第310話 カオス空間

「いつから付き合っているんだ?」


「えっと……本当につい最近かな」


 一時は驚いてみせた父さんだが、落ち着きを取り戻して父親の威厳を醸し出している。流石父さんだと感心してしまう。


「そうか……デートの邪魔をしてしまったかな」


「いや、父さんは悪くないよ。元から父さんを迎えることは決まっていたことだし」


 どちらかと言うと宇佐美が勝手に割り込んできたのだ。


「えっとまあ、なんだ。うん。がんばれ。それと宇佐美さん。こんな不出来な息子ですがよろしくお願いします」


「いえ、不出来だなんてそんなことはありません。大亜君はとても頼りになってみんなの手本となる存在でした。高校生時代の時だって、勉強でわからないことも教えてくれたし、クラスでの困りごとがあったら率先して解決に向けて動いてくれるし、面倒見が良かったんですよ」


 なんか急にベタ褒めされて気恥ずかしい気持ちになってきたな。


「それだけじゃないんです。私が精神的に落ち込んでいてしんどい時期があったんですけど、その時爽やかな笑顔で『おはよう』って挨拶してくれたんですよ。それだけで私の心は満たされたというか、好きってなりましたよ。この私だけに向けられる笑顔のお陰で私は今日まで生きてこられました」


「いや、それは誰にでも……」


「大亜。世の中には言わなくて良い真実がある」


 俺がこれから言おうとしたことを察したのか父さんは俺の耳元に向かって小声で制した。


「ん? 大亜。真珠の大会が終わったそうだ。直に中学まで戻るそうだ」


「へー。迎えいるかな? ちょっと訊いてみて」


「ああ。そうだな」


 当然のように、中学から自宅までは徒歩圏内だし、歩いて帰ろうと思えば帰れる。でも、丁度道順的に真珠の中学の近くを通るしついでに回収できるなら、真珠も楽ができるはずだ。もちろん、真珠にだって友人はいるだろうし、友人と一緒に帰りたいと思う年頃だ。その判断は真珠に任せよう。


「ふむ……迎えに来て欲しいとのことだ」


「そう。じゃあ、宇佐美。ついでに妹にも挨拶しておくか?」


 物はついでという言葉がある。先に宇佐美を家に帰すのもありだけど、父さんに会いたがっていた宇佐美が妹に会いたくないとは言わないと思う。だから、一応判断を仰いでみる。


「ええ。そうですね。丁度良い機会ですから、お願いします」


「了解。ちょっと帰りが遅くなるけどな」


「宇佐美さん。ついでに我が家によってきますか? 今なら、家族全員揃っていることですし……」


「え? いいんですか? お父さん!」


 宇佐美が食い気味に食いつく。え? そんなテンション上がる要素ある? 彼氏の実家に飛び込むとか割と勇気というか覚悟がいるものだと思う。それを乗り気だとかやはりこの女……ぬらりひょんの系譜か。


「あー……そうだな。それじゃあ、一旦真珠を回収してから家に帰って……挨拶を済ませてからまた宇佐美を家まで送るか」


 なんか妙な流れができてしまったけど……しょうがない。この面倒な工程が女性と付き合うってことなんだろうと思う。知らんけど。



 今日は惜しくも大会で入賞を果たせなかった。今までの練習の成果を思う存分に出したつもりだったけれどまだ足りなかった。やっぱり、部活と勉強とVtuber活動の両立って難しいのかもしれない。でも、自分がやると決めたからには、がんばらなきゃ。事務所に所属したくてもできないVtuberもいる中で私が勝ち得たもの。中途半端な気持ちじゃ、その人たちに失礼だからね。


 学校の正門で待っていると見覚えのある黒い車が停車した。運転席には大亜兄の姿が。そして後部座席にはお父さんの姿……あれ? お父さんが助手席に座らなかったんだ。


 大亜兄が窓を開けて「後ろに乗ってくれ」と合図をした。助手席に座らせられない事情があるのかなって思って注意深く観察すると大亜兄の影に隠れて一瞬気づかなかったけれど……女の人が座っていた。ん?


「え? あ、え? な、なんで?」


「え?」


 固まる私と助手席の女性。他人の空似だったら良かったかもしれない。そしたら、私の勘違いで済んだ話だ。しかし、この女性の反応。私を見て固まったのを見て確信した。この人はケテルさんだ。


 なんで大亜兄の車にケテルさんが乗っているのかがわからない。この2人に接点はないはずだ。それじゃあ、お父さん関連? それならもっと接点はない。だって、お父さんは今日海外から帰って来たばかりだ。ケテルさんはずっと日本にいたし、海外帰りのお父さんと一緒にいることはありえない。


「ん? どうした真珠? 顔が真っ青だぞ。ちょっと疲れているんじゃないのか?」


 大亜兄が私の様子を見て気遣ってくれている。そりゃ、大会帰りだから疲れている。ものすごく疲れている。けれど、そんな肉体的な疲れが吹っ飛ぶ代わりに入ってくる精神的なもやもや感。私はこの車に乗っていいものかどうか悩んでしまう。


「あ、あの……大亜兄。その助手席の人は……?」


 私は恐る恐る訊いた。自分から地雷に飛び込むようなことをしてしまったけれど、いずれは踏まなきゃいけない地雷。なら、今ここでショコラママの如く踏み抜くしかない。


「ん? ああ、この人は俺の高校時代の」


「大亜。それはもう良い。それよりも重要なことがあるだろ」


「そうだった。えっと……まあ。なんだ。俺が現在付き合っている彼女……ってやつ?」


 なんで疑問形。そこはちゃんと言い切りなよ。女子はそういうの気にするんだよ! って、問題はそこじゃない。え? ケテルさんって高校時代の同級生と運命的な再会をして、やっと結ばれたって話だよね。なんで、大亜兄と……?


 その時、私はさっきの大亜兄の発言がフラッシュバックした。高校時代のって言いかけたってことは……やっぱり、この2人は同級生なんだ。ってことは、全ての点と点が線で繋がった……? のかな?


「あ、えっと……」


 完全初対面ならここは「初めまして」が正解だ。しかし、私は初対面ではない。けれど、その繋がりを言うに言えないのだ。なぜならば、私たちには守秘義務がある。私たちは自分がどのVtuberで活動しているのか隠さなければならないのだ。


 お父さんは契約の関係で私がVtuberをやっていることは知っているけれど、その名義までは知らない。大亜兄に至っては本当に何もしらない。つまり、ケテルさんとの関係をバラすということは芋づる式で守秘義務違反をせざるを得ない状況に追い込まれてしまう。


 私の頭が混迷を極めているとそこに助け船が出された。


「初めまして。お兄さんにはいつもお世話になっております。私は、宇佐美 初。妹さんですよね?」


 なるほど。ケテルさんから初対面を装えと圧がかけられたお陰で冷静になれた。ここはそれで乗り切るしかない。後のことは後で考えるとして……今はこの状況を乗りきるのが先決。


「そ、そうです。私が妹の真珠です。兄がいつもお世話になって……えっと。あ、一旦車乗りますね」


 このまま立ち話をしているのも不自然だし、大亜兄も早く乗れと視線で訴えている。私は後部座席のドアを開けてお父さんの隣に座った。


「ごめん。大亜兄。ちょっと制汗スプレーのにおいが車につくかも」


「ああ。まあ気にしなくても良い」


 こうして、この奇妙な移動式空間が発進した。なんなの本当に。今日はお父さんが帰ってくる日で……本当だったらおめでたい日で終わるはずだったのに。大亜兄に彼女ができて更におめでたいことになるはずだったのに。その相手がなんでケテルさんなの。いや、ケテルさんが悪いとかじゃなくて、その……私との関係性が問題というかなんというか。


「ああ。そうだ。すみません宇佐美さん。差し支えなければ良いんですが、お仕事の方は何をされている方ですか?」


 おい! お父さん! それは差し支えしかないよ!

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