Episode14:再会

 『肉剝ぎ殺人事件』、通称『リーヴァ―』の捜査は難航を極めた。リンファ達の担当した事件を皮切りに他にも類似の目撃証言が相次ぎ、今や『リーヴァ―』が得体の知れない蟲の怪物だという噂は完全に一人歩きしている状態であった。


 だが同様の目撃証言は多数出ている状態で警察としても完全に否定する事が出来ない。リンファをはじめ事件を担当する刑事達は犯罪捜査のセオリーが通じない未知の状況に浮足立つが、捜査責任者である警部補のローラは全く動揺を見せずに、捜査員たちに『犯人』の異常性に気を取られずに落ち着いて、セオリーに則って捜査を続けるように指示した。特に被害者同士の共通点などを重点的に洗い出すように言われていた。


 上司の泰然たる態度に捜査員たちも安心し、とにかく『リーヴァ―』を通常の犯罪者と同じように扱い、被害者同士の接点や犯行の動機などに絞って捜査を進めていった。リンファもまた相棒のアマンダと共に精力的に捜査を進めていた。そんな中……



 リンファとアマンダは現在、車でとある場所に向かっていた。警部補のローラの捜査方針に従って徹底的に被害者間の共通点の洗い出しを行っていった結果、被害者達の多くが『ある民間事業』に出資していた事が判明した。


 『未来の食糧危機に備える昆虫食・・・プログラム』という事業で、責任者は遺伝子工学者のオットー・ベルクマンという男であった。リンファ達が向かっているのは、その男が所長を務めている民間研究所であった。


「先輩、このベルクマンという男が犯人なんでしょうか?」


 目的地に向かう車の中でアマンダが不安そうに聞いてくる。リンファはかぶりを振った。


「それをこれから確かめに行くのよ。現時点ではなんの確証もないわ。なるべく先入観は持ちたくないけど……」


 被害者達が投資していたという共通点、そして昆虫に関わる研究をしていたという『リーヴァ―』との類似点。状況証拠的にはかなり怪しいと言わざるを得ない。なので事前の逃亡や証拠隠滅などの行動を防止するため、アポイントは取っておらず抜き打ちの訪問だ。


 LAの東寄りの郊外。広大な森林公園が広がる手前ほどにその研究所はあった。そこから先は山と森が広がっているだけで、周囲には民家の類いもない。何か良からぬ研究・・・・・・をしたい場合にはもってこいの立地ではある。


 研究所の正面ゲートは開いており、自由に出入りできるようだ。研究施設としては少し不用心な気もする。或いは民間施設という事なので、単純な費用の問題で警備に割く余裕がないだけかも知れないが。



 空いているスペースに車を停めて外に出る。周囲は不気味なほど静まり返っている。


「……なんだかとても静かですね。守衛がいないのも変ですし」


「そうね……。取り越し苦労ならいいけど、念の為銃は抜いていつでも対処できるようにしておいて」


 アマンダに指示してから、自身も銃を抜いて慎重に研究所の正面玄関に近付いていくリンファ。電気は効いているようで自動ドアは作動していた。


「……!! こ、これは……!?」


 そして中の様子を一目見たリンファとアマンダは揃って目を瞠った。ロビーは完全に荒れ果てていた。そして散乱したゴミや瓦礫に混じって人骨と思しき骨の欠片があちこちに散らばっていた。当然だが人の気配は全く無い。


「せ、先輩! すぐに応援を呼びましょう!」


「……そうね。これは明らかに異常事態だし、あなたはすぐに警部補に連絡して応援を頼んで頂戴」


「え……せ、先輩は?」


「私はその間に中を調べるわ。もしかしたらまだ『犯人』がいるかも知れないし、そうでなくても何か手掛かりが残されているかも」


「ええ!? 危険ですよ! 応援を待ちましょうよ!」


「刑事が危険を恐れて、もし犯人を取り逃がしたりしたら本末転倒でしょ。私の腕は知ってるでしょう? いいからあなたは本部へ連絡して、その後は応援が来るまで車で待機していて。これは命令よ」


 先輩の権限でアマンダに命令すると、リンファは銃を構えながら慎重に研究所内部に踏み込んだ。ロビーには一切の人気がなく静寂に包まれていた。奥に続く廊下も同様だ。案内板に『研究フロア』と書かれていたので、それに従って進んでいく。そして突き当りにある両開きの扉を慎重に開く。



「……!!」


 そこは案の定、長いデスクがいくつも置かれ、その上に用途のよく分からない様々な研究機材が所狭しと並んでいた。尤も大半の機材は横倒しになったり壊れたりしていて使い物にならない状態になっていたが。


 照明も殆どが割れていたが一部無事な照明も残っており、部屋を薄暗く照らしていた。その僅かな照明の照らす下に……1人の男・・・・が佇んでいた。この施設に入ってから初めて見る生きた人間であった。


 その姿を見たリンファの目が驚愕に見開かれる。それはただ生きた人間を見たからというだけではない。その男の顔に見覚えがあった・・・・・・・からだ。


「あ、あなたは……あの時の!?」


「おや? いつぞやの美しいお嬢さん。何故ここに……とは聞くまでもありませんね。悪い時に訪れてしまいましたね」


 その男……レン麗孝リキョウと名乗る中国人は、リンファの姿を見て困ったように眉を顰めた。リンファは躊躇う事無く彼に銃を向けた。


「動かないで! この有様はあなたの仕業? 今度こそ重要参考人として署まで同行してもらうわよ? 抵抗したら容赦なく撃つわ」


 この状況からして無関係とは考えられなかった。やはりこの男が犯人だったのだろうか。銃を向けながら油断なくリキョウに近付いていくリンファだが……



「……っ!?」


 リキョウが突然凄まじい速度でこちらに向かって突進してきたのだ。リンファが何か反応する暇もない、人間離れした踏み込みの速さであった。


 彼は驚いて硬直しているリンファを抱えると、そのまま大きく横に跳んだ。


「な、何するの!? 離しなさい! 抵抗する気!?」


 思考が追い付いたリンファは反射的に身体をもがかせるが、どのような力なのかリキョウの腕は全く小動こゆるぎもしなかった。


「落ち着きのないお嬢さんだ。後ろをよく見てみなさい」


「……!?」


 リキョウに言われて視線を巡らせたリンファは、再度その目を驚愕に見開いた。今まで彼女が立っていた場所に直径1メートルほどの黒い塊・・・が蠢いていた。


 そう。それはただの塊ではなく微細に蠢動していたのだ。リンファはすぐにそれが無数の『蟲』の集合体だと気付いた。天井から覆い被さってきたらしい。もしリキョウが抱えてくれなかったら彼女は今頃……


 その想像に自分でゾッとした。そして同時にこのリキョウは自分を助けてくれたのだという事に思い至った。



 黒い塊……『リーヴァ―』が大きく蠢動すると、放物線を描きながらこちらに向かって体当たり・・・・してくる。リキョウは再び大きく横に跳んでそれを躱した。


「は、離して! 私は……大丈夫だから……!」


 拒絶の意味ではなく、彼女を抱えている事によってリキョウが大きく行動を制限されている事に気付いたのだ。恐らくそれが無ければリキョウは、この『リーヴァ―』など問題にしないはずだ。彼に抱えられ動かされていたリンファにはそれが本能的に解った。


「……! 感謝します、ツァイ小姐ピンイン!」


 一瞬でリンファの意図を読み取ったリキョウは礼を言って、彼女を素早くしかし丁寧に床に降ろす。『リーヴァ―』が再び群れで飛び掛かってくる。


「出でよ、『麟諷』!!」


「っ!?」


 リンファが何度目か分からない驚愕に目を瞠る。リキョウの叫びに合わせて、彼の前に一瞬で白い体毛の大きなが出現したのだ。それだけでも驚きだが、その白豹が首をもたげて咆哮すると、彼等の前に不可視の風による障壁のようなものが発生し、飛び掛かってきた『リーヴァ―』を残らず吹き飛ばしてしまったのだ。


 だが飛散したかに見えた『リーヴァ―』は再び集まってきて黒い塊を形成する。



「ふむ、キリがありませんね。見た所『コア』のようなものもありませんし。であるならば……」


 リキョウがそこまで呟いた時、『リーヴァ―』がこれまでと異なる行動を取ってきた。黒い塊が二つ・・に分かれて、一方はリキョウに、そしてもう一方はリンファに飛んできたのだ。


「……! 小姐!」


「私は大丈夫!」


 不意を突かれたならともかく、正面から飛んできた分にはリンファでも躱せない事は無い。培った体術で『リーヴァ―』の突進を回避するリンファ。その身のこなしを見てリキョウが僅かに目を瞠った。


「なるほど、過剰な気遣いは却ってマイナスになりそうですね。ならば私も本気でいかせて頂きます」


 リキョウから発せられる『気』が格段に上昇した。リンファも拙いながら『気』を扱う者としてそれが感じられた。やはり彼は自分など比較にならないような凄腕の拳士だ。


「空破・震壊!」


 リキョウは流麗な身のこなしで『リーヴァ―』の飛び付きを回避しつつ、白豹に自らの『気』を送り込む。すると白豹が獰猛な唸り声を上げ、大きく口を開いた。


「……っ!」


 白豹の咆哮に合わせて、目に見えない空気の振動が部屋中に広がるような感覚があった。リンファは空間が微細に揺れるような現象を確かに見た。


 その空気の振動は、部屋を飛び回っていた黒い虫達を一匹逃さず捉える。黒い虫達がその統制を失い乱れ飛ぶ。そして次の瞬間、全ての蟲が破裂・・したように弾け飛んで床に落ちる。生き残った蟲は一匹もいないようだ。




「……ふぅ。お怪我はありませんか、美しいお嬢さん?」


 それを確認してリキョウが戦闘態勢を解いた。同時にあの麟諷という白豹が空間に吸い込まれるようにして消えてしまった。


「え、ええ……私は大丈夫よ。ありがとう。でも……今のってもしかして仙獣・・? あなたは『神仙』なの?」


「……! ほぅ……ご存知だったのですか? いくら同胞でも一般人民は神仙の事など知らないはずですが」


 リキョウが少し驚いたように目を見開く。


「私の父も神仙だったから……。武術の基礎は父に教わったのよ。尤も父は仙獣を召喚できない下仙止まりだったけど」


「なるほど……それであなたも『気』を扱えたのですね。いかにも、私は神仙です。ただし現在の中国統一党や周国星主席とは一切関係がない事だけは間違いありません。私は独自にこの『リーヴァ―』とやらを調査しているのです。しかしあなたがここに来たという事は、警察もある程度核心に迫っているという事ですか。これは少々意外でした。この『犯人』の異様性に気を取られてまともな捜査は出来ないだろうと思っていましたので」


 この事件の捜査責任者が普通の・・・刑事であればそうだっただろう。だがリンファはローラが普通ではない・・・・・・事を知っている。凄腕の神仙であるリキョウが驚いているのを見て、リンファはかつては相棒でもあった上司の事が誇らしくなった。



「しかしどのみち一足遅かったようです。ここの所長であるオットー・ベルクマンという男が事件の背後にいる事は解ったのですが、私が来た時には既にこの有様でした。他に生きている人間がいない事は確認しています」


「……ここに散乱している人骨のどれかがそのベルクマンという可能性はないかしら?」


 あの『リーヴァ―』は人に御せる存在のようには見えなかった。或いはベルクマンも既に殺されているのではないかと思ったのだ。しかしリキョウはかぶりを振った。


「それでは被害者達の共通点・・・が説明できないでしょう? この事件の背後には人の意思・・・・が介在しています。ベルクマンは必ずどこかにいるはずです」


「あ……」


 被害者達はいずれもベルクマンの債権者・・・という共通点があった。その情報をもとにここを割り出したというのに、その『前提条件』を忘れていた。


 しかしリンファ達警察がやっとの思いで掴んだ情報を既にリキョウは把握していた。単独でそのような調査が出来たとは思えない。彼はもしかしたらFBIやCIAのような国家組織・・・・に所属しているのではないか。何となくそんな気がした。



「……!」


 その時、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。どうやらアマンダが呼んだ応援が駆け付けてきたようだ。流石ローラだけあってその辺の判断は迅速だ。


「さて、残念ですがお別れの時間が来たようです。まだ私に重要参考人・・・・・として任意同行を求めますか?」


「……そこまで恥知らずじゃないわ。行っていいわよ。でも……核心には近付いてる。私はこの捜査を降りる気はないわよ?」


 流石に命の恩人に対して任意同行を求める気にはなれなかった。それに彼なら逃げようと思えば簡単だろう。リキョウは微苦笑しつつ気障に一礼した。


「もう止めは致しませんとも。であるならまた近い内に再会が叶うかも知れませんね。その時を楽しみにしていますよ、蔡……いえ、凛風リンファ小姐ピンイン


「……っ!」


 リキョウは素早くそれでいてごく自然な動作でリンファの手を取り、その甲に口づけをした。あまりにも自然な動作であったために、リンファは反応が遅れた。そして気付いた時には既にリキョウは身体を離していた。


「な、な……あ、あなた……」


「それでは、またお会いしましょう。再見!」


 リンファが顔を真っ赤に染め上げてあたふたしている隙に、リキョウは風のような速さでこの場から走り去っていってしまった。


 後に残されたリンファは火照った頬と速くなった動悸を自覚しつつ、この事件を追っていけばまた彼に会えるかもしれない、その事実を意識してしまうのであった……

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