2-12 踏み出せなかった一歩

「どうしてッ!? 何で桜が戸倉先輩を傷つけているの……ッ!?」


 空の叫びが、二人の鼓膜を痛いほど振動させる。桜は顔を真っ青にさせて、どうこの状況を打破しようか、必死に頭をフル回転させていた。

 しかしそんな隙を突き、戸倉は桜を押しのけて、空の方へとヨロヨロと走っていく。


「なッ……!」


 桜が戸倉を追いかけようと、走り出そうとした瞬間──。


「い、いやッ! 来ないでッ!」


 空が戸倉を庇うように前に進み出て、桜に震える声で叫ぶ。そんな空の気迫に、桜は咄嗟に体を静止させた。そんな桜と空のやりとりに、戸倉は桜にだけ見えるように勝ち誇ったような笑みを浮かべる。しかし、戸倉は直ぐに辛そうに眉を顰め、空に弱々しく声を掛けた。


「そ、空ちゃん、危ないよ。僕のことを心配してくれるのはありがたいけど、お願いだから逃げて……ッ!」

「そんな……! そんなこと言わないでください先輩! 私、貴方に何度も助けてもらったじゃないですか……!」

「あはは……。いいんだよ、そんなこと。……だって、その優しさには、下心があったんだから……」

「え……? した、ごころ……ですか?」


 そう言い、戸倉は目を伏せる。そんな戸倉の言葉に、空は目を見開き、動揺したように言葉を返した。

 桜はというと、戸倉のあまりの白々しい言葉に怒りを隠しきれず、静止させていた体を動かし、二人に近づいていく。

 そのことを戸倉は横目で確認し、口元を歪め嘲笑った。


「ッ!」


 桜はそのことに気付き、戸倉に詰め寄ろうと口を開きかける。

 ──しかし、桜が口を開く前に、戸倉が空に縋り付くような目を向け、言葉を紡いだ。


「うん……そう。……僕はね、空ちゃん。君のことが……好き……なんだよ。好きな子を助けるのは当たり前だし、好かれたいって言う下心があるのは……当然……だよね?」


 そう、戸倉は頬を染めて愛の告白を空に囁いた。戸倉のまさかの告白に、空は顔をリンゴのように真っ赤に染め、赤面する。


「────ッ!? そ、そんな……! せっ、先輩が私なんかを好き……なんて……ッ!」


 そして空は動揺を隠せない様子で、たどたどしく言葉を返す。

 まるで、バトル漫画の感動的な恋愛シーンのような光景。しかし、それを近くで見ている桜は、あまりの茶番に吐き気が込み上げてきた。

 戸倉は、確かに空を好いている。だがそれは明らかに、だ。自分勝手で、まるで相手のこと考えていない一方的な狂愛。そんなものが、こんな甘酸っぱい恋のようなシーンになっていることが、桜には心底信じられなかった。


「白々しい……ッ! 空、騙されないでッ! その人は嘘を吐いてる……ッ! お願い、信じてッ!」


 桜の叫びを聞き、空は一瞬、戸惑うように桜を見やる。空のその表情は、まだ桜のことを信じているようにも感じた。

 実際、空はこんな状況を目の当たりにしても、桜の事を心のどこかで憎めないでいたのだ。しかし、直ぐに戸倉が迷っている空の腕を引き、後ろへと後退させた。


「彼女の言葉を聞いてはダメだ。……辛いだろうけど、受け止めるしかない。……彼女は、……なんだ。大丈夫。僕が君を必ず守るから」


 戸倉は空に、まるで映画のヒーローがヒロインに囁くような甘ったるい言葉を吐く。空はその言葉に、一瞬頬を染める。しかし、すぐに悲しげに眉を顰めて、声を荒げた。


「戸倉先輩……でも……ッ!」

「……信じたくない気持ちは分かるよ。でも、彼女は……桜ちゃんは、だ」


 そう、戸倉は白々しく悲しげな表情を作り、告げる。戸倉のあまりの白々しさに、桜は耐えきれなくなり、再び二人の間に割って入ろうと、叫び声を上げようとした。


 ────次の瞬間。


「大丈夫。危ないから、空ちゃんは、使徒ヴォイドから、絶対離れちゃダメだよ?」


 唐突に、戸倉が信じられないような言葉を口にした。

 一緒に来た使徒ヴォイド……? まさか空をここまで連れてきたのって……。と、桜が思考し始めた次の瞬間。空の背後から暴風が吹き荒れた。

 あまりの突風に、空も桜も顔を腕で隠し、目を閉じる。暫くして突風が晴れると、そこにはローブを身に纏ったが、佇んでいた。


「はぁい。全く、使徒ヴォイド使いが荒い参加者ピューパだなぁ。でも、いいよぉ? 空ちゃんには私も期待しているしぃ、なによりとぉーっても面白そう!」


 ローブの使徒ヴォイドは、紫色のローブを深くかぶり、素顔を隠している。そして、ローブには夜空を思わせるような星座に似た紋様が描かれており、占い師を彷彿とさせる出で立ちだった。さらに、その声色は男とも女ともつかない中性的な声で、性別すら不明の使徒ヴォイドは怪しさ満点だ。

 そんな怪しさ満点のローブの使徒ヴォイドと戸倉は、桜が驚いているのを尻目に、慣れ親しんだ様子で会話を始めた。


「空ちゃんをここまで連れてきたんだ。責任はとってもらうよ。僕は目の前の敵をどうにかしなきゃいけないからね」

「ふぅん。まぁ、いいけど。それじゃあ空ちゃん。私の後ろに隠れててねん」


 そして、空が返事をする前に、ローブの使徒ヴォイドが彼女を匿う。空は戸惑いながらも、戸倉の指示に従い、大人しく匿われる。

 そんな一連のやり取りに、桜は戸倉を激しく睨みつけ、心底軽蔑したように言葉を放った。


「どういうこと……ッ! 空ちゃんをここに連れてきたのはわざとッ!?」

「むっ、失礼だな。そんなことするわけないでしょ? あれが、お節介にも連れてきたのさ。だから、空ちゃんは関係ない……。絶対に手を出さないでね?」


 桜の質問に、戸倉は心外だと言わんばかりに眉を顰め、白々しく桜に空の命乞いをする。戸倉のその様に、桜は顔を般若の如く怒りに歪めて、怒鳴り散らした。


「だからッ! 白々しいってのッ! 空を傷つけてたのはそっちでしょッ!?」

「……そう。あくまでも、そのスタンスなんだ。心苦しいけど、空ちゃんのためにも、僕はここで死ぬわけにはいかないんだッ!」


 まるで少年漫画の主人公の如く、戸倉はそう叫び、桜に突進する。しかし、戸倉は本当にだった。先程までの異能スキルを一切使用せず、まるで無防備な状態で突っ込んできたのだ。

 そんな戸倉に、桜は若干違和感を覚える。しかし、迎え撃たないと空が戸倉に騙されたまま、利用されてしまう。そう考え、桜は怒りを込め、右拳に思い切り力を入れる。そして、突進してきた戸倉の腹部に、強烈なアッパーを喰らわせた。当然、無防備な戸倉は、桜の強烈な一撃を喰らい、無抵抗に上空へ吹き飛ばされる。


 ────しかし、それがいけなかった。


「───ッ!? と、戸倉先輩ッ!」


 戸倉が吹き飛ばされた瞬間、空がローブの使徒ヴォイドの傍を離れ、彼の元へ駆け寄る。


「ダメ────ッ!?」


 空が戸倉に近づこうとした瞬間、桜はそれを静止すべく、声を上げようとした。しかし、それはいつの間にか目の前に移動していたローブの使徒ヴォイドによって阻まれたのだ。


「あっはは。ダァメだよぉう。いま、すっごぉく名シーンなんだから。映画で言うところの、なくてはならないシーンってやぁつ。だ・か・らぁ、邪魔しちゃダァメ」


 粘着質な声で、ローブの使徒ヴォイドは桜に声をかけ、その前に立ち塞がる。そしてわざとらしく人差し指を自身の口元に当て、黙っているようジェスチャーをした。

 しかし当然ながら、桜がそんなことで立ち止まる訳もなく、声を荒げて反発する。


「巫山戯るなッ! そんなこと言われて、黙ってるわけないじゃんッ! そこをどいてッ!」


 そう言い、桜はローブの使徒を押しのけて、空の元へ駆け寄ろうとした。しかし次の瞬間、桜の目の前に、突風が吹き荒れ、彼女の行く手を阻害する。


「もぉー。どんな三文芝居でも、エキストラは出しゃばっちゃダメだって、なんでわかんないかなぁ。そんなせっかちさんはぁ……私と少し、あそぼぉーねぇ!」


 ローブの使徒ヴォイドがそう叫ぶと同時に、桜の前の突風が突然襲いかかってきた。桜は目を見開き、咄嗟に右へ飛び、突風を避ける。その間に空は戸倉の元へ辿り着いており、桜はその光景を見て、顔を歪め歯噛みする。


「そっちこそ! 邪魔しないでってば!」

「あっははぁ! 大丈夫だぁってぇ! 君にもちぁんと役はあるんだからぁ。焦らなぁい、焦らなぁーい!」


 桜の怒声を、ローブの使徒ヴォイドは軽くあしらう。そして風を操り、桜を後方へと吹き飛ばそうとする。桜は負けじと、地面に根を張るが如く踏ん張るが、突風の威力に負け、後方へ吹き飛ばされてしまう。


「ぐぅッ! この……ッ!」


 桜が立ち上がり、再びローブの使徒へ向かおうとした次の瞬間──。


「ねぇ、『ナイトメア』だっけッ!? さっきここに来る前に言ってた、って、今も有効ッ!?」


 そう、大声で叫ぶ空の声が聞こえ、桜は反射的に動きを止めた。空の叫びに、ローブの使徒ヴォイド──『ナイトメア』は口角を愉快そうに上げ、空に目線を移した。


「もっちろんですよぉ! 欲しいですか? 欲しいですよねぇッ!? あっははぁ! もう引き返せはしませんよぉ? それでもいいですかぁ?」

「執拗いッ! 私はッ! 私を裏切って、さらに桜をッ! 絶対に許せないッ! この手で決着をつけなきゃ、私は先輩に顔向けできないッ!」


 わざとらしく何度も確認するナイトメアを怒鳴りつけ、空は桜への殺意を露わにする。そして、その空の言葉は、桜の強靱な心を酷く抉った。


 ───先輩を殺した……? 戸倉さんを、私が? いやいやいや、あんなくらいであの人死なないでしょッ!?


 桜は空の突然の言葉に驚き、動揺する。そして、桜が空の方を見ると、いつの間にか戸倉はいなくなっていたのだ。


 消えた……? なんで!? 一体何がどうなってるの!?


 何が何だか分からず、桜は動揺を隠せないでいた。もしかして、本当に死んでしまったのでは? という疑念が生まれ、顔を青ざめさせる。

 そんな桜を見て、空はますます怒りで顔を真っ赤にし、眼光鋭く睨みつけた。


「先輩は、戸倉先輩はッ! 桜の一撃を喰らって、姿ッ! 異能者は死ぬと消えるんだって、先輩は最後にそう言ってたッ! だから、私は絶対に桜を許すわけにはいかないんだ……ッ! 信じていたのに……。友達だって……。心からそう思っていたのに……ッ!」


 空は怒り、悔しさ、悲しみなど、様々な感情を乗せて桜を睨みつける。そして空の発言に、桜は何も言い返せずにいた。戸倉を殺していないと、言いきれなくて。


 ───私は、本当に人を殺してしまったんだろうか……? あんな奴でも、殺していい道理にはならないのに……ッ。


 最悪の方向へと物事を考えてしまい、桜は息苦しくなる。そんな桜を、空は侮蔑の眼差しで睨んだまま、言葉を放った。


「もういいよ、貴方が何を言おうと関係無い。貴方の真意に何があろうと、どうでもいい。私にとって大事なのは、という一点。ナイトメア。私に力をッ! こんな私を好いてくれた先輩の痛みを、桜へ返せる力を、私に寄越せッ!」

「はいはぁーい。わかってますよぉ。では、『契約』は成立しました。貴方の異能スキルは貴方の願望ねがい。これより『ウィングキル』への参加権を郡空へ与えます。さぁ、新たなる世界へッ! 貴方の運命を見せてくださいッ!」


 そう、ナイトメアは声を荒げて両手を広げる。




 ───次の瞬間。空の周囲を黒い霧が覆い、桜の視界を漆黒へと塗りつぶした。

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