、案外こういうのって大学だと緩くなるのか? 高校生の俺にはわからないことだ。


 まあ、でもその緩い基準のお陰でセサミが更なる活躍を得られるかもしれない。同じフォルダ内に何やら八城さんが書いた開発日誌的なものがあるし、ちょっと興味本位で読んでみようか。


『6月3日。今日は雨だった。ティンダ(飼い犬)が散歩に行きたそうな顔でこちらを見るけれど、雨の日はあまり散歩に行きたくない。でも、犬に散歩させないわけにはいかないので、合羽かっぱを着せて散歩にでかけた。そんなことがあったけれど開発は順調。


 6月4日。なんか熱っぽい。その影響からかなんか視界がぼやけて見える。あまりにもピントがぼけすぎていて、ティンダの頭が3つあるように見えた。ティンダの顔は当然可愛い。その可愛い顔が3つもある。得した気分だった。でも、開発の進捗具合に若干の遅れが見られる。やはり、病気の時は作業効率は落ちるから健康は大事だね。


 6月5日。風邪が治った。ティンダの頭がぼやけて見えなくなった。ケルベロスじゃなくなったのは残念だ。その残念さを胸に犬の動きのシミュレーターにケルベロスを対応してみようかと思う


 6月6日。ケルベロス最高! ケルベロス最高!』


 これを提出したのか……大学って思ったよりも緩いんだなあ。

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