2-2 たった一つの願い事

 三日前の夕方頃。桜は廃工場通りの道路の真ん中で、使徒ヴォイドと対峙していた。

 突然の謝罪に困惑する桜に対し使徒ヴォイドは、頭を下げ続けたまま、言葉を続ける。


「本当にすまない……! 俺がお前に関わらなければ、巻き込まれることはなかったのに……。あまつさえ俺は、神の命令でお前を助けなかった……ッ!」


 感情を爆発させて謝罪する使徒ヴォイドに、桜は首を傾げる。それは、桜にとって使徒ヴォイドの謝罪が見当違いのものだったからだ。使徒ヴォイドが桜に接触しなければ、翼について一生知ることはなかった。そしてあの時、毒嶋の攻撃から守られていたら、『力』を手にすることは出来なかったからだ。だから、桜は使徒ヴォイドが何故そこまで気にするのか、本気で理解できなかった。

 一般的に言えば、使徒ヴォイドのしたことは恨まれるべきことだ。しかし、桜にはその常識は通じない。桜にとって大事なのは『ヒーロー』で在れるかどうか、なのだから。

 翼のことを知れ、尚且つ力も手にすることができた現状に、なんの不満もなかった。しかし、そんな桜の思考とは裏腹に、使徒ヴォイドの謝罪は続いた。


「俺は自分の意思でお前に忠告しに行ったのに、最後まで意志を貫かずに見殺しにした。それが神の一般人エンブリオ参加者ピューパに襲われていても助けるなという指示があったとしても、許されることじゃない……ッ!」

「えーっと、大丈夫だよ? 私元気だし。君のおかげで、なんだかんだ上手くいったしね」


 ケロリとした様子で、桜は使徒ヴォイドの謝罪を受け止めた。桜のそんな様子に使徒ヴォイドは頭を上げ、桜の肩を掴んだ。


「だから! どうしてそんなに馬鹿なんだッ! もっと自分の身に起きたことの異常性を自覚してくれ!」

「ばっ……!? しっ、失礼なぁ! きちんと理解してるよ! してるけど気にしてないって言ってるの! そっちこそいい加減理解してよ! このおたんこなすーっ!」

「なぁっ!? こっちは心配して……ッ! あぁ、もういい! 言うだけ無駄なのはわかった」


 傍から見れば、まるで小学生同士の喧嘩だ。使徒ヴォイドはようやく桜に常識が通じないことを理解し、常識を押し付けることを諦めた。そして深くため息を吐いて、桜の肩から手をどける。


「はぁ……、もういい。なら俺は、俺の納得出来る要求を提示する。迷惑かけたお詫びに、お前の願いをできるかぎりなんでも一つ叶えてやる。それでチャラってことでどうだ?」


 使徒ヴォイドの提案に、桜は大いに困惑した。どうだ? と言われても、桜は怒ってないし、正直何もしなくていい。けれどそれだと使徒ヴォイドは納得できないのだろう。なら、この不毛なやり取りを終わらせるためにも頷いておこう。と、桜は軽い気持ちで承諾することにした。


「あーうん。いいよ! あっ。でも、翼関係とかの願いだと、君困るよね?」


 できるかぎりなんでも、と使徒ヴォイドはわざわざ念を押していたのだ。恐らく、翼について聞いても口篭ってしまうだろう。と、桜は解釈し、使徒ヴォイドに尋ねる。桜の予想通り、使徒ヴォイドは小さく頷き、申し訳なさそうに言葉を紡いだ。


「あぁ。すまないがそういうことだ。他になにかないか? 出来ることと出来ない事はあるが、ある程度融通をきかすつもりだ」

「うーむ……。だよねぇ。あっ! じゃあ君について教えてよ!」


 満面の笑みで桜がそう言うと、使徒は暫く硬直した。あまりにも予想外の願いで、戸惑ってしまったのだ。使徒ヴォイドは暫し思案した後、桜を正面に見据え、力説を始めた。


「あのな? 俺はこう見えて、結構強いぞ? それに、神とまではいかないまでも、それなりに色々できる。この意味がわかるか?」


 桜がと間違えているかもしれないと思ったからだ。自分のことを聞いて、桜になんの得がある? いや、無い。絶対無い。もっと有意義なことに願いを使うべきだ。と、使徒ヴォイドは思い、遠回しに考え直すよう伝えた。


「ほうほう、成程。それで? 他には?」


 ────しかし、桜はその言葉の真意を理解しなかった。桜は、使徒ヴォイドが自身について語ってくれていると思ったのだ。これには使徒ヴォイドも次の言葉が吹っ飛び、固まる。しかし程なくして、何かが吹っ切れたかのように、使徒ヴォイドは叫び出した。


「あぁぁぁぁぁッ! もういいッ! いいか、よく聞けッ! 俺の名は『ゼロ』。だが出来れば雪月ゆづきと呼んでもらえると助かる! 神の使者をしている! 性別は男!」


 使徒ヴォイド、もとい雪月は、捲し立てるようにそう言い放つ。そして、頭部に被っていた甲冑を脱ぎ捨て、素顔をあらわにしたのだ。

 そこに居たのは、兎のように真っ白な白髪が特徴的な少年だった。白髪は、夕日に照らされ輝いており、とても美しい。そして顔の作りからして、桜の予想通り、雪月は中・高生くらいの見た目の少年だった。

 雪月は、そんな可愛らしい顔を不満げに歪ませ、桜を睨んでいた。桜はその剣幕に若干気圧されつつも、マジマジと雪月の顔を見る。


「かっ、可愛い……!」


 そして、つい我慢が出来ずに口から本音が出てしまった。桜の言葉に雪月は、全身を怒りで震わせ、涙目で桜をきつく睨みつけた。流石の桜も、あ、地雷踏んじゃったかも。と気づき、内心冷や汗をかく。

 雪月は深く深呼吸をし、息を整えてから、半狂乱になりながら叫び声を上げるように言葉を放った。


「いいか? 俺は今日から、お前のことを監視しなきゃいけない。だから俺のことを知りたきゃ答えられる範囲なら、当然教えてやる。そんなのを願いにはできない! 時間をやるから考えろ。いいなッ!?」


 叫ぶなら、息を整えた意味とは……? と、桜は内心雪月に突っ込んだ。しかしこれ以上余計なことを言うと、彼が可哀想なので、コクコクと無言で頷くだけに留めた。それを雪月は満足そうに見つめ、くるりと踵を返す。


「さぁ、もういい加減遅い。帰るぞ」


 そう一方的に告げ、雪月は歩き出す。

 そんな雪月の言葉に桜は、一体どこへ帰るのだろう……。と、思いながらも、これ以上雪月を刺激したくなかったので、黙って彼の後ろをついていくことにした。

 しばらく会話もないまま二人は歩き続けたが、ふと桜は、見慣れた道を通っていることに気づく。そこで、もしや私の家を知っているのでは? と、ようやく桜は思い至る。そして桜の予想通り、雪月は桜の家の前で歩みを止め、くるりと桜の方を振り返った。


「着いたぞ」


 雪月はそう短く言葉を放ち、水晶の様に透き通った灰色の瞳で、桜を見つめる。

 その様は夕日に照らされ、桜にはより一層輝いて見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る