貴族の結婚

藍生蕗

序 ー妻とは政略結婚ー


 伯爵位を継承すると同時に結婚するようにと、父から言いつかった。

 それが勅命によるものだとは、言われなくても分かっていた。


 リカルド・エルトナとオリビア・セイデナルの婚姻は婚約期間二ヶ月という短期間で結ばれた。

 セイデナルの家は没落寸前の男爵家であり、オリビアの両親は今回の婚姻をいたく喜び、リカルドに感謝していた。

 当たり前だが持参金も無く、支度金の殆どは実家に融通されたようで、花嫁の衣装は楚々としたものだった。


 この勅命はリカルドへの第二皇子による嫌がらせの一つだと言う事は知っている。

 公には皇族による魔術の素養を高位貴族に根付かせる政策。このままでは魔術の扱いは平民の方が長けているという図式が出来上がるという危機感から、婚姻に皇族が口を出すようになった。当然だが高位貴族からは強い抵抗がある。


 だが婚姻にしても魔術の素養についても皇族に全て委ねる事は貴族院としても看過できないそうだ。そしてリカルドは伯爵であり、高位貴族という程でもない。

 また婚約者も先を約束した恋人もいない事から、そんな大義名分を当て擦られるのにも都合も良かった。


 隣で黙って佇む花嫁を見たところで、その様子はヴェールに隠れ分からない。神父に誓いの口付けを促されたが、リカルドは必要無いと首を横に振り、さっさと結婚証明書にサインを済ませた。花嫁がヴェール越しにじっとこちらを見上げていたが、気にならなかった。


 ◇ ◇ ◇


 新婚の初夜にまるきり放って置く訳にもいかず、リカルドは夫婦の寝室に足を運んだ。別に初夜を遂行する為では無い。こんな気持ちで夫婦の契りを結ぶ気にはなれないからだ。


 かといって別に花嫁が悪い訳でもない事は分かっている。ただリカルドの感情が追いつかないだけだ。

 そんな事を考え、ノックと共に扉を開けてリカルドは瞠目した。

 身繕いをした妻がちょこりと床に座り込んで待ち構えていたからだ。


「な、何をしているんだ」


 思わず上擦った声が出る。

 妻は────オリビアは、にこりとリカルドに笑いかけ、両手を揃えて平頭した。東洋文化────土下座?


「旦那様、旦那様に別に恋人がいた事、私は聞いておりました」


「────は?」


 妻の唐突な行動に虚をつかれ、思わず間抜けな声が出た。

 けれどそんなものは意に介さない様子で彼女は話し続ける。


「それでも我が家の窮地を救う為に、あなたとの婚姻はとても断れない……いえ、何としても成功させたい案件だったのです」


「……」


 急にがばりと顔を上げるオリビアに、リカルドはびくりと肩を跳ねさせる。


「しかしこんな不毛な時間は直ぐに解消させますからご安心ください。では私はこれから出掛けますので、後はよろしくお願いします」


 何を言っているのかさっぱり分からない。

 そういえば短い婚約期間中も片手で足りる程度にしか会っていないし、何を話したかもほぼ覚えていない。正直リカルドも押し付けられたこの婚姻に前向きでは無かったし、彼女を気にかける余裕も無かった。


 そういう意味では人となりを全く理解しないまま結婚したと言える。勅命と、元家長である父の命令だったから。


 リカルドが呆然としている間にもオリビアは、よっこいしょと近くに纏めてあった荷物を背負い込んだ。

 よく見ると夜着では無い服に外套を羽織っている。


「どこに行くんだ」


 外はもう暗い。しかも一応今日は初夜だ。……いや、自分がこれを言うのは間違っているような気もするが。


「え?魔術院です」


 何を当然の事をという顔でオリビアが返す。


「こんな時間にか?」


 正直人目を忍んでやましい事でもしにいくのでは……それならこんな堂々と出て行かないか。しかし、こんな夜更けに……。

 リカルドは思わず額を抑えた。


「時間なんて関係ありません。私は研究したい時にしたいのです。それにもう少しですから」


「もう少し?」


 なんとなく耳が拾った言葉を問い返す。


「私たちがお互い幸せになるまでです。旦那様」


 にっこりと笑う妻の言葉が通じなくて頭痛がしてきそうだ。


「では行って参ります」


 すたすたと寝室から出て行く妻の背中────正確には荷物しか見えなかったが────を、リカルドは呆然と見送った。

 ドアが閉まる様を見ていたら急にムカムカと腹の中から苛立ちが湧き上がり、勝手にしろと大声で叫んでいた。

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