Episode7:エルスタイン島
暗く、淀んだ靄が一帯に漂うどことも知れない空間。ビアンカには、何となく自分が夢を見ているという自覚があった。
その靄の中を当てもなく進んでいくビアンカ。するとその先に靄が晴れて明るくなっている場所があった。何だろうと思ってその場所に近付く。そこからは外の風景が覗いていた。どこか……彼女の知らない場所だ。広い道路に、まばらに立ち並ぶ粗末な民家やアパート。雑草の生い茂る空き地がいくつもあり、そこでは何人かの子供たちが遊んでいる。どこかの田舎の風景のようだ。
そこで彼女は空き地で遊んでいる子供たちの内の1人に見覚えがある事に気付いた。
(あれは……イリヤ!?)
あの蠱惑的な美少年の顔を見間違える事などあり得ない。あれは間違いなくイリヤだ。ビアンカはこれがただの夢ではない事を悟った。そして同時にイリヤを含めたその子供たちがただ遊んでいる訳ではない事にも気付いた。
イリヤ以外の少年たちは寄ってたかってイリヤに暴力を振るっているように見えた。子供特有の手加減を知らない容赦ない暴威。イリヤは明らかに嫌がって、必死に暴力に耐えているように見えた。
(な、何してるの!? やめなさい……!)
反射的に飛び出そうとするビアンカだが、その景色は見えているだけでどうやってもそこに行く事は出来なかった。そうこうしている内に
複数の少年たちがイリヤを押さえつけ、そこに大柄な少年が尖った木の棒をイリヤの頬に突き付ける。ロシア語で何かを言う少年の顔は残酷な喜びで歪んでいる。彼が何をする気かは明白だ。
(ま、まさか……やめなさい! イリヤ、逃げて!)
届くはずがないと解っていて、それでも必死に声を張り上げようとするビアンカ。だがその時予想外の事が起きた。いや、
イリヤの身体を押さえつけていた少年たちが一斉に吹き飛ばされたのだ。イリヤはその辺の遊具や瓦礫などをサイコキネシスで操って少年たちを威嚇する。唖然としていた少年たちの顔がやがて恐怖に歪む。
ビアンカは気付いた。これは、この光景は……
(これって、まさか……イリヤが故郷の村を追われる羽目になった元凶の出来事?)
イリヤ自身から断片的にだが聞いた事があった。理由は全く分からないが、ビアンカは今イリヤの過去の光景を見ているようだ。
少年たちの怖れを見たイリヤが昏い笑みを浮かべる。そして彼は少年たち自身をサイコキネシスで拘束し弄び出す。子供たちの泣き喚く恐怖の悲鳴がビアンカの耳朶を打つ。
抑圧からの解放。恐らくイリヤの現在の危うい性格を形作った大元の原因が
「……!」
イリヤが動揺したように超能力を解除する。彼の視線の先に1人の美しい少女がいた。この少女もイリヤの知人なのだろうか。彼からこの少女の事を聞いた記憶が無かった。
少女は恐れ戦いた表情で、ロシア語で何かを叫んで踵を返すとそのまま走り去ってしまった。後には呆然とした顔のイリヤが残されていた。そのイリヤの様子からあの少女とは
大人であっても難しい度量をこの年頃の少女が備えているとも思えない。少女の反応はある意味で仕方ない物ではあっただろう。だがそれを同じく幼いイリヤに理解して慮れというのもまた酷な話だ。
恐らくイリヤはあの少女に
明るかった景色が次第に暗くなり、元の靄に包まれていく。どうやら
*****
「む、ん……んん……んっ!?」
ビアンカは目を覚ました。そしてすぐに自分の
そして彼女は1人ではなく、他にも同じように壁に磔られた人間が何人かいるのに気付いた。全員若い女性のようだ。黒人やアジア人、それにインド人と思われる容姿の女性もいた。
(ここは……? ……っ! まさか『エルスタイン島』!?)
すぐに意識を失う前の出来事を思い出したビアンカは身を緊張させる。あのクルーザーにこんな広さは無いし、波に揺られている様子もない。どこか陸の上に移されたのだ。そしてそれは『エルスタイン島』以外にあり得ない。
他の女性に話しかけたかったが、生憎ビアンカを含めて全員布の猿轡をされていた。とはいえまず間違いなくビアンカと同じように誘拐されたか売られたかしてこの島に送られた被害者達であろう。
(本当に世界中に『ルート』を持っているのね……)
他の女性達の人種などを見てそれを実感するビアンカ。相手は世界規模で人身売買を働く犯罪者だ。もうこの現場だけで確定的である。
その時部屋の扉が開いて、男が2人入ってきた。強面の白人と黒人の2人組で見るからに堅気ではない雰囲気だ。他の女性達が一様に恐怖で身を固くする。だが男達は彼女らを無視してビアンカの前までやってきた。
男の1人が壁に磔にされたビアンカの顎を掴んで無遠慮に顔を覗き込む。他にも左右に動かしたりして検分する。
「ん! んん! んっ!」
屈辱的な扱いにビアンカは猿轡の下で呻く。男達はそれには構わず頷き合うと、ビアンカの手枷を外し始めた。手枷を外すとすぐに彼女の両手を後ろに回して手錠を掛ける。
「来い。
「……!!」
言葉少なに
部屋から連行されたビアンカ。そこは少し薄暗い殺風景な廊下となっており、左右には頑丈そうな金属製の扉が並んでいた。中の様子は窺い知れない。その廊下を抜けて突き当りにある一際大きな扉を男達が開いた。
「……!」
ビアンカは再び目を瞠った。そこは大きなホールのような空間であった。そしてそこは……先程までの場所とは『別世界』であった。まず目に付いたのは一面の『赤』。
ホールの床には赤い絨毯が敷かれ、間に建つ大きな柱には赤いビロードのカーテンが垂れ下がって、各フロアを仕切っている。そしてカーテンで仕切られた各フロアにはやはり赤い椅子やソファが設置されており、そこに座っている人間達の姿をくっきりと浮かび上がらせる。
座っているのは着崩したスーツやタキシード姿の年配の男性たちが殆どだ。中には若い男性もいるが、一部ビアンカですら顔を知っているような有名な政治家や芸能人もおり、最初は目を疑った。アメリカだけでなく欧州やアジアの国の政治家などもいるようだった。
そして彼等に傅くようにして侍っているのは……肌も露わな下品な衣装の、年端も行かない少年少女達であった。歳に合わないような化粧をさせられている子供もいた。
そしてそんな少年少女たちを嫌らしい表情で抱き寄せてまさぐる大人達。中にはもっと卑猥な事をしている者もいた。何人かは気に入った
程度の差はあれ少年少女達は誰もが望んでその
それは……まさに『頽廃』という言葉がしっくり来る光景であった。ビアンカは今、人身売買の行く末、その一つの終着点を目の当たりにしているのだった。
「ここだ、入れ。ボスがお待ちだ」
「……!」
ビアンカを連行してきた男達に促されてそのホールの
豪華な内装の部屋の中央には高級そうな応接セットが置かれ、その奥には大きなマホガニー材の机があり、そこに1人の人物が席に着いていた。その人物は入ってきたビアンカを見ると、椅子から立ち上がった。
「ようこそ、私の城へ。歓迎するよ……『
「……っ!」
(やっぱり……やっぱりこの男が、カバール……!)
ビアンカの睨み付ける視線を受けてその男……この島の所有者にして大富豪、そしてカバールの一員でもあると判明したジェフリー・エルスタインは、興味深そうな笑みを浮かべるのだった……
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