居眠り姫
中田カナ
第1話
授業中にふと隣の席を見ると、今日も彼女は居眠りをしている。
あいかわらずの可愛らしい寝顔に僕も癒される。いくら見ても見飽きない。
今の授業は講師が一方的にしゃべるだけで学生に何か答えさせたりすることはないから、そっとしておいても問題はない。それにバレたところで強く叱られることはないだろう。彼女は居眠りしていても成績は常に上位を維持しているし、第三王子たる僕の婚約者なのだから。
また今日も授業中に居眠りをしてしまった。
休み時間になって目が覚めたら婚約者である隣の席の殿下に
「おはよう。よく眠れた?」
と笑顔で言われてしまった。午後の授業なんですけどね。
殿下には『読書好きで読み始めると止まらなくてつい夜更かしをしてしまう』ということにしてある。
だけど本当の寝不足の原因は我が家の特殊な事情にある。
表向きは侯爵家として領地の管理や各種事業を運営しているけれど、裏の顔は王室公認の退魔師一族なのである。王国に害を成すこの世のものではないモノを討伐するのがうちの役目。ちなみに害を成さないモノは放置が基本。だってめんどくさいしキリがないから。
そんな裏稼業があるので我が家は世間ではできるだけ目立たないことをモットーにしているのだが、私は第三王子殿下の婚約者という注目される立場になってしまった。以前、お父様に問い詰めたことがあるが、
「王室からの打診を断れるわけがないだろう」
と、ごもっともな回答をいただいた。ちなみに我が家の子供は私と妹だけなので、殿下が婿入りすることが決まっている。本当にいいんだろうか…?
婚約者との親睦の機会を定期的に設けることになっており、休日の今日は彼女の家の茶会に招待されている。
「殿下、ようこそおいでくださいました」
淡いピンク色のドレスを身にまとった彼女が笑顔で迎えてくれる。
だが僕にはわかる。今の彼女は明らかに疲れている。
二人きりでお茶を楽しみながら学院での授業や友人達のことなどを話す。話題が外国のめずらしい花のことになったので、彼女に庭の散策を提案してみる。
彼女をエスコートして庭をめぐる。王宮の庭に比べたら小規模だけれど、不思議と落ち着く感じがいい。庭師の腕がよいのだろう。
庭の片隅にある東屋で一休みすることにして彼女を隣に座らせる。東屋から見えるのは咲き誇る庭の花々と雲ひとつない青空。
「せっかくだから鳥の鳴き声を楽しもうか」
と彼女に告げてしばし会話を止める。
やがて彼女は僕に身体を預けてきて小さな寝息をたて始めた。僕の肩に彼女の頭が乗ってきて、ほんのりといい香りもしてくる。
庭の花々を見ていると、彼女と初めて出会った時のことを思い出す。
まだ小さかった頃、僕は母に連れられて行ったガーデンパーティの会場で気分が悪くなった。人ごみの中で母を見失い、庭の植え込みの陰でしゃがみこんでいると、同い年くらいの女の子がトコトコとやってきた。
「肩に乗ってるモノは追い払ってあげるね」
女の子はしゃがむ僕の背後に立つと、服についたゴミを払うように肩をササッとなでた。
そのとたん、気持ち悪い感じがきれいさっぱり消えた。
「…あ、あの、ありがとう」
「どういたしまして」
女の子は淑女の礼をしてにっこり笑った。
「ねっ、あっちに美味しいお菓子がたくさんあるから食べに行こう?」
女の子に手をひっぱられてパーティ会場へ戻った。
帰りの馬車の中で女の子のことを母に話したら、しばらくして僕の婚約が決まった。後になって知ったことだが、母親同士が昔からかなり親しかったらしい。婚約の挨拶で再会した女の子は残念ながら僕のことを覚えてはいなかった。
…そんな昔のことをぼんやりと考えながら、僕は彼女が目を覚ますまで枕役に徹していた。
私は本当にダメな婚約者です。
ありえないことですが、殿下とのお茶会の途中で眠ってしまいました。
本来なら昨夜は討伐に参加する予定はなかったのだけれど、想定外の難敵が出現したとの報告があり、急遽支援に駆けつけることになった。明け方までにはなんとか片付いたけれど、お茶会の準備などでわずかな仮眠しか取れていなかった。
そして庭の東屋でポカポカ陽気と会話が止まった気の緩みでついうとうとしてしまっていた。目が覚めてから殿下に平謝りしたけれど、
「貴女があまりに気持ちよさそうに眠っているから起こせなかったよ」
と笑っていた。でも、一眠りしたら気持ちもスッキリして身体の疲れまで抜けたような気がした。再びテラスで一緒にお茶してから殿下は帰っていった。
我が家が退魔師一族であることはごく一部にしか知られていない。いつか殿下には明かさないといけないとは思うけれど、そもそも話したところで信じてもらえるのかしら…?
昨日からの雨が今日も降り続いている。
隣の席に彼女はいない。体調を崩して今日は休むとの連絡があったそうだ。
こんなことは初めてで、彼女のことが気になってしまって授業の内容も級友達との会話も全然頭に入らない。
一日の授業を終えてからお見舞いの花と焼き菓子を買い、彼女の家へ駆けつける。急な訪問だったが彼女の母が出迎えてくれた。
「たいしたことはないのだけれど、せっかくいらっしゃったのですから上がっていってくださいませ」
案内されて彼女の部屋へ向かう。考えてみれば彼女の部屋へ入るのは初めてで少し緊張してしまう。
ノックすると返事があったのでドアを開ける。僕に気づいた彼女がベッドから起き上がろうとしたのであわてて止めた。
「貴女が体調を崩したと聞いて驚いたよ。大丈夫?」
ベッド脇にあった椅子に座りながら話しかける。
「ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません。貧血みたいなものなので、数日安静にしていれば治るそうですわ」
確かにベッドに横たわる彼女の顔色はよくなかった。こんなに弱っている彼女を見るのは初めてで、とても辛い気持ちになる。
「明日もまた来るよ。何か欲しいものとか食べたいものはある?」
「とんでもございません!先ほどお花とお菓子をいただいておりますわ」
ふと視界に入った彼女の手を握る。
「早くよくなってね。貴女がいない学院はさびしいよ」
「はい…殿下の手は温かいですね。なんだか落ち着きます」
微笑んだ彼女はやがて眠りに落ちた。彼女が気づかないようにそっと手を離す。
本当はいつまでも離したくなかったけれど。
昨夜、初めて仕事で大きなミスをした。味方を助けようと大怪我をしてしまった。
お父様が私に怪我を負わせたモノをすぐに討伐してくれて、後方に控えていたお母様の治癒魔法で傷は跡形もなく消えた。
だけど怪我の痛みによる精神的なダメージは残るし、出血で失った血液までは回復できない。お父様に抱きかかえられて帰宅したけれど、どうにも身体が重く感じられてベッドから起き上がれず、学院は休むことにした。
午後、突然殿下がお見舞いにやってきてくださった。その手には私の好きな花と焼き菓子があった。
私を見る辛そうな表情にものすごく申し訳ない気持ちになる。
この仕事を続ける限り、またこんなことが起きるかもしれない。殿下に辛い思いをさせたくない。
今はあまりに眠くてお話しもできないけれど、治ったら打ち明けなくっちゃ…。
彼女の体調も無事に回復し、休日の今日は彼女を王宮に招いている。
母が外国から取り寄せためずらしい植物の花が咲いたので見せたかったのである。
まずは温室で咲いている花を観賞する。庭師の説明にいちいち驚く彼女がとても可愛らしい。
花を愛でた後はテラスでティータイム。
「殿下、今日は折り入ってお話がございます」
いつになく真剣な顔の彼女。
「ん、何かな?」
「あの…私との婚約を解消していただきたいのです。本当に申し訳ございません!」
そう言ってガバッと頭を下げる彼女。
「理由を聞いてもいいだろうか?」
うつむいたまま彼女は答える。
「私は殿下に隠していることがございます」
「それはもしかして退魔師のことかな?」
ガバッと顔を上げた彼女の目は驚きで見開かれていた。
「ごめんね。実は知っていたんだ」
「いつから…?」
戸惑いの表情を見せる彼女。
「婚約する前から。貴女は覚えていないようだけれど、子供の頃にガーデンパーティで肩に憑いていたモノを祓ってもらったんだ。母に話したらどこの家の娘さんかすぐに気がついて、あっという間に婚約までこぎつけてしまった。もちろん母も貴女の家の裏の顔のことは知っているよ」
母は王妃だから侯爵家の裏稼業のことももちろん知っている。
「先日体調を崩したのも仕事の影響でございます。そしてこれからも危険と隣りあわせでしょう。だから殿下にご心配をおかけしたくないのです。だから婚約は解消を」
「貴女は私達の婚約の理由を知っているかな?」
彼女の言葉をさえぎって問いかける。
「え?」
「僕も貴女に隠していたことがある。実は僕には治癒魔法の資質があるんだって。今はまだ力不足だけれど、学院を卒業したら貴女のお母上に本格的に指導を受けることになっている。優れた治癒魔法の使い手である貴女のお母上のように、退魔師を陰から支えていくつもりだ」
目を丸くする彼女。
「貴女とともに戦うことは出来ないかもしれない。けれど僕はいつでも貴女を支えていきたい。だから婚約解消なんて言わないでほしい。今までもこれからも、ずっと一緒だよ」
大きな彼女の目から涙がこぼれ落ちる。
「…はい、殿下」
僕は泣く彼女も可愛いと思ってしまった。
そして彼女は今日も授業中に居眠りをしている。
本当は治癒魔法で彼女の疲労をなくすことも出来るけれど、今はよほどの時しかやらない。
だって可愛い彼女の寝顔を見ていたいから。
居眠り姫 中田カナ @camo36152
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