2-11 青の狂気の来襲

「いい子だ……。では、今から僕は君の主だ。君は僕の事が好きになる。そして、嫉妬に狂って、空ちゃんを虐める。いいね?」


 戸倉の怪しく光る青い目が、桜の赤い目を覗き込む。戸倉は先程までの人のよさそうな笑みを完全に消し、妖艶な笑みを浮かべ、桜に向かいあっていた。


「さぁ、桜ちゃん。空ちゃんを絶望の淵へと堕として見せてよッ!」


 青の狂気が、桜に向かって手を差し伸べる。それは桜の赤を塗りつぶすように、ゆっくりと侵食して──。


「ふッざけんなぁぁぁぁぁッ!」


 パシンッ


 ──いくことはなかった。桜は青の狂気に飲まれることなく、その手を振り払う。そしてきつく戸倉を睨み、数歩距離をとる。

 桜の思わぬ反撃に、戸倉は目を丸くし、妖艶な笑みを消して桜を見やった。


「なッ……!? ど、どうして……ッ!」

「それはこっちのセリフですよ戸倉さんッ! どうして……なんで貴方が……ッ! 空の『ヒーロー』である貴方が、空を傷つけようとするんですか……ッ!」


 戸倉の驚愕の声に、桜は涙交じりに反論を返す。

 先程まで人のよさそうな笑みを浮かべ、普通に『いい人』だった戸倉が。空を好きだと顔をリンゴの様に赤くして言っていた初心な青年が。どうしてこんなことをするのだろうか。

 桜は戸惑いと怒りが混じった感情を抱え、戸倉を睨む。

 そんな桜を、戸倉は蔑むように見つめる。そして今まで聞いたことないような低い声色で、吐き捨てるように言葉を放った。


「はんッ。そのお人よし顔に騙されたよ。僕の事、本当は信用してなかったんだろ? だから洗脳にかからなかったんだ。僕としたことが油断したよ」

「なッ……!?」


 その言葉で桜は、戸倉が猫を被っていたことに気付かされた。信頼していただけに、そのショックは大きい。だからこそ、戸倉のという言葉の意味が、理解できなかった。今回、騙されたのは桜であって、戸倉ではない。桜は本当に戸倉を信頼していたし、違和感があっても、それは全部自分の勘違いだと思っていた程だ。


「騙したのはそっちでしょうッ!? 空の事を心配するふりをして、本当は傷つけていたなんて、信じられない……ッ!」

「……ふうん? 本当に信頼してくれていたっぽいね。じゃあなんで効かなかったんだろ?」


 桜の叫びに、戸倉は蔑むような表情を一変させ、顎に手を当て考え込んだ。そして戸倉のそんな余裕な表情に、桜はさらに怒りを助長させた。


「何言ってるのか全然意味わからないんですけど……ッ! 最低ですね戸倉さんッ! あんなに自分を慕ってくれている空を、何で……何で裏切るんですかッ!」

「……はぁ? 僕が空ちゃんを裏切る? ぶっ! あっはは! 桜ちゃんにはわからないよ。空ちゃんがどれほど素晴らしい存在なのか、知らないんだからねッ!」


 桜の怒りの言葉に、戸倉は嘲笑うように返答する。そして、戸倉は熱に浮かされたように頬を染め、一人語りを始めた。


「空ちゃんはね? お前ら凡人とは違って、なんだ。努力家で、決して諦めない不屈の心を持っている。そのくせ、繊細で傷つきやすい」


 その様まるで、高尚な演説をしているようで。桜は思わず聞き入ってしまった。しかし、それは決して戸倉の言葉に魅了されたわけではない。あまりに自分勝手すぎる戸倉の言い分に、呆気に取られてしまっていたのだ。


「────だからッ! 僕がぐちゃぐちゃに壊して、彼女を神にするんだッ! 彼女ほど完璧に神を全うできる人間はこの世に存在しないッ! ふふふ、アッハハハハハッ! そうだ……この僕がッ! 僕が彼女をから、という存在に変えてあげるんだッ!」


 完全に狂気に憑りつかれ狂い笑う戸倉に、桜は恐怖を通り越して、怒りしか湧いてこなかった。この男は狂っている。こんな男が、空の隣にいてはいけないんだ……! と、桜は強く思い、戸倉を射殺さんばかりに、鋭く睨みつける。しかし、戸倉は桜の怒りを涼しい顔で躱し、嘲笑った。


「あっはははは! 怖い怖い。でもね、桜ちゃん。どれだけ君が僕を恨んでも、君が僕に一矢報いることはない。洗脳されないのなら、残念だけど死んでもらうよ。他にも空ちゃんを絶望させる案は、いくらでもあるし」

「この……ッ! どこまで屑なんですか貴方は……ッ!」

「ふふふ。何とでも言うといいさ。望むは敵を穿つ小さき刃。『構成カスタマイズ』ッ!」


 その言葉の直後、彼の右手に光の粒子が集まる。そして光が収まると、いつの間にかその右手には一本のナイフが握られていた。


「じゃあ、短い間だったけど、さようなら。精々空ちゃんのいい踏み台になってくれよッ!」


 そう言い、戸倉は地面を蹴り上げ、素早い動きで桜に切り掛ろうとする。しかし、桜はそれを勢いよく地面を蹴り上げ、後退して避けた。桜の機敏な動きに、戸倉は驚いたように目を丸くし、口笛を吹く。


「ひゅう、すごいね。一応僕、身体能力は『異能スキル』によって強化されてるはずなのに。じゃあ、これなら避けられるかなッ! 望は敵を貫く無音の閃光。『構成カスタマイズ』ッ!」


 その言葉の直後、戸倉の持っていたナイフが突然光の粒子となり、弾け飛んだ。そして、戸倉は再び光の粒子を右手に集め、今度は一丁の拳銃を生み出す。

 桜がそれを認識した瞬間、戸倉が口元を歪める。そして狂気を宿した笑みを浮かべたまま、銃口を桜へ向けた。


「今度こそ、さようならッ!」


 戸倉はそう叫ぶと、桜の心臓めがけて一発の銃弾を、で発射したのだ。桜はその銃弾を、反射的に地面を蹴って跳躍し、避ける。そしてそのまま戸倉の懐へ飛び込み、彼の手に握られていた銃を蹴り上げた。そのままの勢いで、桜は戸倉の腹部を蹴り上げようと拳で追撃を試みるが、彼は寸でのところでその拳を躱す。


「な……ッ!? くそッ! 運動神経がいいというレベルの問題じゃないぞ……ッ! お前、さては『参加者ピューパ』か? それとも『異端イクシード』か……?」


 桜のまさかの反撃に、戸倉は右手を押さえながら後退する。『神』という単語を聞いた時から薄々感じていたが、やはり戸倉さんは参加者ピューパなのだろう。と、桜は分析する。他にも新たに聞く『異端イクシード』という単語が気になりはしたが、今の桜にとって、重要なのはそんな事ではない。


「私はそんな馬鹿らしいゲームになんか参加しないッ! 戸倉さんの狂気は、私がここで終わらせるッ!」

「黙れ……ッ! ただの脳筋馬鹿が、この僕に勝てると思うなよッ! 我は運命を拒絶し、風となる! 『風人パニッシュ』ッ!」


 先程とは違う異能スキルの詠唱を終え、戸倉は再び銃を構え、桜を狙う。そして素早い動きで桜に近づき、至近距離から狙撃を仕掛けようとしてきた。

 桜は戸倉の異能スキルに警戒しつつも、地面を蹴り上げ戸倉へ直進した。


「な……ッ!? 馬鹿なッ! 何故、僕の位置が……ッ!?」


 桜が自身へ直進してくる様子を見て、戸倉は目を丸くして驚愕する。そして、戸倉が避けるよりも早く、桜は彼の腹部を狙い、


「せいッやぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 と、雄叫びを上げ、右拳で正拳突きをかました。完全に無防備だった戸倉は、桜の正拳突きを見事に喰らい、後方へと吹っ飛ばされる。


「ぐっはッ!? ごほッ……! ぐ、くそ……ッ! 何故、僕の位置が……ッ。化け物め……ッ!」

「いや、普通に目の前にいたじゃん。……ん? なんか前にも同じような事があったような……。って、それよりッ! 空に謝って! そして空に二度と近寄らないで! この変態野郎ッ!」


 桜は後方へと吹っ飛ばされた戸倉に近づき、その胸ぐらを掴み叫ぶ。戸倉は悔しさで奥歯を強く噛み締め、桜を強く睨む。

 そして二人が睨み合い、膠着こうちゃく状態が続いていると──。


 ドサリッ


 突然、桜の背後から、何かを落とすような物音が聞こえる。それと同時に、が桜達の耳に届いた。


「───え……? さく、ら……? それに、戸倉先輩……? どうして……ッ!?」


 桜がゆっくりと振り返ると、そこには体を小刻みに振るわせて、目を丸くしている郡空が、桜達を見据えていた。


「どうしてッ! 何で桜が戸倉先輩を傷つけているの……ッ!?」


 そして、震える声で絶叫する空の叫びが路地に響き渡り、二人の状況を一気に変えた。

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