王子様はぬいぐるみ

@tama2022

第1話 始まりは晴海埠頭

夜遅く、晴海埠頭で風に煽られながら、ちひろは思った。

海路なんて選ぶんじゃなかった。

両親が交通事故で死んで、叔父叔母夫婦のところに引き取られることになったけど、お金がないからって船を選んで、晴海埠頭に着いたのだが、ひどい目にあっている。

とにかく海風が強くて寒い。真っ直ぐ進めない。よろよろと数メートル進んでは、体勢を立て直している。しかも、折り畳み自転車を持っている。本当は自転車で行こうと思っていたのだが風が強すぎて進まないのだ。

上京するのに海路を選んで本当に馬鹿だったと思っていた。飛行機の方が早くて楽なのに、ちょっとお金をけちったばかりに、そんなことになってしまった。

Googleマップを見ると、勝どき駅まで徒歩で25分。自転車で8分。

折り畳み自転車だから電車に乗れなくはない。なんとか頑張って、勝どき駅まで行ければ。

進まない自転車を降り、押して進む。

秋の風は容赦なく、ちひろを弄んだ。紙袋のようなものが枯葉に混じって飛ばされていく。手がかじかんで痛い。衣服が風をはらんで、真っ直ぐ前を見ていられない。

ちひろが縮こまり、手に息を吹きかけたとき、それは、ごん、とちひろの頭に当たって落ちた。

一瞬、息ができなくなるくらいの衝撃だった。

「何?」

と思って足元を見ると、かろうじて自転車に引っかかっていたのは変なぬいぐるみだった。

犬のようなウサギのような耳の垂れたぬいぐるみ。

苛立って思わず足で蹴飛ばすと「ギャン!」と鳴いた。

「あれ?」

ぬいぐるみは風の力に負けて、ゆっくりだがコロコロと流されていく。

ちひろは、自転車をその場に横倒しにすると、ぬいぐるみを拾いにいった。

「ーーー今、鳴いたよね?」恐る恐るちひろは声をかけた。

「蹴飛ばしたりするからだ」ぬいぐるみは、ひどいことをされたと言わんばかりだった。

「生きてるの?」ちひろは驚いて言った。

「どうやらかろうじて生きてるみたい」

「かろうじてって、ぬいぐるみでしょ」

「この状態をぬいぐるみというのか。よくわからないが、私を助けてくれないか。喋ることはできても、身体がちっとも動かないんだ」

「助けたいのは山々なんだけど、私も寒くって死にそうなの。自転車とぬいぐるみ両方を抱えて歩いていくなんて芸当できるかな」

「寒さならなんとかできる」

ぬいぐるみはそう言うと、びょうんと伸びて、ちひろを包み込んだ。着ぐるみみたいになった。

「うわーすごい。あったかい。これなら進めそう」

「魔法は使えるんだ」

魔法だか、憲法だかはどうでもいい。この際、なんでもいいから勝どき駅まで行ければいい。

Googleマップによれば、あと15分は歩かないといけない。

「ところで、あなたに名前はあるの?」ちひろはぬいぐるみに問いかけた。

「レアル」

「外国人みたいな名前ね」

「君はなんていうんだい」

「ちひろって言うの」

「ちひろは、どうしてここへ?」

「両親が死んで、叔父さんにお世話になる途中なの。でも、今日はホテルに泊まるつもりで予約を取ってあるんだけど。遅くなっちゃった」

「急ぐのかい?」

「もちろん」

「そうか、じゃあ、ちょっと寒いけど飛んで行こうか。海風がすごいけど、上空はなんとかなりそうだから。自転車を背中にくくりつけてくれれば、飛べるよ」

レアルはそういうと、ニョキニョキと羽を伸ばし始めた。

「背中にベルトを作ったから、それに自転車を挟んで」

ちひろは言われた通りに、した。ぬいぐるみかと思ったら自由自在な材質らしい。

「お腹にくるまってて、前は見えるようにしたから。行くよ」


バササササアッ


レアルは夜空に大きく羽ばたいた。

「レアル、どこに行くかいってなかったと思うけど、有楽町駅だからホテルの場所!!」

ちひろは大きく叫んだ。

「わかった」レアルは最初からわかっていたみたいに返事をした。

ちひろは初めて見る東京の夜景に目を奪われていた。

沢山のビーズが散りばめられているようだった。

「す、ご、い」

海から少し離れて、上空の風は少し穏やかになっていた。

有楽町駅付近に来ると、レアルはだんだん小さくなって、元のぬいぐるみの大きさに戻っていた。

「寒いけど、ちひろを下ろすから我慢してね」

駅の路地裏で、すっとちひろを下ろすと、折り畳み自転車を外すようにちひろに言った。

「レアルって、魔法が使えるのね」

今更ながら、ちひろが言った。

「とりあえず、ホテルにチェックインするね」

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