第32話 筆を置いた理由

 今日は美術の授業がある。俺は、絵を描くのは割と好きな方なので美術の授業は好きだ。腕前も小学生の時に、大人も参加しているコンテストに応募して入選したことがある。当時は、天才小学生とか言われて調子に乗っていたっけ。


 父さんは俺を画家にするんだとか言っていた。色んな画材も買ってくれたな。結局、俺は画家の道に進まなかったからそのままにしてあるけど。でも、そんな父さんとは対照的に母さんが画家なんて虚業だからやめておけって言ってたな。それがきっかけで、父さんと母さんが喧嘩してたのを今でも覚えている。


 まあ、今となっては母さんの気持ちもわかる。母さんも演出家という収入面で安定しにくい仕事をしていた。だからこそ、不安定な仕事の苦労を嫌というほど知っているのだ。まあ、今俺がしている仕事も収入不安定もいい所だけど。まあ、高校生という身分で稼げているだけ大目に見て欲しい。でも、もし、俺に子供ができて、将来Vtuberになりたいとか言い出したら全力で止める。CGデザイナーになりたいって言ったら……それはもう応援しよう。


 画材道具を持って、三橋と一緒に美術室に向かう。


「今日はペアを組んでの人物画のデッサンを描くんだってよー。女子とペア組みたいな」


「それはどうして?」


 予測する。絶対ロクな答えが返ってこない。


「だって、男子の顔を長時間見るより、女子の顔を見た方が楽しいだろ」


「ああ、そうね」


 うん。大体こういう答えが返ってくると思ってた。流石、俺。勘が冴えている。


 そんなくだらない会話をしていたら、美術室についた。木製の椅子に座り、先生の到着と授業の開始を待つ。みんなが近くの人と一緒に話をしている。でも、俺は話をしない。だって、俺の隣の席にいるのは政井さんだもの。


 チャイムと同時に先生が美術室に入ってきた。会話が一斉に止み、委員長が「起立! 気を付け! 礼!」と号令をかける。


 美術の先生は頭がハゲてヒゲもボーボーな中年のオッサンだ。その無駄にあるヒゲを頭に移植すればいいのにと思う。


「よし、今日の授業を始めるぞ。今日は人物画のデッサンを描くと言ったな。隣の席の人とペアを組み、それぞれ相手の顔を描いてくれ」


 うわ。マジかよ。政井さんと組むのかよ。まあ、人物画を描く分には表情筋が死んでいる方がありがたいか。下手に表情を動かされたらやりにくい。


「よろしく。賀藤君」


「ああ。よろしく政井さん」


 早く描いて早く終わらせるか。いや、でも政井さんが描き終わらないなら俺も終われないな。結局、待つことになるなら、しっかりと描いてやるか。


 俺は鉛筆を取り、政井さんの顔を描き始めた。政井さんは苦い表情をして俺を見ている。なんだ。それ、どういう心境なんだ。俺がペアだと不満なのか? 俺だって、政井さん以外と組みたかったのに。


 俺はサッサと鉛筆を動かし政井さんの輪郭を描いていく。政井さんは顔だけ見ると本当に美人だよな。同学年の女子と比較しても大人びている。多分、姉さんと並べて見ても、政井さんの方が年上に見えるかもしれない。


 光の当たり方にも気を配り、鉛筆で調子をつけて立体感を出していく。光源の位置の意識。それは3DCGをやっていれば、嫌でも身に付くものだ。長らく、絵を描くことから遠ざかっていたけれど、感覚自体は鈍ってはいないようだ。


 そんなこんなで、政井さんの顔を描きおわった。政井さんも丁度同じくらいに俺の顔を描き終わったようだ。政井さんは顔を真っ赤にして俯いている。なんだろう。なにかあったのか?


「描き終わったら、ペアに見て貰うように。見たら感想を伝えてやれー」


 先生が大声でそう言った。


「だってさ。政井さん見せて」


「やだ……」


「やだ?」


 政井さんらしくない拒絶の仕方。そんな駄々っ子のように断られても反応に困る。


「先に賀藤君が見せて」


「ん? いいけど」


 俺はなんの躊躇もなく、政井さんを描いた絵を見せた。その絵を見た瞬間、政井さんは口を開けてポカーンとした。


「え、嘘……上手すぎじゃない?」


「別に上手すぎってわけではないと思う。多分、美術部の人の方が上手い」


 俺の技術的なことは小学生のころ勉強した知識で止まってるからな。知識や技術を現役でインプットしている人には勝てないだろう。


 俺の絵を見て、政井さんがうなだれる。俺の絵になにか問題があったのだろうか。


「政井さん。そろそろ絵を見せて」


 俺は政井さんから絵を取り上げた。


「あ、だめ」


 政井さんが小さく呟く。しかし、時すでに遅し。政井さんの描いた絵は俺の手に渡る。政井さんの絵を見た瞬間。俺は電撃が走った。酷い。いくらなんでも酷すぎる。多分、俺が幼稚園児だった時の方が上手い。俺の絵が上手いという意味でなくて、政井さんの絵が下手だという意味で。


 高校生にもなってこんな画力の人間がいたんだ。もし、政井さんがVtuberでお絵かき配信したら、間違いなく画伯枠で人気になるだろう。


 政井さん……もしかして、芸術的センスが壊滅的にないのか? 歌も残念だったし、絵もお世辞にもいいとは言えない。なんか可哀相になってきた。


「死にます」


 政井さんは暗い声でそう言った。


「いや、いくらなんでも死ぬのはやりすぎじゃ」


「推しの弟をこんな冒涜的な絵にしてしまった罪は重い……」


 もうこの世の終わりかのような表情をしている政井さん。どうにかして慰めてあげようかと思っていた、その時だった。


「お、上手いじゃん。これ、琥珀が描いた絵か?」


 三橋が俺が描いた政井さんの絵を見て称賛した。


「マジで超可愛い。美人だなー」


「え?」


 絶望した表情の政井さんの顔がパアっと明るくなった。美人と言われて舞い上がってしまったのか。意外に単純なんだな。


「ああ。本物より、ずっと美人だな。流石だな琥珀」


「あ、わかる? 本物より美化して描いたんだよね。時間が余って暇だったから、ちょい修正したんだ」


 そこに気づくとは流石、三橋。観察眼が優れている。毎試合ベンチで選手の様子を観察しているだけのことはある。


 不意に殺気を感じる。政井さんの方を見ると、俺と三橋を思いきり睨みつけてる。やばい。視線だけで殺されてしまう。なんで、こんなに怒ってるの?


「知ってるか政井。琥珀は小学生の頃、大人も参加しているコンテストに参加して入選したことがあるんだ」


 三橋が余計なことを言い始めた。なんで、お前がドヤ顔になってるんだよ。別にお前は凄くないから!


「え? 賀藤君ってそんなに凄いんだ」


「今はもう絵は描いてないけどね」


「なんで? そんなに上手いなら描けばいいじゃない。プロの画家にだってなれるかもしれないのに」


 もう何百回は言われたであろうセリフを政井さんが言う。


「いや……無理だ。あんな絵を見せつけられたら、画家を目指そうだなんて思えなくなる」


 俺はあの絵を見た時に画家になるのをやめようと思った。でも、そのお陰で今のCGデザイナーの夢ができたわけだし、あの出来事は自分でも良かったと思ってる。


「あの絵? どんな絵?」


 政井さんは俺の話に興味があるようだ。まあ、別に面白い話でもないけれど、話してあげるか。


「実は。俺が参加したコンテスト。入選者にもう1人未成年がいたんだ。当時中学生だった少年の絵。その絵はとてもイキイキとしていた。まるで絵を描くのが心底楽しそうで、描いた人のキラキラとした想いのような……魂というのかな。そういうものを感じたんだ」


 講評では、俺は技術を買われて入選した。でも、彼の絵には技術だけではない、俺が持っていない熱い想いが込められていたんだ。俺は所詮、周りの大人に褒められて良い気になっていただけだった。そういう下心が透けて見える自分の絵が段々と嫌になってきたんだ。


「俺はその時悟った。俺は、生涯こんな素晴らしい絵を描くことはできないって。彼は俺にはなかった絵に対する想いっていうのがあったんだ。その点俺は、絵画に真剣に向き合っていなくて、作品に魂をこめられない。だから、画家にはなれないって思ったんだ」


 だから、俺は必死で探した。自分自身が魂をこめられるものを。そして、3DCGに出会い、真剣に取り組めるものを見つけて、今に至るわけだ。


「そうなんだ……なんかすごい世界」


 政井さんは無表情のまま俺を見ている。まあ、別に面白い話ではないから、笑いもしなければ、感動もしないだろう。


 それにしても、当時中学生だった彼は今は何をしているのだろう。年齢的には美大に進学してたりするのかな。それとも、もう既に画家として活躍しているのかも。どっちにしろ、彼は天才だから華やかな道を歩んでいるんだろうな。

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