ナミダアクアリウム
文月八千代
依頼
「これが『例のブツ』ですから」
抱えたダンボールを乱暴にテーブルに置くと、男が言う。ワイシャツの胸ポケットからしわしわのハンカチを取り出し、額に浮かんだ汗を拭きながら。
「『ブツ』って、物騒な言いかた……でも、期待しないでくださいよ? うまくいくかなんてわからないんですし……」
俺が苦笑いしながら言葉を返すと、男はニヤケ顔で口を開いた。
「大丈夫ですって! 失敗しても、ネタをそれっぽく調理してくれればいいんですから」
そのあと男はエヘンと胸を張って
「それに『ぜひ、苫子ケンタさんに』って、編集長の肝いりなんですよ。あと『ウケたら雑誌に連載を』……と、まあ気負わず、とりあえず一週間試してみてください」
と続け、サッと頭上に片手を挙げる。
「また連絡しますんで。よろしく。よろしくお願いしますね」
ひときわ元気な声で挨拶をした男は、力いっぱい玄関のドアを押し開け、外に出ていった。
「はぁ……横山さんはいつもああだ」
遠ざかっていく男――編集者の横山さん、の足音を聞きながら、俺はボソリと呟いた。
苫小ケンタ。これは数年前にとある賞からデビューした小説家の名前で、俺のペンネームでもある。小説家といっても売れっ子ではなく、何冊か本を出版してもらっている……という程度。
「もっと有名になりたい」という野望だけを持って上京して以来、東京の片隅にあるワンルームマンションで、会社員と小説家の二足のわらじを履いて「いた」。
なぜ過去形かというと、先月クビを言い渡されたからだ。理由は勤務形態の変化や業務成績が悪く……って、話したくもない。
だから現在無職。
小説の仕事も先が見えないこんな現状で、「どうやって生きていこう」と途方に暮れていたときだった。
横山さんから、「お仕事してみませんか?」という連絡があったのは。
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