第9話 拝命あるのみ

 自分を駆り立てたあの感情の名前をなんと言うのかレイフは知らなかったし、10歳になった今も知らない。


「守護者レイフ・セレスタ・オルトマールーン、先の魔王討伐、誠に大義であった。褒美として、オルト村にはラシルラの泉及び王家の森を取らせる」


 王の言葉を、オルト村にやってきた使者が読み上げる。村で最も立派な族長の家、と言っても王宮の一室に比べれば物置小屋のような場所で、レイフと族長は平伏して言葉を受けた。ラシルラの泉は、オルト村の麓の森にある。地下から清らかな水がこんこんと湧き出ている、貴重な水源だった。周辺の森も含めて王家の直轄地である。それをオルト村に下賜するとのことだ。


「また、守護者レイフ・セレスタは、ラシルラの城代とし、今日より後は王国の守護者となる」


(なんだそれ)


 レイフには何が何やら、ちんぷんかんぷんだった。ちらりと隣で平伏している族長を伺うが、族長も困惑している様子だった。


「以上、これは王命であり、速やかに執行されるべきである」


「謹んで拝命いたします」


 族長が平伏したまま言う。

 レイフは平伏したまま眉根を寄せる。

 城というのは、泉の守り塔のことだろうか。泉から町へ引いている地下水路の途中に建っている塔だ。かつては水路の管理人のような者が住んでいたのかもしれないが、今は無人の廃墟だ。あれを? あれがそもそも王家のものだということも知らなかったし、城だとも思っていなかった。魔物やら死霊やらが住む悪魔の砦だと村の子どもたちは言っていたような。しかし、城だと王の使者が言うからには、朽ちかけた廃墟であっても城なのだ。世の中とはそういうものなのだ。最近色々なことがわかってきた。もう大人だ、とレイフは自画自賛する。


 使者の見送りが済み、族長はようやく人心地つく。村から守護者が、それも精霊使い初の光の守護者が出たことは喜ばしいし、名誉だ。しかしそれもこれも、傍観者だからのんきに言っていられるわけで、当事者としてコトに当たる族長は気苦労に次ぐ気苦労だった。


「なあ族長、『じょうだい』って何だ?」


「王に代わって城を管理する者じゃ」


「私はあの悪魔の砦に住めばいいのか?」


「そのようじゃが…わしにもよくわからん」


 族長は困りきって頭を掻いた。レイフの後見人となって以降、大寺院に行ったり王に拝謁したり、族長は実際の年齢以上に老け込んだ気がする。気の毒だったがレイフにはどうしてあげようもなかった。両親が他界し、まだ子どものレイフには後見人が必要だったし、守護者の後見人となると親戚の年長者では足らず、族長自ら務めなければならない。


「よくわかんないものを『拝命』しないでくれよ。それに『王国の守護者』って何のことなんだ」


 レイフは文句を言う。


「知らんよ。仕方なかろう。王のお使者に『何ですかそれ』と聞くわけにもいかんのだから。下々の者は黙って拝命あるのみじゃ」


「なんだよ頼りねえな」


「そう言わんでくれレイフ。わしとてもう、いっぱいいっぱいいじゃよ」


 族長は肩を落とした。気のせいではなくまた老けこんでいる。


「でも、泉と森もらえてよかったな。これでもう密猟しなくて済む」


 レイフは笑った。


「人聞きの悪いことを言うな。ちゃんと許可は取っておるわい」


 族長は額に浮かんだ汗を拭いながら言う。


「ふうん。じゃあちょっと行ってくる」


「どこへ行くんじゃ、ただでさえややこしい時に!」


 族長は必死に取りすがる。


「どこって、悪魔の砦だよ。もらったんだから、見るくらいいいだろ」


「勝手にせい、と言いたいところじゃが、あの塔は長らく手入れもされておらなんだから、どこが崩れるかわからんぞ。気をつけるんじゃ。土の精霊を出しておけよ」


「わかった」


 レイフは光の戦車を出すと飛び乗り、天に駆け上がった。


***


 泉の守り塔を近くで見たのは初めてだった。石造の塔は風雨にさらされて薄汚れ、蔦が絡み付き、悪魔の砦にふさわしい様相を呈していた。入り口の扉は木製だが、長らく放置されていたために朽ちている。巣食っているのが死霊や魔物ならば問題ないが、どちらかというと盗賊の寝ぐらになっていた方が厄介だな、とレイフは思う。さすがに生きている人間を殺したことはなかった。

 レイフは土の精霊を現す。足元に、大きな耳、つぶらな瞳、ふさふさの尻尾の小さな狐が現れた。

 扉から入ろうとしたレイフの前に立ちはだかる。


「危ないのか?」


 狐は上を見た。


「そうするよ」


 レイフは狐を抱き上げると、戦車を駆って上空から見えたバルコニーに近づいた。

 塔の最上階に戦車をつける。バルコニーは戦車を停めるには狭かったので、空中に静止させた戦車から飛び降りる。

 中は思ったよりずっと綺麗だった。バルコニーにつながる掃き出し窓のガラスはまだちゃんと嵌っていたし、内部も荒らされたような形跡はない。家具や調度品こそなかったが、持ち去られたわけではなさそうだった。


「そうだな。土の精霊の気配がする。うまく隠されてたんだ。ここに来るまでわからなかった」


 レイフは土の精霊を石の床に下ろす。鍵などはかかっていなかった。狐は床を走り回った。


「住めと言われれば住めそうだな」


 広間のドアを開けると、廊下、階段、その先にもう一つ扉があった。

 狐が大きな耳を動かすと、嬉しそうに階段の方へ駆けて行った。その先にいる者の存在に、身体が硬くなる。


「よしよし。お前には初めて会うな。器用に色んな姿を取るものだ」


 現れたのは、黄金色に輝く土の精霊だった。


「王太子」


「贈り物は気に入ったか?」


 狐を抱いたまま、王太子の似姿である土の精霊が微笑む。


「あの意味不明なお使者はお前の差金なのか? 族長が困ってた」


「なぜだ。わかるだろう。わかれ」


 腕の中の狐を撫でながら精霊が言う。


「私たち平民には意味不明だ。まあ、森と泉をくれるってことだけは、わかった」


「本当は、そなたに城伯の地位とこの塔を与えようとしたのだが、そなたはまだ成人前ゆえ、爵位を与えるのは成人後ということにして、まずは城代に任じた。今のそなたに城伯の地位を与えても、後見人の負担になるだけだから」


 狐の姿の精霊はすっかり王太子の精霊に気を許して、大人しく抱かれている。自分の精霊が王太子の姿の精霊に抱かれて優しい眼差しを向けられているのを見ると、まるで自分自身がそうされているかのような気がしてくる。


「私はここに住めばいいのか? それとも村にいて、時々様子を見にくればいいのか?」


「どちらでも。しかし、村にいても腫れ物扱いなのだろう? ならば、ここにいればいい」


 精霊は狐の眉間のあたりを指先でくすぐっている。狐はうっとりと目を閉じて身を任せている。

 痛いところを突かれて、レイフは押し黙った。


「住むために必要なものは私が手配しよう」


「え? でも…」


「レイフは権力の何たるかを知らないようだ。私が命じれば、それくらいのことは明日にも可能だ」


 精霊は狐から目を上げて悪戯っぽく笑った。


「なあ、お前って『優良物件』なのか?」


 レイフはふと思い出して尋ねる。


「誰だ、そんな不敬なことを言うのは」


 王太子と同じ顔の精霊は苦笑する。


「ヴィラント」


 この前封印した、魔王と呼ばれていたネクロマンサーの名前を挙げる。


「あの者か」


 精霊は苦笑したまま言う。


「それで? 魔王の推薦でレイフは、この『優良物件』の妃になる気になったのか?」


「な、何言って…」


「これではまだ足りない? 他に何がほしい? そなたが望むものを、私は持てる力の全てを使って手に入れてこよう。何がほしい。教えてくれないか、愛しい人」


 精霊は柔らかい笑みを浮かべ、狐を片腕に抱いたままもう一方の腕をレイフの方に伸ばし、プラチナブロンドの髪を一房すくうと、指で梳いた。柔らかでまっすぐな髪は、容易く指の間を滑る。


「お前、ほんと、頭おかしい。こんな風に私のこと、からかわないでくれ」


 喘ぐようにしてなんとか言葉を紡ぐ。


「私は真剣だ」


 精霊の真剣な眼差しに耐えきれず、レイフはそっぽを向く。


「ほしいものなんて、ない」


「残念だ。なんでも言ってくれ。たとえそれが月や星でも。善処しよう」


 レイフは精霊に顔を戻した。


「馬鹿じゃないのか。そんなできもしないこと、望むわけない」


「例え話だ」


 精霊は笑う。

 近くで風の魔術が使われた気配がした。何者かが塔の近くに「現れ」の術で飛んできた。


「迎えが来たようだ」


「迎え?」


「無理を言って、使者を運ぶ魔術師に一緒に運んでもらった」


「何でそんなこと」


「そなたに会いたかった」


 レイフは言葉を失って目を丸くする。

 精霊はもう一度レイフの髪をすくうと、そっとくちづけた。


「愛している、レイフ」


 精霊は腕の中の狐をそっとレイフに返した。


「…そうだ。表の入り口は使うなよ。出るのは構わないが、土の精霊以外が入ろうとすると、罠が発動する」


「…わかった」


 レイフはあっけに取られたまま、土の精霊が去っていくのを見送った。

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