第47話 リゼの休日

 Amber君こと賀藤 琥珀君。彼にショッキングな事実を聞かされた私は我武者羅に仕事をした。今ある仕事を全部片づけて、思いきり休みたくなったのだ。溜まりに溜まっていた仕事を片付けて、新しい仕事も入れないようにした。そして、ようやく1週間程の空き時間を手に入れることができた。


 会社員時代に比べて稼働時間の調整はできるようになったけれど、全体の忙しさはむしろフリーになった時の方が体感的には上だ。それでも調整次第で平日に自由に行動できるのは、役所や病院に行く時などに便利だ。


 別に1週間休んだところで、なにをする予定もない。旅行にでも行こうかと思ったけれど、女の一人旅は寂しい。


 寂しいと言えば、私の兄貴も今は寂しい思いをしているのだろうか。確か、今週から奥さんが里帰り出産で地元に帰っているから広い一軒家に1人で生活をしている。いや、猫を飼っているからそこまで寂しくないのかもしれない。


 私はスマホを手に取り、兄貴へと電話をかけた。


「もしもし。どうしたみさお。また男にフラれたか?」


「またとはなんだ。それに今回はフラれてない」


 フラれてないよな……? 別に琥珀君は弟子として可愛がっているけど、異性として好きかどうかは別問題だ。だから、これはフラれたカウントに入らない。


「おー。なんだ。また恋愛に関する愚痴を聞かされるかと思って冷や冷やしたぞ」


「そんなことはどうでもいい。あのさ、兄貴。兄貴の家に遊びに行ってもいい?」


「ん? いいけど。今は嫁さんがいないからロクなもてなしができないぞ」


「別にいい……ただ愚痴を黙って聞いてくれるだけで」


 兄貴も忙しい身だと思う。あんまり迷惑をかけられない。けれど、兄貴は昔から私の愚痴に適切な相槌を打ってくれるからついつい甘えてしまう。


「なんだ。やっぱり愚痴を聞かされるのか。ははは。まあいいぞ。今日は早めに上がらせてもらうか。それじゃあ、家で待ってる」


「それでいいのか……」


「ああ。俺は経営者で人を雇っている側だからな。勤怠管理なんて概念は存在しないのさ」


 妹の愚痴を聞くために会社から離れる経営者とは一体……まあ、それで兄貴の会社が大丈夫ならそれでいいんだけど。部外者の私がわざわざ口を出すほどのことでもないし。


 というわけで、私はすぐに身支度を整えて兄貴の家まで行くことにした。


 兄貴の家は都心から少し離れた郊外にある庭付きの一戸建てだ。兄貴の財力なら都心に住むこともできただろうけど、兄貴も奥さんもごちゃごちゃした都会は好きじゃないということであえて郊外に住んでいるのだ。


 あんまり派手さはない落ち着いたデザインの家。私はインターホンを押して兄貴が出て来るのを待った。


 扉がガチャリと開いて、兄貴が姿を現した。背が低い私とは対照的にかなりの長身でスタイルがいい。どうして同じ両親から生まれてきたのに、こうも身長に差があるのか私には理解できない。私の身長は10cmくらい兄貴に吸われたんじゃないだろうか。


 兄貴は、若手の経営者ということで、注目を浴びている存在だ。経済紙の表紙を飾ったこともある。普段スーツなんか着ない癖に、その時はビッチリをスーツを決めているし。しかも似合っているのが無性に腹が立つ。その影響もあってか既婚者ながら、女性ファンもそれなりにいる。


「よお。元気だったか操」


「体は元気だけど、心はそうでもない」


「なんだ。傷心中なのか。やっぱり男に……」


「違うから」


 玄関先で話していても仕方ないので、私は家に入った。リビングに入ると兄貴が飼っている猫が棚の上に丸まっている。名前は確かクーちゃんって言ったっけ。クーちゃんは私の存在に気づいた途端に起き上がり、そのまま狭い物陰へと隠れてしまった。


「ああ、待ってクーちゃん」


「警戒されてるな。操」


 クーちゃんと遊びたかったけれど、仕方ない。今日の本題はそこじゃない。


「ちょっと座って待ってくれ操。茶を用意する」


 兄貴に促されたので私は椅子に座った。兄貴は台所でなにやらガサゴソとやっている。


「あれー。おかしいな。茶葉はどこやったっけ?」


「わからないのか?」


「うーん。こういうのはいつも嫁さんがやっていたからな」


「兄貴は家事とかできないのか?」


「できないんじゃない。分担されていること以外はしないだけだ。お茶を淹れるのは俺の役目じゃないんだよ」


 ちゃんと家事を分担制にしているのか。今時はそういう家庭が多いのかな。私は結婚してないし、友達も未婚者ばかりだからわからないけど。


「なんだこれ……ハーブティー……? カモミール……? 操、ハーブティーでいいか?」


「淹れ方がわかるんだったら、それでもいい」


「うん。わからないから別のにしよう」


 兄貴が台所で格闘すること10分。ようやくお茶がでてきた。


「それで、操。なにか嫌なことがあったんだろ。話してみろ」


「うん。私に弟子がいることは前話したよね?」


「ああ。高校生の子だっけ? 操が認めるほどの実力なんだから大した腕なんだろうな」


 実際、琥珀君は凄い才能を秘めている。私が高校生の頃なんかよりも圧倒的に凄い。あのアホ女の弟とは思えないくらいだ……いや、言動とか考えたらあのアホ女の弟ってことは納得できるんだけど。動画での数々の天然のやらかし、悪気はないのに人の心を抉る発言。間違いなくあのアホ女と同じ血が流れている。


「その子がVtuberとして活動していることも言ったっけ?」


「ああ。サキュバスメイドのショコラね。俺も動画をチェックしている。彼……彼女? は中々の逸材だな。実力だけじゃない何かを持っているような気がしてならない」


 ショコラの話をしている兄貴は。仕事人の顔になっている。兄貴もビジネスマンだから、やっぱり商業的な目線で見ているのか。


「そのショコラが動画で私のことを推している発言をしたんだ」


「ん? ああ。そういえば言ってたな。リゼを推しているとかどうとか」


「私はその発言でもう舞い上がったんだ。だって、可愛がっている弟子が何にも知らない状態で私を好きだと言ってくれたんだ。師匠に対する忖度とかそんなのは関係なしに。その純粋な好意が嬉しかった」


 私は拳をグッと握りしめた。そう、ここでこの話が終わっていれば幸せなまま終われたんだ。だけど、私は開けてしまった。開けてはならないパンドラの箱を。


「でも、リゼの正体が私だと気づいた途端、彼は手の平を大回転させた。あの推し発言は話を合わせるために適当に言ったことだと」


 口に出して思い出すだけでもショックが蘇る。多分、琥珀君が悪気があって言ったわけではないだろう。彼は彼なりにあの場で空気を読んだ発言をして、1/4の確率で私を選んだだけ。ただそれだけのこと……


「だとしても本人に言うかああぁああぁああ!!」


「落ち着け操。近所に聞こえる」


「あ、ごめん」


 私が叫びで兄貴がご近所に白い目で見られるのは流石に可哀相だ。そこは自重しよう。


「んまあ、上げて落とすっていうのは酷いな。配慮に欠けているというか」


「だよな? 兄貴もそう思うよな?」


「最低男だな」


「いや、私の弟子なんだから、そこまで悪く言わないでくれ」


「ええ……」


 言ったのが見ず知らずのオッサンとかだったら、そこまで言っていいけど。一応私の可愛い弟子だから。心臓を抉り取られるような発言をされても、そこに変わりはないから。


「いや、私にも反省するべき点はあったと思う。そりゃ、過去の推してる発言を蒸し返して弟子をからかおうとしたし……そこは悪かったと思ってる。例えば、『私のどこを推してるんだ?』『そんなに私のことが好きなのか?』『ねえ、今度一緒にご飯食べに行こうか? 推しとデート行きたくない? なーんて冗談だ』とかさ色々とネットリと辱めて反応を楽しもうとした」


「お、おう……」


「でもな。だからと言ってあのカウンターはないだろ! あんなの禁止カードだろ!」


 私はとにかく兄貴に向かって愚痴りまくった。非生産的なことだけど、愚痴を言うことはストレス解消にいいと科学的根拠があるとかないとか。だから、私の心の平静さを保つためにも必要なことだ。


「ふーん……なるほどね」


「何がなるほどなんだ兄貴」


「操はこれからもその弟子君と師弟関係を続ける気はあるのか?」


「うーん……どうだかな。琥珀君が泣いて謝って私の推し活をしてくれるんだったら、考えてあげなくもないかな」


 私は冗談でそう言ってみる。そしたら、兄貴が仕事人の顔になった。


「なあ。操。お前の弟子を俺にくれないか?」

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