第17話『目覚めるとそこに』
「はあっ……はあっ……」
目を覚ますと、薄暗い中で天井が見える。ただ、さっきよりも明るさが違うし……夢から覚めたのだろうか。
昨日から続いていた頭痛や、朝感じていた熱っぽさはなくなっている。撫子が作ってくれたお粥や、病院で処方された薬のおかげかな。
「あっ、起きた」
「……えっ?」
どうして、向日葵の声が聞こえるんだ? 彼女の声が耳に入った瞬間、全身に悪寒が走った。もしかして、まだ夢から覚めていないのか? 体調が良くなったのもそのせい?
声がした方にゆっくり振り向くと、ベッドに頬杖をつく向日葵の姿が。そんな彼女は灰色のノースリーブの縦ニットを着ている。さっきとは服装が違うし、これは現実……かな?
「向日葵。お見舞いに来てくれたのか?」
「ええ。特に予定はないから、サカエカフェに行って、紅茶かカフェオレでも飲んでゆっくりしようと思ったの。バイトしている桔梗の姿を見るのもいいかと思って」
「そっか。店に来てくれてありがとう」
「いえいえ。でも、お店に行ったらあなたの姿がなくて。お店の人に訊いたら、体調不良でお休みだって言われてね。撫子ちゃんにメッセージを送ったら、昨日の夜から頭痛があって、今朝になったら熱が出たそうじゃない」
「それで、お見舞いに来てくれたのか」
僕のその言葉に向日葵は頷く。
「きっかけは偶然だったけど、昨日一緒に楽しく過ごしたクラスメイトだもの。そんな人が体調を崩したら……し、心配になるじゃない。桔梗がどんな感じか見ないと落ち着かないからお見舞いに来たの」
「そうだったのか」
今の話からして、ちゃんと僕は夢から覚めたようだ。向日葵が夢に出てきたのは、彼女がお見舞いに来たからなのかな。
それにしても……一緒に楽しく過ごしたとか、心配になるという言葉を向日葵が僕に言ってくれるのが嬉しい。胸が温かくなっていく。
「僕も昨日は楽しかったよ。今日はお見舞いに来てくれてありがとう。嬉しいよ。あと、今日の服も似合ってるな。可愛い」
僕は右手で向日葵の頭を優しく撫でる。そのことで、甘い匂いがほんのりと香ってきた。あと、向日葵の髪って柔らかいんだな。
「……って、ごめん。いきなり髪を触って。失礼なことをしちゃったね」
お見舞いに来てくれたのが嬉しくて、撫子に対してと同じ感覚で向日葵の髪を撫でてしまった。
「別にいいわよ。ちょっとビックリしたけど。それに、撫でられた感じは……悪くなかったし。服装を褒められるのもいい気分だし。気にしないで」
向日葵の口角が僅かに上がったのが分かった。どうやら、気分を損ねてしまっていないようで一安心。
壁に掛かっている時計を見てみると、針は午後2時半近くを指していた。4時間以上眠ったのか。
「病院でもらった薬のおかげか結構眠れたよ」
「眠れることはいいことよ。辛いと眠れないときもあるし」
「そうだね。……向日葵。すまないけど、体温計を取ってくれるかな。テーブルにあると思うけど」
「体温計……あっ、これね」
「ありがとう」
向日葵から体温計をもらって、僕はゆっくりと起き上がる。朝には感じていただるさもなくなっており、体調が良くなっているのだと実感する。
体温計を腋に挟んで、体温が計り終えるのを待つことに。
「そういえば、向日葵はいつ家に来てくれたんだ?」
「15分くらい前かしら。2時くらいにサカエカフェに行って。ここに来る途中にコンビニでプリンを買ってきたの。撫子ちゃんに聞いたら、桔梗はお腹を壊していないし、プリンも普通に食べるって教えてくれたから」
「プリンを買ってきてくれたんだ。ありがとう」
「いえいえ。こういうときはプリンやゼリーを食べるのがいいと思って。あたしも体調を崩したときはそういうのを食べるし。甘くて冷たいから、何だか元気をもらえるの」
「分かる気がする」
母さんや撫子が食べさせてくれたなぁ。
そういえば、撫子が熱を出したときも、お腹の調子が悪くなければ、プリンやゼリーを僕が食べさせてあげたっけ。
――ピピッ。
おっ、体温計が鳴った。さて、どのくらいまで下がっているだろう。
「……36度8分か」
「結構下がったじゃない。朝は38度を超えていたんでしょう?」
「うん。頭痛もだるさもなくなったから、このままゆっくり休めば、明日のバイトは行けそうかな」
「……無理はしないでよ」
心配そうに言ってくれる向日葵。つい一週間くらい前まで、僕を鬱陶しいと思っていた彼女がそんな言葉をかけてくれるなんて。感慨深いものがある。
僕が首肯すると、向日葵は微笑み、返事するかのように一度頷いた。
「……ごめん。ちょっとお手洗い行ってくる」
「分かった。あたし、撫子ちゃんに桔梗が起きたことと、熱が下がったことを伝えるわ」
「うん、分かった」
僕は同じ2階にあるお手洗いに行き、用を足す。
こうして立っていてもふらつかないし、ある程度体調が良くなったのだと安心する。今日はこのまま処方された薬を飲んでゆっくりしていれば、明日のバイトには行けそうだ。
部屋に戻ると、向日葵はクッションに座って撫子と談笑している。
「兄さん。体調が良くなってきて安心したよ。……顔色もいいね」
「撫子のお粥と処方された薬のおかげだよ。あとは、向日葵がお見舞いに来てくれたおかげでもあるかな」
「そ、そう? それなら……良かったわ」
向日葵はほんのりと顔を赤くして、僕のことをチラチラと見てくる。照れくさいのかな。気持ちがほんわかとしてくる。
「兄さん。汗掻いてない? タオルで拭いてあげる」
「……上半身だけちょっと掻いているかな。でも、だるさとかもないし自分で――」
「体調が良くなってきたけど、兄さんはまだ病人。こういうときは妹に甘えて。それに私が看病するって言ったんだし」
「……分かった。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「うんっ」
撫子……君は嬉しそうに返事をするね。もしかして、僕の体を拭きたいと思っていたのかな。テーブルにバスタオルが置かれているけど、お手洗いに行く前にはなかったし。
高校生になっても、病気の兄のために何かしたいと言ってくれるのは嬉しい。汗を拭くのは撫子に任せよう。
「……そうだ。向日葵、これから服を脱ぐよ。上半身だけだから、僕は向日葵が部屋にいてもいなくてもいいけど」
「ほえっ? まあ、上半身だけなら別に部屋から出なくてもいいわ。プールや海に行けば、男性の上半身の裸体は自然と視界に入るし! 別に大丈夫! 嫌だと思ったら手で顔を隠したり、部屋を出たりするから!」
顔を真っ赤にしながら言われると、あまり大丈夫には思えないんだけどな。あと、裸体って。厭らしく感じる。
向日葵の意向も聞いたので、僕はクッションに座って寝間着の上着とインナーシャツを脱ぐ。
「じゃあ、まずは背中を拭くね」
「うん、お願いします」
撫子にバスタオルで背中を拭いてもらい始める。バスタオルが柔らかくて結構気持ちがいいな。こうしていると、撫子に看病してもらっているのだと実感する。
「兄さん。こんな感じで拭けばいい?」
「うん。気持ちいいよ」
「良かった」
それからも撫子に背中を拭いてもらう。本当に気持ちがいい。
テーブルに何かが入ったコンビニの袋が置かれている。プリンを買ってきたって言っていたからそれかな。
あと、クラスメイトの女子に見られていると思うと、段々と恥ずかしくなってきた。その女子……向日葵の方に視線を動かすと、
「こ、これが桔梗の……」
依然として顔が真っ赤だけど、向日葵は僕の方をじっと見つめていた。嫌なときの対処法も言っていた割にはガン見じゃないか。今の向日葵を見ていると、海やプールでは男性の上半身を意図的に視界に入れているんじゃないかと思ってしまう。
ここまで見つめられていると、恥ずかしさが吹き飛ぶ。
やがて、向日葵と目が合う。すると、向日葵は目をまん丸くさせて「ひゃあっ」と可愛らしい声を上げた。
「いや、その……えっと……」
「……じっと見られるのは予想外だったよ」
「……い、意外と筋肉がついているなと思って。桔梗ってスラッとした見た目だから、細身なイメージがあって。男達から助けてくれたときに抱き寄せられたけど、あのときは制服着ていたし……」
「なるほど。小学生のとき、いじめられていた撫子を助けたことがあって。男子だったからボコボコにして。それを機に、撫子に守れるように体を鍛え始めたんだ。といっても、最近はあまり運動しなくなったけど。ただ、バイトしているのが筋力の維持に少しは繋がっているのかなって思ってる」
「……なるほどね。とっても桔梗らしい理由だと思うわ」
向日葵は呆れ気味に笑いながら言った。
「まあ……いい体しているんじゃない? あと、肌ツヤがいい感じ……」
そう言って再び僕の上半身をじっと見始めた。女の子に肌を褒められると嬉しい気持ちになるな。
撫子を助けた例の一件以降は、撫子がいじめられることは一度もないが。例の一件があってからすぐに、僕の友人や撫子の友人曰く「加瀬撫子には恐い兄がいる」という話が学校に広まったらしい。それが撫子へのいじめが起きていない一因だと考えている。
「兄さん、次は前の方を拭くよ」
「うん、よろしく」
撫子が拭きやすいように、僕は体勢を変える。
いじめから助けてもらったときのことを思い出しているのだろうか。撫子はとても嬉しそうな笑顔を浮かべて、僕の体を拭いていたのであった。
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