義足の歌舞伎役者 澤村田之助
水野 清子
第1話 岸田吟香走る
「なんてことだ。もうすぐ初日なのに継ぎ足(義足)が盗まれるとは」
慶応4年(1868)5月23日、35歳になって間もない岸田
たまらなくなって身の丈六尺、腹回り三尺余りの巨体をゆすって駆け出した。
今年は閏年で1年が13か月あり、4月の後に閏4月もあったので5月だがすでに梅雨入りしている。
吟香はひたいから吹き出す大粒の汗を手で拭いながら走り続けた。
「おい、見ろよ」
「吟香さんが走ってるぞ」
吟香は眉が太く目玉が大きいうえ、ほおからあごにかけて髭でびっしりおおわれているので一見近寄りがたい感じがする。
だが誰にでも分けへだてなく笑顔で接するので、開港場で働く人足たちに親しまれていた。
江戸幕府がアメリカなど5か国と条約を結び、百戸足らずの寒村だった横浜を開港したのは9年前の安政6年(1859)である。
その後商人や職人、労働者など多くの人が移り住み、活気のある町が誕生した。さらに居留地も国内で一番大きな規模となった。
一方江戸では幕府が大政奉還をし、新政府が設立された。
こうした中で、今年2月から5月にかけて江戸と横浜では新聞が次々に創刊した。
吟香も、閏4月11日に「横浜新報もしほ草」という新聞を創刊した。
居留地に住むアメリカ人の医師ヘボンが、歌舞伎役者の三代目澤村田之助のために本国から取り寄せた継ぎ足が横浜に届いた記事は、17日に発行した第二篇の目玉記事だった。
田之助は、江戸で絶大な人気を誇る22歳の名女形である。
その後田之助が継ぎ足をつけて、5月25日から横浜の芝居小屋「下田座」でヘボンへの感謝を込めたお礼興行を行うと、第三篇で知らせたばかりである。
ところが、下田座で継ぎ足が盗まれたので来てほしいと昼過ぎにヘボンの使いの弟子がやってきた。
吟香は新聞と目薬を売っている北仲通りの店を雇い人にまかせ、急ぎ居留地39番のヘボン館に向かったのである。
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