第49話 僕は、それでも幼馴染みの前で、カッコよくありたい。 ③
それから先のことは、あまり思い出したくない。――もう散々な目にあったのだから。
まず、なんやかんやで結局その場から動けるようになったのは5限目の途中だった。
意図していなかったと言えば当初の思惑もあるわけだしウソになるけれど、僕の努力もむなしく結果的にサボることになってしまったため、無理やり理由をでっち上げる事になった。
この件の張本人でもある我が愛しの幼馴染みはというと、あの後、動けるようになるやいなや大層ご立腹のようで、ずんずん大股で歩きながら一体どこの調子が悪いのかいささか疑問なのだが、ブーたれたまま、ふんと鼻を鳴らし、バカと言わんばかりに目一杯のあっかんべえ。わざわざ着いてきた僕を、無残にも廊下に残したまま、勢いよく保健室のドアを閉めやがった。
ピシャリと音を鳴らすドアを目の前に、当然ながら溜息が出た。
確かに、女の子相手に体重云々の話は御法度だと思うし、そこは重々反省している。
言い訳になるが、日頃から暴飲暴食の目立つ彼女が、まさか自分の体型をそこまで気にしていたとは考えもしていなかったというのが本音だし、これからはこの手のネタには気をつけようと誓ったほどだ。
だけど、そうは言ってもこの状況下。残された僕の立場も少しは考えて貰いたかったというのも本音で。
だから、こんなことなら、僕一人、教室まで駆けていけば良かったのではと頭をよぎったのは否定しない。
実際、アイツを置いて自分だけでも助かろうとか、そういう考えはその瞬間に思い浮かびはしなかったのだけど、流石の僕だってこの仕打ちには思うところくらいはある。
毎回毎回、僕が素直にアイツのワガママを聞いてあげるのは、彼女の為にも良くないのではないだろうか。一度心を鬼にして、突き放してみる事も必要なのではと、またもや僕の中の悪魔が楽しそうに耳打ちしてくる。
……まぁ、無理なのだけど。
例えば、仮に、アイツが歩けるようになったあの時、僕が『それじゃ』と踵を返し、ひとりで教室へと向かったとする。
間違いなく、面倒な未来に行き着くだろう。きっと、物理的に僕はその日のうちに酷い目に遭わされるだろうし、さらには精神的な仕打ちが今日だけで終わるとも限らない。
小さな頃――あれは確か小学生の低学年か。近所の夏祭りで、おばけ屋敷へと興味津々ふたりで入ったとき。まだ小さかったわけだし、正直なところ、おばけ屋敷をなめていた。
その時も、『おばけなんていないのよ。怖がるヒトの意味がわかんないわ』なんて、そう言う彼女の前でまさか恐いからやめようよとは言えないからさ、カッコ良いところを見せようなんて考えていたのを覚えている。だけど、簡易的とはいえ、おばけ屋敷だ。想像を遙かに超える、あまりの恐怖に僕は駆けだしてしまって。
ふと彼女とはぐれてしまったことに気がついて、ちっぽけな勇気を振り絞り急いで引き返してはみたものの、とっくに彼女は腰を抜かした上に、へそを曲げてしまっていて。
『うらぎりものっ! 』
ついさっきまであれほど強がっていたくせに、よっぽど怖かったのだろう。僕の手を握ったままビービー泣くばっかりで、それしか言えないロボットのようになったアイツを、それはもう何時間もかかって大変な思いで宥め賺したのだから、あの時の苦労を思い出すと、もうこりごり。
だから今回も、アイツはこちらの顔など見たくないといった態度をとってはいるけれど、いざ僕が着いてこないとなれば、いよいよご機嫌の斜め具合も角度が付きすぎてエラいことになるだろうし、なによりも、
『……』
あの目が卑怯なのだ。一言もしゃべらずに、ただ拗ねたようなあの目。まるで、アンタのせいなんだからねと、そして、アタシの気持ちくらいわかってるでしょと、そう言わんばかりで。
あんな目で見られては、心底惚れた手前、もう何も言えなくて。ほんとに惚れた方の負けとは、昔の人も上手いこと言ったモノだ。
だから、僕としてはわかりましたよと、アイツの気の済むまで付き合うほか無い。
こんな感じで今回もまた、なんだかんだと保健室まで付き合ってしまうのだから、きっと僕は、これから先も彼女に頭が上がらないのだろう。
まぁ確かに今回は僕が悪いわけだし、幾分こちらの配慮が足りなかった場面も多く見られたが、だからといって尻に敷かれっぱなしというのも、男としてそれもどうかと考えはする。
けれど、
『――彼女の具合が悪くなってしまって、保健室に連れて行きました』
これは、職員室で僕が言った言葉である。アイツを道連れにするという事も出来たろうに、甘いというか何というか。今回もまた、なんだかんだと言いながらも、結局のところ僕はこういう役回りを買って出てしまったわけで。
もちろん目の前には、あの数学教師が椅子を軋ませながら、禁煙パイポをひと咥え。
そして、一言、バキバキに血走った眼を見開いたまま、
『……いい根性しとるのぉ』
目には見えない謎の圧力に、『命だけは助けてください! 』そう叫びかけてしまう。
体感で五度ほど、部屋の温度が下がったように思えた。
端から見るだけでもあれほど怖かったのだから、当事者になった今、恐いなんてものではない。足は小さく震え、次々と冷たい汗が滲んでどうしようもない。
それなのになぜ、と笑う人もいるだろう。
だけど、決して根性は無いのだけど、それでも彼氏として、大好きな彼女を守るのだと、格好つけすぎだろうとどこからともなく石が飛んできそうだが、今の心持ちとしてはそういったしだいなわけで。
『それになぁ、それじゃお前が授業を丸々サボった理由にはなっとらんぞ? あ? 』
煙草臭のキツい、濃いめの息を顔面に浴びながら、これが本職のメンチを切るというものなのかと、僕はますます震え上がってしまう。
あぁそうだ。それも理解している。この言い訳では、一切、僕が授業に出ない理由になっていないのだ。
昼休みの終わりに女子をひとり保健室に連れて行きました。じゃあ、そのあと急いで戻れば、少しの遅刻で済んだのではと、そう言いたいのだろう。
でも、一から十まで正直に言うわけにはいかないのが、非常に辛いところでして。
まさか、バカ正直にアイツが立ち上がれるようになるその時まで、コアラのしがみつくユーカリの木のようにじっとされるがままでしたなんて、こんな職員室の真ん中で、こんな強面の前で、言う勇気は僕には無い。
まだ僕たちは学生なわけで、この部屋にいる人たちはそんな生徒達を指導する立場。そんな中、まるで不純異性交遊を行ったかのようなことを口走ればどうなるか、そんなの火を見るより明らかだ。
だから、僕はない頭を振り絞って、足を震わせながら、なんとか出た言い訳がそれだったのだからもうジタバタなんか出来やしない。
もう少しクールかつクレバーな受け答えが可能なら、その後の顛末も多少は変わったのかもしれないけれど、――ご多分に漏れず、比喩や大げさではなく、それから僕は地獄を見た。
まるで背後から銃口を突きつけられたかのように、ただ言われるがまま入った別室で、数十分に及ぶ筆舌にしがたい口撃のあと、目もくらむような課題を仰せつかり、挙げ句の果てには、
『絶対に、授業の前までに提出しろ』
『え! 』
こんなにも顔を引きつらせたのはいつ以来だろうか。なんせ、次の数学は、明日の1限目だと記憶していたのだから。
そんな。
無理だ。
できっこないよ。
他教科の課題もあるんだぞ。徹夜コース確定だとしても終わるかどうかわからない。そんなの無茶苦茶だと、卒倒しそうになりながらも、せめて放課後までになりませんか。僕は懇願しようと試みた。いや、試みたのだけれど、
『あ? 』
『いや、はい、……ガンバリマス』
『今日の遅れた分を取り戻すんだ、人の倍はやれ。それにな、』
お前の人生なんだからな、それくらいやって当然だ。
もう一度、超至近距離でメンチを切ってくる数学教諭を前に、視線をそらしながらも、その拳に浮き立った血管の筋が目にとまり、僕はただただ片言でヤレマスヤリマスヤッテミセマスと呟くことしか出来なかった。
幸か不幸か、別室から漏れ聞こえた怒声にいろいろと察してくれたのだろう。担任教諭からは特に何もお咎めなしで済んだわけだが、それを差し引いてもずいぶんと高い買い物だったと思う。
……結局、放課後まで保健室でサボり続けたどっかの幼馴染みは、ボロボロに打ちひしがれた僕を、昨日のように靴箱で待ってくれてはいた。
だけど、こちらの顔を見るなり一瞬頬を緩ませてくれたんだけどな。――思い出したように、ぷいっと、まだまだアタシは怒っているのよアピール。
『いい加減、機嫌直してくれよ』
『ふんっ』
鼻息荒く、あとは帰り着くまでだんまりを決め込むつもりなのだろう。そのくせ、僕の隣を肩が当たりそうな距離で歩くのだから、本当に素直じゃない。それなのに、いつまでプンスカとヘソを曲げ続けるつもりなのか。ったく、
『……ネチっこいんだよなぁ』
こんな目に遭えば、小言の一言くらい言いたくなるだろう。でも、後々のことを考えて、顔を逸らしてアイツに聞こえないように言ったつもりだったんだけどね、
『あら、ゴミが付いてるわよ? 』
口を開いたと思えば、含むような悪い笑みを見せ、まったくゴミなんてどこに付いているのか。――やおら僕の脇腹を力任せにつねりやがった。
『痛いなんてもんじゃないっ! 』
昨日の古傷にダイレクトアタック。
何すんだよ! こんな時ばかりしっかり反応しやがって。お前は今、僕を無視してるんじゃなかったのかよ。やるならやるで初志貫徹しろ。
なんて、言いたい放題言ってしまえば、それこそ大炎上待ったなし。アイツの怒りの炎に油を注ぐどころの話では無い。
だから文句を言いかけたのを、ぐぅっと唸るように我慢したというのに、この野郎。まったくとんでもないヤツだ。馬鹿にしたようにベーっとまた舌を出しやがった。
こうなると、少しだけ疑ってしまう。
あの昼間の雰囲気はいったいどこに消えてしまったのだろうかと。もしかすると僕だけが見た白昼夢の一種なのかもしれない。僕の寂しい心根が生み出した幻覚の一種。そう考えれば今のコイツの態度も納得が――と、くだらないことを考えながらも、前方から来る、一台の軽自動車に目がとまる。
『ほら、車だ』
ケンカの途中ではあるけれど、狭い歩道だからと、いつものようにアイツを引き寄せ、車が通り過ぎるのを待つ。
『……ふんっ』
苦々しい顔で、いつのまにやら僕の腕を抱いて、ばつが悪そうにまたもやアイツは鼻を鳴らした。
『……まったく』
その妙にチグハグな様子に、僕もやれやれと溜息を一つ。
まぁ、今日一日を振り返っても、そして、今までを思い返してみても、言いたいことは山ほどあるし、もしかすると今日あった踊り場でのアレは幻覚かもと疑いたくもなる。
だけど、急に態度が変わってもやりにくいだけか。いざ、いつもどおりの平常運転じゃないと、一体どうしたのかと調子が狂うってモノか。と、そう思いなおすことにしよう。
そもそも、突然コイツがしおらしくなったり遠慮したり、ワガママを言わなくなったりしてみろ。どこか具合が悪いのかもと、そう僕は邪推するに決まっている。
変に心配して焦って、そしてまた明後日の方向に物語を進めてしまい、またもやバカみたいな失敗をしてしまうかもしれない。
たとえ、ふたりの関係性が幼馴染みから恋人に変わっても、お互いの性格が劇的に変わるわけでは無いし、それこそ別人に変わるわけでも無いのだから、結局いつものように、くだらない諍いが絶えない僕たちは、どこまで行っても僕たちなのだと、そういう事なのだろう。
うだうだと言い訳のような言葉を繰り返してはみたが、ようするに僕は、いつものコイツが好きなんだ。ワガママで泣き虫で意地っ張りな、そんなコイツに心底ベタ惚れなわけだ。
アイツが僕の事をどう評価して、それがこれから彼女の中でどう変わるのかはわからないけれど、僕のアイツに対するこの想いだけは、きっと変わらないと思うし、変える予定も無い。
なんて、彼女の暖かさを右腕に感じながら、この感情を何というのだろうか。諦めと嬉しさが同居するような、そんな溜息交じりの笑みがこぼれた。
とりあえず言えるのはただ一つ。本当に、今日は疲れた。
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