第12話 選べ(回想)

 15歳の誕生日の前日、オルト村に王宮からの使者がやってきた。

 村では一番立派だが、王宮に比べれば物置小屋のような族長の家で、再び王の使者を迎える。


「レイフ・セレスタ・オルトマールーンを、ラシルラ城伯に叙する。以上、これは王命であり、速やかに執行されるべきである」


「謹んで拝命いたします」


 今日までレイフの後見人である族長が代わりに王の命令書を受け取る。


 なぜレイフが成人する明日ではなく、今日なのかと族長も不思議に思うが、まあ、そんなことはいい。明日にはお役御免だ。前回使者を迎えた時の心持ちに比べれば、なんと気楽なことか。 


「族長、城伯ってことは、ラシルラは私の領地になるってことなのか?」


 使者の見送りが済み、村へと戻る道でレイフが言う。


「そうなんじゃろ。レイフも貴族様じゃな」


「ええ? なんか面倒くせえな。族長にやるよ」


「馬鹿もの。王命により賜った位を勝手に他人にやれるわけがなかろうが」


「しかも、なんで今日なんだ? 私が成人するのは明日だ。日付間違えてんじゃないか? 教えてやればよかったのに」


「王宮がそんな凡ミスするとは思えん。何か意図があるんじゃろ」


「平民には難しいな」


「レイフはもう貴族じゃ。城伯様じゃぞ」


 はっはっは、と族長は笑う。


「他人事だと思って」


 レイフは恨みがましい視線を族長に送った。


 翌日、今度は大寺院の使者が、何の前触れもなくやって来た。レイフは戸惑いながら族長と共に大寺院の使者を迎える。


「お迎えにあがりました、神子よ」


 レイフは族長と顔を見合わせる。


「あ、えっと…」


 レイフは恐る恐る口を開く。


「私はラシルラ城伯だから、勝手に領地を離れられないんだけど」


「なんですと!?」


 使者の顔色がさっと変わる。王宮に出し抜かれたことを知り、使者は歯噛みする。


「失礼ながら、叙任の命令書をお見せいただけますか」


「こちらです」


 族長が昨日王宮の使者から手渡された命令書を持ってくる。

 族長から受け取った命令書を、使者は穴が開くほど、睨みつけると言った方が正しい雰囲気で見る。その日付は昨日だ。王宮が横槍を入れてくると思っていなかった大寺院は、完全に裏をかかれた形となった。平民であれば大寺院の権力でいかようにもなるが、貴族を王宮の許可なく大寺院の役職につけることはできなかった。


「承知いたしました。このことは大寺院に報告いたします」


 使者は憎々しげに言い放つと、手ぶらで帰っていった。

 その後姿を見送って、レイフが大きくため息をつく。


「こういうことか」


「王宮は、大寺院が今日、レイフを神子として連れて行こうとしているのを知っていたんじゃな」


「危なかった。いやまあ、その気になりゃ逃げられるけどさ」


「どこに逃げても、大寺院の千里眼がいる限りは無理じゃろ」


「あのじいさんな…」


 レイフは一度だけ会ったその僧侶のことを思い出して苦笑した。

 千里眼とは、レイフの存在を言い当てた、大寺院の僧侶だ。闇の属性を持ったその僧侶の占いは、外れることがない。ただし、千里眼は既に起こったことしか占うことはできない。それは彼が未覚醒の闇の来訪者だからだ。闇の来訪者は過去を「視る」ことができる。対して、光の来訪者が未来を「視る」。ただ、未来はさまざまな要因で変化しうるのか、遠い未来になると、ぼんやりとしたことしかわからなかった。また、千里眼は過去を視る力を意図的に磨いてきた者だが、レイフは特段未来を視ることに気を配っていないため、自分の意思で未来を視ることはほとんどなかった。


「千里眼を出し抜くとは、王太子殿下もやるのう」


 族長は笑った。


「我々は振り回されっぱなしじゃがな」


「ほんとだよ」


 レイフも笑うが、すぐに笑いを引っ込めて真剣な顔になった。


「どうした?」


「戦車が塔に戻ってくる。王太子の精霊も一緒だ」


「おお、王太子殿下をお待たせするわけにはいかん。もう行け」


「じゃあな、また来るよ」


 レイフはドラゴンを呼ぶと、塔へ戻っていった。


 ドラゴンの背中の上から、天を駆けてくる光の戦車が見えた。塔には僅かにレイフの方が早く着く。


「どうしたんだ? 急に来て」


「大寺院の使者は来たか?」


 王太子の精霊は笑いを隠しきれないといった顔をしている。悪戯がうまくいった子どものようだ。


「ああ。悔しがりながら帰ってったよ」


「明日あたり、王宮に血相を変えて抗議しにくるだろうな。楽しみだ」


 精霊はにやにや笑う。


「大寺院が今日私を連れに来るって、知ってたのか?」


「大寺院が動くとすれば、今日しかないと思っていた。しかし、あまりに早く爵位を与えすぎると千里眼に気取られてしまうしな。そなたと族長も騙し討ちにしたようになってしまって済まなかったが」


「族長はもうお役御免になるのが見えてたから、気楽なもんだったよ」


「そうか。それならいいが」


 精霊は一旦言葉を区切って、レイフの目を見た。


「…なんだよ」


 王太子の顔に見つめられて、レイフはどぎまぎする。


「ひとつ確認したいのだが」


 精霊はそう言って少し間を置いた。


「レイフは、大寺院の神子になるつもりはないのだな?」


「ない。まったく」


「しかし、このまま逃げ切れるわけではないことは分かっているか?」


「…無理なのか?」


「正式に、大寺院から王宮にそなたの神子への就任要請があれば、王宮は拒否できない。その理由がないからだ」


「理由」


 レイフは顔を曇らせる。


「そうだ。建前上、大寺院は王宮と同格の権威だ。大寺院からの要請を突っぱねるためには、それ相応の理由が必要だ」


 どう考えても、王宮がレイフを神子の地位につけることを拒否する理由はありそうになかった。今まで国境紛争の解決には何度となく力を貸してきた。あとは、天候くらいであれば意識的に視ることができるので、今年の農作物の出来だとか、疫病の流行だとか、そんなことを視て協力してきた。しかしながら、それくらいのことは神子の地位にあってもできる。戦だって、レイフ本人が行ってはいけないということなら、精霊を行かせればいい話なのだ。王太子に光の戦車を貸している今の状況と変わりない。

 レイフは押し黙った。


「大寺院の要求を突っぱねるための策がひとつだけある」


 精霊は言う。

 レイフは救いを求めるように、精霊の顔を見上げた。


「王太子妃になることだ」


「…」


 レイフは言葉を失う。突きつけられた究極の選択に、頭の中がめちゃくちゃになって考えがまとまらない。


「でも、私は平民で…」


 自分で言ってハッとする。今のレイフは、法の上では平民ではなかった。


「城伯の地位があり、今や国じゅうが知る、竜を従えた守護者が王太子妃となって、何のおかしいところがある?」


「お前には既に2人お妃がいる」


 王太子は去年、同盟国であるトゥーマ王国の第1王女を正妃に、今年になって、最近同盟国となったルフィル王国の第3王女を第2王太子妃に迎えたばかりだった。

 国の繁栄と王家の存続は、王家に生を受けた者の責務だ。レイフもそれくらいのことはわかっていた。


「ああ、そうだ」


 それがどうかしたか、と言いたげな精霊にレイフは唇を引き結ぶ。


「選べ、レイフ。唯一無二の大寺院の神子か、数人のうちの1人である私の妃か。私がそなたにできる提案は、これくらいしかない」


 もう1人の王太子である精霊は、レイフに別の選択肢があることをもちろん知っていた。この国を捨てるという選択肢が。だが彼はこの国の王となるべき者だった。レイフにその選択肢を示すことはできない。

 それに、と精霊は王太子の思考をなぞる。あの日、見た瞬間心を奪われたこの光り輝く美しい魂を、どうして自ら手放すことができるだろうか。自らの狭量さに、精霊は仄暗い笑みを浮かべた。


「王太子」


 考えこんでいたレイフが顔を上げて精霊の方を真っ直ぐに見た。


「あの日、私に言ってくれたことは、まだ有効か?」


「何のことだ?」


「私が望めば、月でも星でも贈ってくれるというのは」


 それは5年前に同じ場所で精霊がレイフに告げたことだった。


「無論だ」


 精霊がうなずくと、レイフは心を決めて引き結んでいた口を開いた。


「お前のお妃になる。そして私は、自由がほしい」

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