第10話 第3王太子妃にしてラシルラ城伯また精霊使いの守護者
レイフは17歳になっていた。王の使者が最初に村にやってきたあの日から、7年が過ぎた。第3王太子妃にしてラシルラ城伯また精霊使いの守護者、というのが今のレイフの正式な肩書きだった。
しかし、暮らしているのは相変わらず泉の守り塔であり、彼女が王太子妃であることを知るのはごく一部の者だけだった。王太子は、魔王討伐を果たした精霊使いの守護者であって、一代限りの爵位とはいえ貴族となったレイフが正式に王太子妃となるのは何らおかしいことではないと言ったが、レイフは大々的にお披露目されたり、ましてや王宮に住まうことは望まなかった。王太子は、レイフが望むものを何でも与えるとの言葉どおり、彼女に自由を与えた。その点はレイフも感謝していた。王太子がレイフを守ってくれなければ、今頃大寺院の奥深くで昨日と今日の区別もつかないような単調な日々を送っていたことだろう。レイフはその感謝を、王国の守護者としての働きで表した。
レイフは久しぶりに我が家である塔に帰った。
「ありがとうな、ドラゴン。国じゅう飛び回って、疲れたろう」
レイフはドラゴンの背からひらりとバルコニーに降りる。
「これくらい、何でもない」
最近ラシルラの泉に住み着いたこの竜の子どもは、レイフの光の魂をすっかり気に入ってしまい、レイフに付き従っている。光の眷属である竜の子どもは、光の来訪者であるレイフにその名を与えた。竜族は、他者には明かさない真の名を持っている。魂の伴侶か、主人と認めた者にのみ与えられる真の名を、この竜はレイフに与えた。ドラゴンというのは、レイフが与えた、誰でも呼べるニックネームのようなものだ。
「お前は強いな」
レイフはドラゴンの鼻先を撫でてやる。ドラゴンはうっとりと目を閉じた。大きな犬みたいだ、とレイフは思う。
「お前が姿を見せれば、大抵の戦は始まる前に片がつく。死霊になる者も腐った魂になる者も現れない。どちらの側にも。いいことだ」
「俺は役に立ってるか、レイフ」
「ああ。役に立ってるどころの騒ぎじゃない。王国がここ数年大きな戦もなく平和で豊かになっているのは、お前の力も大きい」
ドラゴンは翼をひと振りすると、宙をくるくる飛び回った。
「レイフ、光の来訪者にして俺のあるじ。役に立てて嬉しい。愛している」
「私もだ。愛しているよ、ドラゴン」
ドラゴンは嬉しそうに塔の周りを1周して、泉の方に飛び去っていった。
ドラゴンにはこんなにも自然に言えるのに。
居室に入ると、身につけていた簡易な鎧を外す。本当にこれで体を守ろうなどとは思っていない。戦場に立つためのパフォーマンスだ。重いだけの鎧より自身の精霊の方がよっぽど役に立つが、精霊の力を知らない者にもわかりやすくアピールする必要がある、と言ったのは王太子だった。
1人で着脱できるように特別にあつらえられた鎧を外すと、従者の姿になった精霊が運んでいく。それは火の精霊で、頭部は猫だが首から下は人間だった。背丈はレイフの胸ほどで、身体つきからも男か女かは判断できないが、服装は王宮にいる少年従者のものだった。祭りで用いられる、頭部をすっぽり覆う被り物をつけた子どものように見える。何の変哲もない茶トラの猫だったが、その目だけは燃えるような赤だった。
水の精霊が現れる。青い目のカワウソの頭部をした少年従者だ。服装は火の精霊と全く同じ。
「ああ、そうだな。ちょっと休もう。ほんとはすぐに報告書を出さなきゃいけないんだが、お茶飲むくらい構わないよな。うん、私はよく働いた」
言い訳するように自分で自分を労う。
水の精霊と火の精霊が連携プレーでお湯を沸かし、黄色い目の狐の頭部をした土の精霊がお茶を淹れる。緑の目の鷲の頭部をした風の精霊が、タルトが乗った蓋付きのサービングスタンドを運んでくる。
「ありがとう」
レイフは順番に精霊たちの頭を撫でた。
行儀がいいとは言えないが、お茶を飲みながら簡単に第一報を書く。正式なものはまた後日きちんと提出するとして、まずは王都の将軍に、隣国の国境侵犯については、相手方が兵を引き上げたことにより解決したこと、しかしながら国境付近の水源地については隣国も領有権を主張しているため、今後も小競り合いが繰り返されることが予想されること、国境警備の人員を増やすべきことをしたためた。
「お前、この手紙を王都のシェル将軍に届けてくれないか」
手紙に封蝋を捺して、風の精霊に手渡す。
精霊はうなずくと、鷲の姿になって、手紙を掴んで上空へと舞いあがった。羽ばたいて気流に乗ると、鋭く旋回して姿を消した。
タルトをつまみながら、森を渡る風を眺める。自由など手に入らないと諦めていたのに。レイフにとっては、それは月や星よりも手に入れ難いものだった。それが手に入るなんて。
「これで隣の国も諦めてくれるといいんだけどな。最近戦車にも乗れない。そろそろどこか、新しい無人島でも探しに行きたいと思わないか」
レイフは獣の頭部をした従者たちに話しかけた。精霊たちは表情を変えずにレイフをただ見ている。
「あーぁ、早く戦車返してくれないかな。もう、誰の精霊なんだか」
レイフは椅子の背もたれに身体を預ける。
戦車の形をした光の精霊は、ずっと王太子に貸したままだった。正確には、王太子の精霊に。
王太子の精霊と光の精霊は、西の国境付近に出陣していた。そちらも小競り合いが続いている。今回は北と西から同時に攻め込まれた形となった。北のカルスト王国はドラゴンの出現により戦意喪失し、総崩れになったところを国境まで追い散らした。対して、西のフルールフェルト王国に対しては苦労しているようだ。
空の一点に鷲の姿が現れ、さっと気流に乗って部屋の中に滑りこんでくると、従者の姿に戻った。
「えっ、王太子が?」
風の精霊から伝言を聞いてレイフは戸惑う。
「ドラゴン帰しちまった後だよ」
王太子からの伝言は「王宮に参じ、戦果の報告をせよ」とのことだった。
「いつも報告書で済ませてんのに、気が向いた時だけ呼びつけないでもらいたいな」
ぶつぶつと文句をいいつつも、レイフは楽しそうだった。
「湯浴みの用意を頼む。王宮に行くのに汗まみれ埃まみれじゃな。うん。お偉方にも会うんだしな。うん」
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