第3話 守護者 1日目

 魔王軍を壊滅させたと思っていたのに、わたくしが「死霊縛り」を解除して解放したのは、約半数ということだった。どれだけいるんだよ、クソッ。

 残り半分も解除しようとしたが、わたくしに見つからないよう、ならず者どもが兵たちをどこかに隠しているらしい。ネクロマンサーの言葉、『解』は効力の範囲がごく狭い。隔絶された場所で使っても意味がない。


「ああもう、誰も彼も、なんと愚かなのでしょうか。わたくしをはじめとして」


 目の前を螺旋を描きながら、乳白色の死霊が舞い上がっていく。魔王の間の天井に向け上昇するにつれ、半透明になり、透明になり、消えていく。

 足元には重くなった死霊がうずくまっている。この死霊は、まだ自らの肉体の形状を覚えている。若い男だ。自らの生前の姿を忘れていないのは、よくない傾向だ。その背をそっと撫でる。死霊の身体がぶるっと震えると、一瞬黒くなる。


「大丈夫。あなたの年老いたお母さまのことも、何も心配ございません。大丈夫…」


 優しい嘘。だが、この者になにができる? 最早死んだ者に。そして魔物でしかないわたくしに。

 死霊が顔を上げる。わたくしは何も言わずにただうなずく。そこに死霊は、自分が読み取りたいものを読み取る。死霊が少し浮き上がる。まだ少し黒さは残るものの、本来の乳白色に近づいてきた。


「ままま魔王様!」


 まろびながらやってきたのは僧侶だった。ならず者4人組の中で、僧侶は唯一わたくしが自ら手を下したということで、一目置かれているとかいないとか。なんだそれ。


「何事です」


 ぞんざいに言う。ならず者どもには、最低限しか話しかけるなと命じている。なので、この者にたちが私に話しかける時は何かあった時と相場が決まっており、結果第一声は必ず「ままま魔王様!」なのだ。


「城の、城門の前に口の悪い幼女が」


「だから何だと言うのです。『やーい童貞粗チン野郎』とでも言われたのでございますか?」


「あ、いえ、そういうアレでは…」


「それなら『おとといきやがれ、このつるっぺた』くらいのこと言い返しなさいよ」


「いえあの、ですから。城門の、前に」


「うん? 城門の前、でございますか?」


「ええはい。城門の前に」


「口の悪い幼女が」


「ええはい。口の悪い幼女が」


「1人で?」


「ええはい。1人で」


「周辺に人の国の軍勢が潜んでいるのでは?」


「いえ、確認しましたが、完全に1人です」


「そういえば、毒の沼やら植物の魔物は?」


「魔物は焼き払われ、沼の毒は結晶化して取り除かれました」


 幼女1人でふらっと来られる場所ではない。何者かの、おそらく人の国の軍の手引きがあったはず。口の悪い幼女とやらをここまで送ってきた軍勢は、仕事を終えてさっさと引き揚げたというわけか。まあ、置いておいても死霊になるか魔王軍の配下になるだけだが。

 しかし、沼の毒の件は、王太子の精霊の仕業かもしれないな。王太子くらいの力があれば、本人は人の国にいるままで精霊だけをここに寄越すこともできる。だが、あのお方が幼女をただ1人来させるようなマネをするだろうか。おかしい。何かが。


「…人の国も本気を出してきたというわけでございましょうか。しかし、幼女ひとりこんなところに放り出して、何のつもりでございましょう」


 エゲツないことするなー人間。どっちが魔物だよ。


「ま、とりあえず見てみましょう」


 手を出して魔鳥の鏡を要求する。鏡を覗いて思わず「ヒッ」と声が出る。


 映し出されたのは、白いドレスを着た、光輝くプラチナブロンドの少女。年齢は、せいぜい十ほど。

 胸の下あたりで腕を組み、顎を上げている。ドレスの裾から覗いた爪先は、トントントントン…と一定のリズムを刻んでいる。

 態度が些か気になるが、ぱっちりした大きな翡翠の瞳が印象的な美少女だ。引き結ばれた唇が気難しい性格を物語っている。少し王太子に似ている気もする。翡翠の瞳だからか。

 いやそんなことより。


「ああああなた方は」


 ならず者どものお株を奪う「ああああなた方」。


「あなた方はあれを見て何も感じないのでございますか!? あなた方の目は節穴でございますか!? いえ、正真正銘、節穴でございますけれどもよ!? それにしたってよ!?」


「と言いますと?」


「あれ! あれあれあれは、光の来訪者ではございませんか!」


「と言いますと?」


「アホですかあなたは! 来訪者ったら来訪者でございますよ!」


「と言いますと、あの、お伽話に出てくる、『光の客人』のことでございますか? 光の世界の住人が人の世界に降りてきたという」


「それです! いえね、光の来訪者も闇の来訪者も、未覚醒なら人畜無害な存在でございますがね? しかし残念ながらこの凶悪さ、完全に覚醒しちまってる系のアレでございますよ…!」


 ヤバイヤバイヤバイ。ねえちょっと、王太子殿下、わたくし、やりたいことあるって言ったよね!? 何ガチで殺しにきてくれちゃってんの!? わたくし、一生懸命殿下にお話しいたしましたよね!? 聞いてました!? 耳あるのに酷い!!


「まったくもー…」


 その時、鏡の中の幼女がこちらを見た。否、正確には見たのは魔鳥のはずでわたくしではないのだが、その視線に体中の骨がカタカタ鳴る。


『おい、ヴィラント! 見てんだろ! 出てこい! 出汁ガラにしてやっからよ!!』


「な、なんというガラの悪さ…」


『出てこないなら勝手に入るぞ』


 最後の「入るぞ」あたりに完全に被ったタイミングで、凄まじい衝撃音と振動が城を襲う。正確に述べるなら「出てこないなら勝手に「ドカーン!!!!」」だ。城門を力づくでブチ破ってる。ヤバい。やることがエゲツない。だってわたくしまだ返事してないのに!


「これは毒の沼も人喰い植物も無意味でございますね」


 ズゥゥン…ズゥゥン…と衝撃が伝わり、天井から砂埃がぱらぱら落ちた。


「あなた方、とりあえず魔王軍とやらをお出しなさい」


「えっ!?」


「いや、ですから」


「わ、我々が行くのですか…?」


「もう死んでる分際で今更何を怖がることがあるのでございますか。ああもう。結構でございま…げぇっ」


 鏡を覗いて奇声を上げてしまう。

 そこに映し出されたのは、紛れもなく精霊。


「光の来訪者であるだけでヤバさマックスなのに、精霊使いとか、反則でございましょうーーーー!?」


 王太子も素晴らしい土の精霊の使い手だったけど、光属性だったら、全精霊使えちゃうじゃんーーー!? 何せ、光属性は全ての属性を包括する、上位属性なのだ。ええええ反則過ぎない!!??

 鏡の像の中で、赤の剣、青のランス、緑のクロスボウ、金の投石器が、操る者もないままに縦横無尽に暴れ回っている。城門を破壊したのは土の精霊である投石器だ。投げつけてくる石を自給自足している。ヤバい! ズルい! 卑怯! 卑劣! 何アレ、人間!? いや、光の来訪者!!


 ズゥゥン!


 一際大きい衝撃に城が揺れる。土の精霊の石が城の壁に命中したようだ。一部崩れたのかもしれない。

 椅子から転げ落ちそうになりながら、鏡を覗く。


「げぇっ!?」


 そりゃもう本日2度目の「げぇっ」も出てしまうというもの。暴れ回る武器たちが巻き起こす、もうもうたる砂塵を突っ切り、光の戦車がまっすぐに向かってくる。2頭の光の馬が牽く、1人乗りの戦車に幼女が乗っている。きっとこの世の終焉を告げる天の使者はこんなふうに違いない。

 マジで!? もっかい言っちゃう。マジで!?


「ひ、光の精霊とか…」


 崩れた城壁からわらわらと魔王軍の彷徨える屍体たちが討って出るが、城の外に出るそばから「死霊縛り」が解けて魂が次々天へと飛び去っていく。


「はいいいい???」


 姿見せただけで「死霊縛り」解除しちゃう的な!! 目玉なくてほんと良かった。もしあったら何遍飛んでいってたことやら。

 城の正面玄関から、3体の彷徨える屍体が出てきた。剣士、魔術師、格闘家だ。彼らはわたくし自らが「死霊縛り」を施したからなのか、本人たちの業が深すぎるからなのかはわからないが、戦車を見ただけで天に昇ることはない。四天王とかってイキってるだけあるじゃん、とわたくしはちょっと見直す。

 剣士に赤の剣である火の精霊が、魔術師に水の精霊である青のランスが、格闘家に風の精霊である緑のクロスボウが、襲いかかる。一瞬で彼らは砕かれ、魂が飛び去った。あの者どもも、そこいらの兵士を寄せ付けない程度には強いのだが。


「うーわーひくほど強い…。ねぇ?」


 と僧侶を振り向くと、そこには散乱した骨のみがあった。


「わぁぉ、昇天しちゃってる」


 元、神に仕えていた者に対してこの光の魂は刺激が強過ぎたのだろうか。


「えーっとこの辺に…」


 玉座の下をごそごそして、久しぶりに金属の剣を取り出す。おそらく死霊では太刀打ちできない。実際、死霊はその光に照らされただけでどんどん天に昇っており、魔王の森は霧が晴れるように急速に明るくなっていた。


 鏡の中、腐った魂が火の剣に斬られる。魔王城の庭をずっと彷徨っている、女の魂だ。戦乱の中、幼な子を殺されて、自身も殺された。悲しみが深過ぎて救ってやることができず、腐った魂になってしまった憐れな者だ。しかし、精霊に斬られて真っ二つになった腐った魂は、一瞬の驚いたような表情の後、微かな笑みを浮かべ、透明になり、溶けるように消えていった。救いだ。


「救いが、人の形をしてやってきた…」


 おお、刃よどうか、悲しみを切り裂いておくれ。その内に囚われた者たちを救い出しておくれ。


 わたくしは呆然と鏡を見つめた。

 王太子は、わたくしの野望を引き継ごうと言った。彼は約束を果たした。さすが人の上に立つ者。有言実行すごい。

 しかしまだ足りない。わたくしは、わたくし自身の手で、腐った魂を天に還す法を見つけたい。属人的でない、普遍的な法を。それを使うのはわたくしでなくとも良い。なんなら、人間であればもっと良い。例えば僧侶だとか。

 まだ死ねない。


「人の世が続く限り、腐った魂は生まれ続けるのでございます。そして光の来訪者とて、この世にある限りは人の身。いずれ去らねばならないのでございますから…」


 城の揺れは続いている。

 わたくしは城の大階段を降り、正面玄関から城の外に出た。いずれこの魔王城も崩壊するだろう。


「ようやく出てきやがったな」


 光の来訪者がわたくしの鼻先すれすれに光の馬を寄せる。近い。眩しい。

 精霊使いで光属性ということは、精霊使いの守護者とかいう者だな。光か闇の属性を持つ精霊使いは、守護者と呼ばれ、別格の存在なのだ。大抵は闇属性で、光属性は初めて見た。長く生きてるけど。しかも来訪者。


「城の裏にはわたくしの大切な場所がございますゆえ、その辺でご容赦いただけますとありがたいのですが」


「じゃあさっさと出てこいってんだ」


 幼女、もとい、光の来訪者が戦車の上から言う。ごもっとも。


「ヴィラントだな?」


 顎を上げ、こちらを見下ろしてくる。王太子よりよっぽど偉そうだなこの幼女。


「左様でございます」


「わかった、死ね」


 頭上から火の剣が真っ直ぐ降ってくる。ちょおおおおい! 何か話させなさいよ。間一髪避ける。


「光の来訪者様、あなたはなぜこちらにおいでになったのでございますか?」


「レイフだ。レイフ・セレスタ・オルトマールーン」


 レイフは眉間に力を込めて言う。


「王太子が、お前を殺して死霊と腐った魂を全部片付けたら、なんでも望みを叶えてやるって言った」


「やはり王太子殿下の差し金でございましたか。とんでもない切り札を隠しておいででございましたね。そりゃあ大見得切るわ」


「お前を殺したら、ひと月肉とお菓子しか食べなくていいんだ死ね!!」


 水のランスが真正面から突っ込んでくる。マジかあ。


「お野菜は健やかな身体を保つために必要でございますよ。好き嫌いはいけません」


「知るかそんなもん!」


 ランスの突撃を避けたところにクロスボウから放たれた矢が飛んでくる。第一撃、第二撃を辛うじて避ける。


「そもそも、あなた様は一体何なのでございます。光の来訪者で精霊使いとか! 反則すぎでございましょうよ」


 自分の剣で矢を払う。叩き落としたと思った瞬間、暴風が巻き起こって吹き飛ばされ、城の壁に激突する。やべ、頭蓋骨にヒビ入ったかも。わたくし肉ないんだから、もうちょっと優しくしてほしい。


「私は私だ! 誰も彼も、私を来訪者だとか生ける神だとか言いやがる! うるっせーんだよ!」


 レイフは絶叫する。


「いつご自身が来訪者であるとお気づきになったのでございますか?」


「最初っからだ。最初から、自分が光の世界から来たことはわかってた」


「なんと」


 幼な子にとって、自分が異質の者であるということは、さぞ辛かろうな、と想像する。


「それはお辛うございますね。仰るとおり、あなた様はあなた様でございますよ。異質の者であるということは、人の身にはさぞお寂しいことでしょうね」


 レイフは大きな目をさらに大きくした。


「光の来訪者などと呼んで、申し訳ございませんでした、レイフ様」


「な…。何言ってんだ、お前…」


 レイフの顔がかあっと赤くなる。顔どころか、胸の辺りまで赤い。


「調子が狂った。出直す!」


 手綱を握ると、ギャンッ、と音がしそうな勢いで戦車を反転させる。


「お帰りいただけるので?」


「うるせえばーーーーか!!!」


 戦車の上から振り返りながら叫ぶ。その戦車が空中を駆けあがる。


「マジで?」


 大概なもの見せられてきたけど、この上さらに空飛びます? アリかナシかで言うと完全にナシでございましょうよ。


「そういうところでございますよ! 生ける神とか言われてしまうのはーーー!」


 去って行く光の戦車に叫ぶ。

 そこに、風を切る音とともに投石器から放たれた石が飛んでくる。


「あとコイツら置いていかないでくださいませーーーー!!??」

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