Episode8:偶然と必然

 アメリカの首都コロンビア特別区、通称ワシントンDC。街としての人口規模はさほどではなく、アメリカを代表する各大都市には到底及ばないが、その歴史ある建造物が立ち並ぶ静謐な佇まいと、何といってもアメリカの首府であるホワイトハウスがある事で、大都市に劣らない存在感を持つ不思議な街であった。


 中国から亡命してきた道士、レン麗孝リキョウはワシントンDCのダウンタウンを散策しながら、それらの建造物や行き交う人々を何とはなしに眺めていた。


 彼の直属の上司である許正威の用事でしばらくDCを離れており、戻ってくるとビアンカは既に新たな任務に出発した後だった。任務にはユリシーズとイリヤが同行したらしい。イリヤの同行については任務の内容を聞くとさもありなんという所であった。


(ユリシーズ君が同行とは、ビアンカ嬢もさぞ嬉しい・・・事でしょうね)


 基本的に自分にしか興味が無かったリキョウだが、ビアンカと出会ってからは対象・・にも興味を持つようになった。そして興味を持って観察しているからこそ見えてくるものがある。


 ビアンカ自身が誰を意識・・・・しているかが。出会った頃よりもその想いは強くなっているのではとも思った。ビアンカは隠しているつもりかもしれないが、リキョウの目から見ればバレバレであった。


 恐らくアダムもリキョウと同じように既に気付いているのだろう。最近になって彼を慕っているルイーザとの関係性に変化が出てきているように見えた。



(……そういえば彼女・・は元気でしょうか。あの危なっかしい同胞のお嬢さんは)


 リキョウも最近は別の女性・・・・の事を考える機会が増えてきた。切っ掛けは過日のLAでの任務だ。その途上で出会ったツァイ・リンファという同胞の女性刑事。


 ひたむきで、強い信念を持っているように見えた。僅かだが神仙としての力も持ち、自らが敵わない相手にも果敢に立ち向かう勇気を併せ持っていた。


 ビアンカだけではなかった。そういう強い意志・・・・を持った女性は他にもいたのだ。LAで実際にカバールの悪魔を討伐してのけた、あの女性ローラ達にしてもそうだ。ただリキョウ自身がこれまで他者に興味がなく、それを見ようとしてこなかっただけなのだ。


 恐らく中国にいた頃も、退屈で色褪せたように見えていたのはリキョウ自身の心の有り様を反映しての事で、実際には素晴らしい女性も沢山いたのだろう。


(幼い頃は俗世と離れて神仙としての修行の日々。長じてからは統一党内での権力闘争に明け暮れ……思えば私も随分な世間知らず・・・・・だったものです)


 今ではそう自覚できるようになっていた。もう少し視野・・を広げてみるのも悪くはない。そう思い始めていた。彼がそんな事を考えながら街を歩いていると……



「……!」


 彼の目線の先で挙動不審な3人組の男が、周囲を気にするように見渡しながら急ぎ足で路地裏に消えていくのが目に入った。何らかの犯罪を匂わせる挙動であったが、通常であれば特に司法関係者でもない故に、自分から積極的に関わろうとは思わなかった。だが……


(ふむ……今の者達、少々気になりますね)


 自分の勘違いであれば良いが、神仙として鍛えられた彼の感覚は恐らく外れていないだろう。リキョウは他に誰も自分を見ていない事を確認してから、人間離れした速度で先の男達が消えた路地裏に入り込んだ。


 あの連中の気配は解りやすい・・・・・。しばらく追跡すると連中に追いついた。



「お待ちなさい。あなた方、人を殺していますね。それも恐らく尋常ではない・・・・・・方法で」



「……っ!」


 薄暗い路地裏の少し広くなったスペース。唐突に後ろから問い質された男達がギクッとして振り返る。あまり身なりの良くないアジア系の3人組だ。だがその目は異様な興奮に炯々と輝いている。


「俺達を追ってくるとは馬鹿な奴だ」

「今日はもう充分血を味わったが……おかわり・・・・も悪くない」

「自分の不運を呪うがいい」


 男達は不気味な笑いを響かせると、その身体が急激に変化・・を始めた。四肢が異様に伸びて、身体中から不潔な剛毛が伸び、そして頭部はまるで鼠と人間が融合したような奇怪な形状をしていた。リキョウは変化した男達の姿を見て僅かに目を瞠った。



「ほぅ……蝕鬼しょくきですか。いけませんね。ここはアメリカですよ。中国の妖怪・・・・・が好き勝手に振舞っていい場所ではありません」



『血ダ……モット血ヲ寄コセェェェェッ!!』

『新鮮ナ内蔵ヲ味ワワセロッ!!』


 触鬼たちは涎を垂らしながら飛び掛かってくる。下級悪魔に匹敵するスピードだ。並の人間では対処できない速さだが、生憎彼は並の人間ではない。


「ふっ!」


 先頭の触鬼が振るった鉤爪を躱したリキョウは、カウンターで寸勁を叩き込む。衝撃とともに大量の『気』を叩き込まれた触鬼は不浄の液体を撒き散らしつつ吹き飛んだ。すぐにその姿が蒸発するように消えていく。


『……! 貴様ァァァッ!!』


 仲間がやられた事で激昂したのか、リキョウの脅威を認識したのか、残った触鬼達がそれぞれ異なる攻撃方法を取ってくる。一体は只でさえ長い両腕を更に伸ばして、鞭のように撓らせて攻撃してくる。もう一体は口から緑色をした噴霧を吐き付けてきた。


「……! 『冥蛇!』」


 リキョウは咄嗟に仙獣の冥蛇を召喚して、薄い水の膜を形成して緑色の噴霧を遮断した。腕の鞭に関しては自らの体術で回避する。


「砕破!!」


 そして噴霧を吐き付けてきた方の触鬼に『気』を乗せた強烈な跳び蹴りを喰らわせ、やはり一撃で消滅させた。これで残るはあと一体。一気に片を付けようとした所で……



「――動かないで! 抵抗せずに、大人、しく…………えっ!?」



「「……っ!?」」


 戦いの場に、唐突に女性・・の声が響いた。リキョウと触鬼は共に驚きで一瞬硬直する。触鬼はともかく、リキョウであれば一瞬で平静を取り戻して片を付けていただろう。


 だが、聞き覚えのある・・・・・・・、そしてここで聞くとは思っていなかった、ついでについ先程まで脳裏に浮かべていた当人・・の声が聞こえた事に、流石のリキョウも一瞬幻聴かと思い戸惑いで硬直してしまったのだ。 


 達人である彼にあるまじき失態。当然その隙を逃す触鬼ではない。


『ギヒャアァァッ!!!』


「え……きゃあぁぁっ!?」


 一方で女性の方も思いがけない場所で唐突にリキョウに再会・・した事で動揺を隠せず、飛び掛かってきた触鬼への対処が遅れてその腕の中に捕らわれてしまう。



「……っ! リンファ・・・・!」



「……っ。リ、リキョウ……」


 そう、それはLAPDの刑事であるはずの、そして二度と会う事はなかったはずの中国人女性、ツァイ凛風リンファであった。何故彼女がこの街にいるのか解らず自分の目を疑うリキョウだが、触鬼に捕らわれて青い顔をしている彼女は本物だ。


 事情は後で聞けばいい。とりあえず彼の失態で捕らわれたリンファを救い出すのが先決だ。


『ギヒヒ、形勢逆転ダナ! コノ女ノ命ガ惜シカッタラ……』


「――下郎、今すぐその薄汚い手を離せ。彼女は貴様如きが穢していい女性じゃない」


『――ヒッ!? ナ、何ダ、オ前ッ!?』


 突然雰囲気の変わったリキョウの様子と、その憤怒の殺気に当てられて触鬼が恐れ戦く。所詮は中国においても下級の妖怪だ。上仙たる彼の敵ではない。


『オ、脅カシテモ無駄ダ! ソコカラチョットデモ動イタラコノ女ノ命ハ……』


「ええ、私は動きませんよ。私はね・・・


『何――――オゴワッ!!?』


 触鬼は突然後ろから大きな獣・・・・に襲い掛かられて、動揺からリンファを離してしまう。獣は当然、彼の仙獣の一体である白豹の麟諷だ。強烈な殺気を叩きつけて触鬼の注意を自分に引き付けつつ、密かに召喚しておいた麟諷に不意を打たせたのだ。


「……っ!」


 触鬼の手が離れたリンファは咄嗟に跳んで距離を取った。


「砕破っ!!」


 そこにリキョウがすかさず崩拳を打ち込み、触鬼を一撃で吹き飛ばし消滅させた。これで3体。



『ふぅ……お怪我はありませんか、凛風? まさかこの街で貴女にお会いするとは一切予想していませんでしたよ?』


 触鬼を殲滅した事を確認すると、リキョウは息を吐いて北京語で話しかけた。


『私も……この状況・・・・は予測してなかったわ。それにまさかこの街に来て・・・・・・こんなに早くあなたに会えるともね』


 リンファも北京語で返す。どうも彼女がこの街にいるのは偶然ではないようだ。



『もう私はLAPDの刑事じゃないわ。今の私はコロンビア特別区首都警察所属、強盗殺人課の刑事ツァイ・リンファよ』



『……! なんと、この街の首都警察の? 転籍したという事ですか?』


『元々急増するアジア人犯罪対策としてスカウトの話は来ていたのよ。受けるかどうか迷ってはいたんだけど……』


 そこにリキョウとの出会いが重なり、彼が大統領府……つまり普段はこのワシントンDCを拠点にしているという事実が彼女の背中を押した、という事のようだ。彼女はリキョウを追って・・・この街までやって来たのだ。


『ほぅ……それはそれは……また何とも』


 リキョウは言葉通り何とも言えないような表情になって顎を撫でた。その様子を見たリンファは少し不安そうな様子になる。


『あ、あの……やっぱり気持ち悪いわよね。ごめんなさい。あなたと会えると思っていた訳じゃないの。ただあなたと同じ街に居たいと思っただけで……ああ、その、余計に気持ち悪いわよね、これじゃ』


 リンファは慌てて弁明しようとしてドツボに嵌り悄然とした様子になった。だが……その時リキョウの心を支配していたのは『気持ち悪い』というのとは真逆・・の感情であった。


『落ち着いて下さい、凛風。誰も気持ち悪いなどと思ってはいません。それどころか……貴女のような女性にそのように想って頂き、とても嬉しく・・・思っています。実は……私もまた貴女の事を忘れがたく感じていたのですよ』


『……!!』


 それは本心であった。これまで女性関係は全て行きずりの一夜限りという彼にとって、それは初めての経験であった。ビアンカとの関係も基本的に彼の方から一方的にアプローチする形になっている。誰かから想われて・・・・こうして追いかけてまで来てくれたという事象が、彼にとっては初めての体験であったのだ。



『ふむ……如何ですか、凛風? ここは貴女のような女性と語らうのに相応しい場所とは言えません。先程の連中を追ってここまで来たのでしょう? 奴等は人間ではなく、そして今は消滅しました。お時間があるのなら、勤務が終わった後にでもどこか別の場所で改めてお会い出来ませんか? 良い店をご紹介しますよ』


『……! え、ええ! ええ、勿論よ! 必ず行くわ!』


 リンファが表情を輝かせる。その反応もまた彼にとって新鮮なものであった。


(……私も新たな一歩・・・・・を踏み出す時かも知れませんね)


 勿論依然としてビアンカは大切な存在であり、彼女を守る為にカバールと戦う事に何の厭いもない。だがそれとは別に、自分自身の幸福を求めるのも悪くはないはずだ。


 彼は無邪気に喜ぶリンファの様子を見ながら、内心でそんな事を考えるのだった…… 

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