第48話 僕は、それでも幼馴染みの前で、カッコよくありたい。 ②
『――となると、善は急げよっ』
もうあと10分も経たずにチャイムが鳴るだろう。
あぁ、泣いたわ。なんて、目をこすりながら、彼女は笑う。さっきまでの涙をいったいどこに置いてきたのだろう、今からのお出かけが楽しみで仕方ない様子だ。その顔を見ると、僕も、つられて吹き出した。
『サボるのは決定事項なのか? 』
『もちろんよ』
アンタもいっしょだからね。
彼女は瞳をキラリと輝かせ、昔から変わらない、イタズラを思いついたチビっ子ギャングを彷彿とさせる笑顔のまま、言い切った。
この顔をした時、彼女の腹はすでに決まっている。こうと決めたら一直線。例え何があろうとも突き進むのみだ。
僕としては、もう少しここでのんびりしていたいなと、あまりの居心地の良さに名残惜しくもあった。だけど、このスイッチが入ったコイツは止められない。
なんて、そう思っていたのだけれど。
『……もう少しかな』
『どうした? 』
ふと、彼女が呟いた気がして、聞き返す。立ち上がろうとする雰囲気まで感じたのだが、おかしな事もあるもんだ。てっきり僕を引っ張って階段の一つや二つ駆け下りそうなものなのに、彼女は腰を上げはしなかった。
その代わり、
『あの喫茶店はね、ケーキがひとつおまけで付くの』
相変わらず僕の腕に抱きついたままで、彼女は嬉しそうに話しはじめた。パッと上げたその顔でわかる。きっと出てくるケーキをあれやこれやと思い浮かべているのだろう。
僕としては、店員にホントにあのワードを言うのかとすでに恥ずかしさを感じているわけだが、
『やっぱり、言わなきゃダメなのか? 』
『当然でしょ。無料でケーキがもらえるんだから、それくらいはやんなきゃ』
今は苺の季節だから楽しみね。そんな嬉しそうな表情をされると、僕からは何も言うことは無い。代わりに、どうせ僕の口には入らないだろうと、こちらとしては苦笑い。
そんな僕の心の声が表情からどう伝わったのだろうか、彼女はしばしうつむいて、ようやく顔を上げたと思ったら、露骨に困った表情をしてみせた。
『一口。……ううん、二口くらいなら譲渡してやってもいいわ』
いや、でも、おまけだから小さなケーキかも、やっぱり一口……。急に下を向くもんだから、いったいどうしたんだと身構えたけど、なんだそりゃ。とんでもない回答が帰ってきたもんだから、僕は少しだけいじわるな声色を出してみせる。
『ケチめ』
『……せめてスイーツ好きと言いなさい』
『大食漢』
『はぁ? 』
失礼しちゃうわね。一転して不服そうな面持ちで、こちらを睨めつけてきたもんだから、僕も負けじと睨み返す。
まつげの長い、形のキレイな瞳が僕から目をそらさない。バチバチと火花を散らせているのならこっちとしても本望だ。吸い込まれそうになる気持ちをぐっと抑え込みながらも、絶対に先に目は逸らさないぞと、――まぁ、一応、ふんばりはしてみたんだけどな、――たまらず吹き出してしまった。
『なに笑ってんのよ』
『なんでだろうな』
結局、いつもそう。僕らふたり、この手の空気が長くは続かないのだ。
つられたように彼女も破顔一笑。何が面白いのか、そのまま二人でひとしきり笑い合う。
『なんか、結局こうなるのよね』
小さな頃からケンカのあとは、いつもこんな感じ。コイツからは決して謝りはしないんだけど、表情や素振りの一つ一つが彼女の心情を雄弁に伝えてくる。
だから、僕はその姿を見て、何だか謝罪されたような心持ちになってしまって、ついには謝っていない自分自身の方が、酷いヤツなのではと思ってしまう次第で。
僕は、もう一度、アイツの頭を撫でる。
彼女の瞳が、星を散らせたように輝きを増す。優しく目を細め、ふにゃっと顔をほころばし、アイツはまたもや、にへへと笑った。
これが出会ったときから変わらない、僕たちの仲直りの合図。過去、何度も行ってきた一種の儀式みたいなもの、……なのだが。
彼女の手が僕の頬に触れる。
『苺みたい』
真っ赤っか。そう、意地悪にアイツが小さく笑うもんだから、僕は、何も言えなくて。
どうしたことだろう。この特殊な環境のせいか、はたまた特別な関係性となったせいか。今日は一段と、彼女の顔が可愛く見えてしまい、そのいつもと違う雰囲気に、なんだかどうも気恥ずかしい。
僕は、慌ててアイツの視線を躱し、誤魔化すように顔を背ける。熱くなった自分の頬を人差し指で掻きながら、えーだのあーだの、特に意味の無い声を発しながら頭の中から言葉を探した。
『……そういえば、次の授業ってなんだっけな』
でも、あれだけ探してみたものの、出たのはこんな的外れなセリフ。話を逸らそうという姿勢がバレバレで。
アイツも、僕が狼狽するところが見られてご満悦なのだろうね、色々なモノを含んだ笑顔で、
『古典でしょ』
『いや、古典は6限目だろ? 』
『そうだっけ? 』
あれれ、となるとなんだっけ。
ちょっとした肩すかしをうけたまま、今日は火曜だから、と、二人揃って本日の時間割を頭の中に思い浮かべていく。えっと、一限目が、現代文だったから。なんて、二限目、三限目、四限目とアイツが指折り数えてる仕草を見せて、
――そして。
『『 あっ!! 』』
はっと、反射的にお互いの顔を見合ってしまう。同時に、彼女の顔が一瞬でブルーハワイもかくやと言うほどに青ざめた。
もちろん、僕もアイツと同じ顔色をしていただろう。
なんせ、次の授業は、我が校の虎の尾。
決して騒がせてはいけないと、そう全校生徒が認識している、あの厳しいことで有名な、 “ 数学 ” なのだ。
担当するのは、通称 “ ゴリラ ” で名をはせている、生徒指導の有名人。
何が厳しいって、間違ったことや曲がったことは絶対に許さない。もしそんなことが起きようものなら、鬼の首をとったかのように激しく恫喝してくるタイプなわけで。
もちろん理不尽なことでは怒らない。だけど、例えば、今回のように特に理由なく遅れようもんなら、超特大の雷が落ちる。
それがまぁ怖いのなんの。
勢いも怖いのだが、何よりもあの顔が怖い。どう見ても反社会的な御方なのだ。なおかつそれでいて、体格もそれこそゴリラのような見事な逆三角形だし、なぜか時代錯誤のパンチパーマという点においても、その雰囲気を倍加させ抜群に怖い。
ただ、授業は懇切丁寧でわかりやすく、放課後も残って勉強に付き合ってくれるなど、見てくれに合わない真摯な対応をしてくるもんだから、間違っても嫌われている訳ではない。だが、それを補って余るほど、とにかく怖いのだ。
ちなみに、野球部の顧問なので、もし野球部員がそんな粗相をしようもんなら、その時に限り、容赦なくぶん殴る。一度、同じクラスの野球部がその剛腕に吹き飛ばされたのを見て以来、彼女は特にあの先生を恐れていて。
『……アタシね、あの時。ダメだ! あの男子死んだ! って思ったわよ』
その日の帰り道、彼女が青ざめた顔で、そう言ったのを覚えている。
とにもかくにも、先ほどのアイツの言葉を借りるわけではないけれど、善は急げだ。あと残された時間は、おそらく5分ほどしかないのだから。
間に合うか。いや、間に合わないか。でも、それでも間に合わせるしかない。
さっきまでの穏やかな雰囲気なんてどこに消えてしまったのやら、これが、学生に染み付いた悲しい習性か。はたまた脳裏にこびりつく、あの惨劇のせいか。遅刻をしてはダメだと、頭ではなく体が覚えてしまっているのだ。
泣きはらした顔がどうのこうのとか、サボってお茶するだとか何だとか、アイツは楽しみにしていただろうけど、もうそんなこと言っている場合では無い。
僕は、考えるより先に身体を動かした。まずは素早く弁当箱を片付け、あとは全速力で駆けるのみ。
二人して廊下を走るとなれば、多少の悪目立ちはしてしまうだろうけど、そんなの天秤にかけるまでも無い。それほどまでに、僕は、あの先生が怖いのだ。
だから、泡を吹くように、隣でしがみついたままの彼女に言った。
『やばい、急ぐぞ! 』
――それなのに、
『……無理』
アイツは首を横に振って、
『むりぃ』
青ざめた顔のまま、絞り出した声と共に僕の目を一心不乱に見つめてきて。
――はじめは、一度決めたんだからと、絶対にサボってお茶したいのかと、そう言いたいのかと、僕は思った。だから、少しだけ声のトーンを落として、
『いいのか、……あの人、男女関係なくいくゾ? 』
決して彼女を脅すつもりではない。もちろん、さっきの喫茶店の話が立ち消えるわけではない。あとで、絶対に埋め合わせはするから。だから、どうか今だけはワガママを言わないでくれ。
そう、あの先生は、男女で区別しないのだ。確かに野球部以外には鉄拳制裁など絶対にないだろうが、その分、生徒指導という建前上、ある程度の恫喝は仕方がないのだろう。
以前、ピアスの跡がある先輩女子への指導を、たまたま目にしたことあるが、その光景はさながら処刑場。その時の震える女生徒の顔は、まるで地面の上で押さえつけられ、ただ日本刀が振り下ろされるのを待つかのような、まさに土壇場のそれだった。
そんなもの、こいつに受けさせてなるものか。僕がそう思うのも当然だろう?
だけど、アイツは首を横に振るんだ。顔は青を通り越して白くなっているのに、一切立ち上がろうとしない。
もうあまり時間がないっていうのに、なにをそんなに意固地になることがあるのか。
僕も焦りから少し言葉尻が強くなってしまって、
『怒られてもしらないからな! 』
せめて立ち上がらせようと、少し強引にアイツの腕を引っ張ったんだ。
――そこでようやく気が付いた。
中腰になる彼女の身体――腰から下にまったく力が入ってないことを、そして、次の彼女の言葉で、
『……こ、』
こ?
『……腰が抜けた』
思わず、僕まで腰が抜けそうになった。
『も~! なにやってんだよ! 』
あとは、いつものドタバタ活劇である。
『だって、だってぇ……』
アンタにフラれたと思ったから。なんて、もうアイツは半泣きで。彼女曰く、いったんどん底までたたき落とされて、それでいて一気に安心したもんだから、気がつくと腰が抜けていたとのこと。
さっき感じた違和感はこれだったのかと僕は顔に手を当てて天井を見やる。コイツは、立ち上がらなかったのではなくて、立ち上がれなかったのか。
とどのつまり、昼休みのあの一件からずっと、コイツは僕に抱き着いてたのではなく、倒れまいと必死にしがみついていたのが正解で。
『そんな理由あるかぁ? 』
僕はあきれてため息しか出ない。
『あ、あるんだから仕方ないじゃないの! 』
彼女は恥ずかしいやら焦りやらで、もう何が何だかわからない表情になっていて。でも、例えそうだとしても、どうにかせざるを得ない。
僕だけならともかく、コイツをあんな絞首台みたいな舞台に立たせてしまっては、間違いなく精神衛生上良くない。ずっと優等生として歩んできた幼馴染みである。先生に激しく怒られた経験がほとんど無いと言ってもいいだろうし、しかも、今回の相手があの凶悪な顔の御方なのだから、きっとアイツはしばらく塞ぎ込むだろう。そしてその間、僕は対応に困る事になるだろう。
『とりあえず、おんぶくらいなら……』
こうなれば仕方が無い。動けないのならこうするより他がない。
その一言に、アイツも雲の隙間から顔を出したお日様よろしく、ナイスアイディアと言わんばかりに親指を立てた。
きっと目立つだろうけど、教室まで、まさか引きずって行くわけにもいかないし、そもそもそんなことをしていれば、間に合うモノだって間に合わなくなる。それに、男として、女子の一人くらい抱えれずしてなんとする。である。
弁当箱などは、最悪ここに置いていこう。こんなの盗むヤツはよほどの変わり者だろうし、どう足掻いても僕はコイツ一人抱えるので精一杯だろうから。
よし。と、僕は気合いを入れた。無理矢理絞り出した、最後の空元気。
ここは屋上扉の前だから、実質四階となる。そして僕たちのクラスが隣棟の一階だから、走るまでいかなくとも可能な限りの早歩きで行けば……。
早く早くと、まるでおんぶをせかすチビっ子のように彼女は身振り手振りしてくる。してくるのだが……
『……いや、やっぱり無理だな』
やはり、どう考えても成功率が低すぎる。
『なんでよ! 』
だって、そんなこと言われても。
僕は、弁当箱を片付ける手を止めて、あらためて思案した。
我が愛しの幼馴染は、何気に背が高い。170近くある僕より、ほんの5センチほど小さいくらいだから、
『階段の途中で転がり落ちると思うぞ、多分』
そんなことになったら悲惨だ。ふたりしてもみくちゃになりながら落ちるんだぞ。漫画やアニメなら痛いの一言で済むかもしれないけれど、現実にはそんな軽い話ではない。大ケガどころか死んでしまう可能性すらある。だから、僕ひとりだけならともかく、コイツといっしょとなると、こちらとしては、この移動方法は却下せざるを得ないわけで。
それでも彼女は、躊躇しない様子で食い下がる。
『男なら、女の子の一人くらい余裕で運びなさいよ! 』
無茶言うなよ。
これを見ても同じ事が言えるのかと、そう言わんばかりに、僕は自慢の細腕を見せびらかすしかない。
『もう! もっと鍛えときなさい! 』
日頃から、意識を持ってやってないからダメなのよ。なんて、コイツのおっしゃる通りなのだから耳が痛い。
でもな、お前のためなら筋トレくらい望むところなのだけど、やってないんだから仕方ないだろう。今この場では、別の方法を考えるしかないじゃないか。
『とにかく一度おんぶしてみなさいよ』
トライ&エラー。やってみないとわからないわよ。意外と羽のように軽いかもよ。
いやはや、やってみずともわかる気がするけれど、彼女がそう言うもんだから、――仕方ない。
『お前、今、何キロある? 』
『は? ……はぁっ!? 』
そこまで言われれば、僕も男だ。プライドの一つや二つある。でも、コイツを怪我させるとなれば話は別だ。だから、対象物の重量を把握し、その上で冷静に対応することが大切だと考えたんだ。
もしかすると、コロンブスの卵のように、おんぶ以外の何かがひらめくかもしれない。
『間違いなく60キロ近くはあるだろ? 』
『ろ、ろくじゅっ! 』
ふたりの身長差から鑑みて、僕の体重引くのこれくらいで、まぁ、50キロちょっとなのは間違いない。ただ、想定は広めにとっておくべきだろうから、やはりそれくらいだと考えるべきだろう。
そして、もう少しわかりやすく対象を置き換えて考えると、よく見る2リットルのペットボトルで約30本ぶん。
『10キロの米袋で、……約6袋か』
米袋換算のほうが、つい先日、母親からのお使いに行かされたばかりだからわかりやすいか。
『あ、アンタねぇ……』
あの時は10キロが一袋だけだったけど、自転車の荷台に括り付けて帰ってきたくらいには重かったから、あれを六つ背に担ぐのか。当然、それよりも少し軽いという計算ではあるけれど、そうしたとしても、やっぱり、
『――重すぎるな、無理だ。ははは、重すぎる』
もはや、乾いた笑いしか出てこない。どう考えても不可能だ。約束された絶望を目の前に、なんなら少し楽しくなってきた。これは、ちょっとした自暴自棄のようなモノか。
――もっと軽くならないのか?
だからかな、こんな言葉を発してしまったのは。
まったく今更ながらに痛感する。
『んがっ』
と、妙な声を出し絶句する幼馴染を前に、コイツ何やってんだと疑問符を浮かべていたのだから、いやはや僕というヤツは救えない。
僕としては、女の子は持ち物が多いからさ、携帯や財布以外で、身につけたモノを少しだけでもここに置いていけないだろうかという、そんな程度の意味合いだったのだけれど、――次の瞬間には、真っ赤な顔で、ぶるぶると、まるで怒りに打ち震えるような雰囲気を身に纏った彼女がそこには居た。
……あ、マズイ。
僕の頭の中で警報が鳴り響いたもんだから、その時になってようやく自分の発した言葉の凄惨さに気がついた次第でして。本当に、悪気は無かったんだと、手遅れだろうけど弁明させて貰いたい。
そして、そのあとに滑り出た言葉も、本当に失礼な意味では無かったんだ。あの、色々と焦り散らかした場面だったという点も考慮して欲しい。
とは言ってみたものの、本当に苦しい言い訳だとは思う。なんせ、その次に僕の口から出たのは、
『べ、別に、お前が周りの人よりデブだとか、太ってるとかそういう意味じゃなくて! 以前より少しだけふっくらしたような気がするのを、今言いたいわけでも無くて! ただ単純に――』
『――最っ低っ!! 』
ここで僕は人生二度目となる、彼女からのグーパンチを顔面に食らうことになった。
座っていた分、以前に比べて痛くはなかったんだけど、今はそれどころでは無い。
無情にも、彼女の上ずった声と同時に、聞きたくない音が聞こえてきた。
あの鐘の音がこだまする。
『な、夏までには痩せる予定なんだからっ!! 』
――どうやら頑張りもむなしく、僕たちを置き去りにしたまま、地獄の始まりを告げるかのように、恐怖の5限目が、今、始まってしまったようだった。
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