第279話 教育やろなあ……

「主任。その後、例の彼女とはどうなったんですか?」


 昼休憩の時間に小弓が俺に話しかけてきた。俺は小弓が何を訊こうとしているのか理解できなかった。


「例の彼女……? 何かあったっけ?」


「あの? 主任? 俺が合コンをセッティングした時に連絡先交換した女性いましたよね?」


「ああ。どうなったって? 普通に映画を観て終わったけど?」


 俺がそう言うや否や小弓の表情がみるみる内に変化していく。さっきまでは、上司を見る目だったけれど、今は明らかに未確認の生物を見るような理解を拒絶しているような目だ。


「あの……主任? 例の彼女とそれから会ってないんですか?」


「まあ、別に会う用事もないしな」


「主任がそれでいいなら俺からは何も言えませんが……まあ、一生独身が嫌ならデートに誘ったらどうですか?」


 小弓がなんか一生独身とかいう不吉なワードを口走った。俺としては、別に結婚願望が強くあるわけではないけれど、かと言って独身願望もない。一生独身は流石にノーサンキューだ。


「デートって……相手は高校時代の同級生で、別に在学中にそういう関係になったわけでもないし」


 そう言えば、宇佐美もデートとかなんとか言ってたな。やっぱり、相手もそういうのを意識して誘ったってことで良いのか?


「でも、相手にも彼氏はいないんですよね? と言うか相手が勇気出して映画を誘ってくれたんですから、今度は主任から誘ってあげるべきですよ」


「誘うと言ってもどこに誘えばいいんだよ。デートって一口に言っても色々あるだろ」


「まあ、映画の次はカラオケとかにでも行けばいいんじゃないんですか? どっちかが歌っている間は会話をしなくて済むし、デート中の会話が苦手な人でも比較的なんとかなりますね。相手が歌った曲で趣味を探ることもできますし」


 確かに、映画と同じ理屈で会話をしない時間ができるのは、お互いの関係がまだ構築できてない段階ではありがたいのかもしれない。こういうのがサラっと出てくるあたり小弓は場数を踏んでいるんだろうなあ。まあ、確かに遊んでそうなタイプだけど。


「それにカラオケだと料理を注文できるから、そこで食事を済ませるのも有りですね。デート中で良く男女間で問題になるのが、“何食べたい?”から”なんでもいい”という罠。この“なんでもいい”は“なんでもよくない”時に使われる言葉ですからね」


「いや、なんでもいいならなんでもいいと言うことではないのか?」


 なんか日本がこのままだといけないと思っている政治家みたいな発言になってしまったけれど、俺は当たり前の事実を言ったまでだ。


「主任。デート中に女性に何食べたい?って訊く男性はモテませんよ」


「え? なんで? 相手のことを気遣って相手の食べたいものに合わせるのは良いことじゃないのか?」


「そこの認識から間違ってますね。例えば主任は今何が食べたいですか?」


「バッテラ」


 別にバッテラが食べたいわけではないけれど、なんとなく思い浮かんだのがこれだ。ここは主任らしく決断力があるところを見せるためにも、スパっと即答するべきだと判断した。


「渋いですね……それじゃあ、明日は何が食べたいんですか?」


「ん? 明日……いや、急に言われても」


 流石に2連続でバッテラを指すわけにはいかない。次に思い浮かんだのがマス寿司だったので、「寿司ばっかりですね」ってツッコミが来るのは予想できたのでそれを避けるためには……と考えたら何も言えなくなった。


「そうです。大抵の人間は急に食べたいものを訊かれても即答できないんですよ。そもそもデートは普段行かない場所に行くケースもありますからね。近くにどんなお店があるのかすら知らないことも考えられます。例えば高級フレンチが食べたいと言っても、余程立地が良いところじゃないとありませんよ」


 高級フレンチはちょっと極端な例えすぎるけど、近くにそのお店がない可能性を考えたらうかつなことは言えないかもしれない。


「確かに……じゃあ、どうすればいいんだ?」


「事前にデートコースの周辺にあるお店を調べておいて、この近くには〇〇や××と言ったお店があるけど、どっちに行きたいか? って訊けばいいと思いますよ。ポイントなのは、どの店に行くかという択を提示すること。この店に行くか? 行かないか? その択は行かないを選ばれる可能性があるので良くないんです」


「なんでもいいって言ってるのに、行かないなんて選択肢をとるのか……」


「主任。世の中は理不尽なものです。女性の言う“なんでもいい”は“こちら側のどこからでも切れます”と同じだと思ってください」


 なんだろう。そのフレーズを出されると納得せざるを得ない。まあ、インターフェースの指示通りに入力したのに、エラーを吐いたりなんて、この業界ではあるあるすぎるからな。システム屋としては、即刻修正したい案件だ。でも、ユーザーの立場では、アプデ修正はできないというのがなんとももどかしい。


「まあ、話は逸れましたが、カラオケで食事を済ます予定がないなら、今言ったことは覚えておいてくださいね。事前に調べてなかった場合は、スマホで近くのお店を検索しながら2人で一緒に考える方法に持って行くのもありですね」


「ありがとう小弓。そこまで手厚く教えてもらえるとは思わなかった」


 良い部下を持ったものだなと俺はしみじみと思った。


「いや、だって主任の場合、これくらい定義を固めておかないと恋愛において失敗をしそうですし」


「あ、うん。そうですね。お手数をおかけしてすみません」


 一瞬、「そこまでじゃない!」と憤慨しそうになったけれど、現状の俺の立場を考えると何も言えない。小弓が定期的にアドバイスをくれなかったら、俺は恋愛弱者から永遠に脱せそうにない。



「みなさん。本日は私の耐久カラオケ配信に最後までお付き合いいただきありがとうございました。今後の告知がありまして、来週にビナーさんとのコラボ配信があります。詳しいことはまた後日お知らせします」


 ふう。やっと配信が終わった。ずっと歌いっぱなしだったから喉を休ませないと。今週の配信スケジュールは喉を酷使しすぎないように控えめにして、来週のビナーさんの配信に備える予定。流石に自分だけのスケジュールがダメになるならまだしも、コラボ配信をダメにしたらビナーさん側にも迷惑をかけてしまう。それだけは避けたい。


 配信中触れなかったスマホに目をやると通知が届いていた。これは、大亜君からのメッセージ!?


『宇佐美。今週末の予定は空いてるかな?』


 空いてる! 空いてるに決まってる! 配信スケジュールを控えめにしているし、というか空いてなくても無理矢理空けるつもり。


『はい。空いてます』


 そう送り私はドキドキしながら返信を待った。スマホの通知音が鳴る。気持ちがどんどん昂るのを感じて、ドキドキしながらメッセージを見た。


『2人でカラオケ行かないか?』


 私はその言葉を見た瞬間、絶望した。こんなタイミングが悪いことってあるのだろうか。普段だったら絶対に嬉しい誘いなのに。カラオケの耐久配信をした後で喉を休ませなければならない時期ではなかったら……! ビナーさんとのコラボが控えている時期ではなかったら……! そう思うと悔しい気持ちで胸が張り裂けそうだ。


『ごめんなさい。賀藤君。今はちょっと喉の調子が悪いのでカラオケは無理そうです』


 カラオケ“は”と言った。言いました! 代替案を出して欲しいという隠れたメッセージ。そして、デート自体はしたいという想い。それが伝わって欲しい。


『そうなのか? それは心配だな。あんまり無理しすぎるなよ。お大事に。また別の機会に誘うよ』


 私は燃え尽きた。ただでさえ耐久配信で体力が消耗している時に精神的にダメージを負ってしまった。こんなタイミングが悪いことってある?

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