11 光り輝く

 そして、伊吹はぱちりと目を開けた。


「なんか、死ぬとかじゃなくて、本当に痛くない」


 手が死人みたいな肌色をしているが、伊吹はもともと肌が青白い。


 寝ころんだままの視界で周囲を窺う。


 柚美は玄関の天井を見上げて、わんわんと大声で泣いている。


(さっきの豪雨よりもうるさいわね……

 入院患者の迷惑になりそう)


 絵理子は顔を伏せ、声を殺して肩を震わせている。


 家族の泣く姿は、何故こうも胸を締め付けるのだろうか。


 伊吹は周りの様子を確認し終えると、

 身体の調子も良かったので上半身を起こした。


「ママ」


 アイだけが伊吹の様子に気づいている。


 頬をすりすりしながら、甘えてきた。


 とりあえず伊吹も、頬をすりすりしかえす。


 冷えた身体にアイの温もりが浸透してくる。


(アイさんも雨に打たれていたはずなのに、

 なんでこんなにも温かいのかしら)


 ひとりで日向ぼっこでもしていたのだろうか。


 気持ち良いので、ぎゅっと全身で抱きしめる。


 伊吹は、もう一度周囲の様子を確認した。


 けど、誰も伊吹のことを気にしていない。


 相変わらず絵理子と柚美は悲しみの檻に閉じこもっている。


「どうなっているのかしら」


 伊吹はおそるおそるお腹を見てみた。


 服は裂けていたので、おへそが丸出しになっている。


 見た感じでは何処にも傷がない。


 撫でてみても、いつも通りのぷにぷにしたお腹だった。


 濡れた肌を手でごしごしと拭ったら、血の汚れも薄くなった。


「本当に痛くないのよ。ねえ。みんなが無視するわ」


 おどけて首を傾げると、アイも真似して同じ仕草をした。


 柚美たちは自分の泣き声と嗚咽で、伊吹の声が届いていないようだ。


「お腹が空いたわね。そうだ。アイさん。

 病院の中にコンビニがあるのよ。苺牛乳もあるわよ」


「苺牛乳さん!」


 ふたりは手を繋いで病院の自動ドア前に立ったが、反応は無い。


 伊吹は病院内を覗きこむ。

 既に診療時間を終えているため、

 総合受付は夜間用の小さな明かりが灯っているだけだった。


 奥の方はうっすらと明るいので、

 夜間診療用の窓口かコンビニがあるのだろう。


「裏口はどこかしら」


 閉まったままの自動ドアの向こう側にパネルがあり、

 夜間診療者向けの案内が掲示してあった。


 裏口への地図を見ていると、背後から悲鳴が聞こえた。


「伊吹、駄目。安静にして」


 寝かしつけようとしたのか、

 絵理子が後ろから腰にタックルをしてきた。


「きゃあっ」


 まさかの不意打ちに伊吹は抵抗もできずに倒れた。


 が、さすがは合気道の達人絵理子だ。


 伊吹は痛みもなく倒れて、気付いたら膝枕されて玄関の天井を見上げていた。


 軽く肩を押さえられているだけなのに、まるで身動きが取れない。


「何するのよ絵理子さん」


「大怪我なのよ! 動いたら駄目よ」


 直ぐ側に柚美も駆け寄ってきた。


 悲しみと怪訝と喜びが混ざった顔をしている。


「柚美ちゃん裏口まで全力ダッシュ。病院の人を連れてきて!」


「うん!」


「待って。

 私、今、きゃあって大声を出したでしょ。

 元気なのよ。

 ねえ、本当に、本当の本当に、全く痛くないのよ」


 ボロ切れになってほとんど用をなしていないシャツをめくってみた。


 柚美が凄惨な傷口を想像したのかひっと視線を逸らした。


「……えっ?」


 多少、やせすぎで病的なまでに白いが、

 少女らしい柔らかなラインの真ん中に、おへそがちょんとある。


 思い切って、もう少しシャツを捲ってみた。


 やはり何処にも傷はなく、緩やかなラインが続く。


 うっすらと肋骨が浮いているのは単に痩せているからだ。


「伊吹の怪我、治ってる?」


 絵理子と柚美が手を伸ばして触ってきた。


「ねえ、伊吹ちゃん。本当に。本当になんともないの?」


「え、ええ」


 伊吹は無事をアピールするために、

 わざとらしい気はしたが、立ち上がって軽くその場で回ってみた。


 黒い花が咲いたように、スカートがふわっと広がった。


 隣でちっちゃなライオンも同じようにしようとしているが上手く回れずにいる。


「怪我が治るってどういうこと?

 伊吹ちゃん、吸血鬼になっちゃったの?

 いつの間にアイちゃんに血を吸われたの?」


「馬鹿なこと言わないでよ。

 アイさんは血なんて吸わないわ」


「ママ」


 目を回してふらふらののアイがしがみついてきたので抱き上げる。


 アイが頬をすりすりしてきたので、伊吹もすりすり仕返す。


 頬が柔らかくてすべすべで、くすぐったくて気持ちいい。


 ざわざわっと胸が温かくなってくる。


「アイさんは血なんか吸わないわよねー。

 アイさんが吸うのはママのおっぱ――あっ」


 お昼寝した後、伊吹は寝ぼけ半分でアイにおっぱいをあげた。


 おっぱいが出ないことにじれたのか、アイが乳首に噛み付いてきた。


 伊吹は自分がまだ高校生だから、

 お乳が出なくて痛いのだろうと思い堪えた。


「まさか、あれが……」


 あの時の痛みが吸血だった可能性が高い。


 アイは伊吹の血を口に含んでしまっただろうし、

 伊吹の体内にアイの唾液が混ざりもしただろう。


 偶然とはいえ、いわゆる吸血行為が成立してしまっている。


 途中で言葉につまってしまった伊吹に、周囲の視線が集まる。


「詳しいことは言えないわ。

 けど、アイさんに助けてもらったみたい……」


 伊吹はふたりの視線から逃げるためアイをぎゅっと抱きしめ髪に顔を埋めた。


 アイも負けじと、ぎゅっとしがみついてくる。


 静まりかえった夜の病院で、ふたりの髪が混ざってキラキラと輝いた。

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