Episode7:カリーナ・シュルツ
ニューヨーク、マンハッタン。ニューヨークシティの5つの行政区のうち最も発展している中心的な区画だ。それほど広いとはいえないマンハッタン島の中にニューヨークの政治、経済、司法、金融、IT他にも様々な機能が集中している。
有名なのはウォール街やニューヨーク証券取引所などだが、それ以外に市庁舎や
それだけでなくかの『自由の女神像』を始め、エンパイアステートビル、セントラルパーク、タイムズスクエアといったニューヨークを象徴するような名所、ランドマークもその殆どがマンハッタンにある。
いわばマンハッタンは外国人や、アメリカ人でもニューヨーク州以外に住む人間がイメージする『ニューヨーク』そのものであるとも言えた。因みにダイアン達大統領一行が向かった国連本部もマンハッタンの中だ。
尤もそんなマンハッタンも当然ながら時期や時間帯によってその様相は異なってくる。基本的にはビジネス街であるため、特に朝やお昼時は周囲に林立するオフィスビルのどれかに勤める企業人達の行き交う姿が目立つ。日中になると観光客やそれ以外の行楽や買い物目的の人間の数も増えてきて、あのテレビなどでよく見る雑踏になるのだ。
そんな日中のマンハッタンの只中に、ちぐはぐな二人連れの姿があった。1人は黒いスーツ姿で怜悧な雰囲気を漂わせた東洋人。そしてもう1人は子役の俳優かモデル、芸能人と見紛うような色白の金髪美少年であった。
言うまでもなく東洋人はリキョウ、そして美少年はイリヤであった。
「マンハッタン……。私がまだ中国統一党の役人であった時に一度だけ来た事がありますが……相変わらず興味深い街ですね」
リキョウは通りを行き交う人々の姿に目を細めながら呟く。単に人口や人口密度というだけなら、それこそ中国にはもっと人の多い街や通りはいくらでもあった。だが、違う。
中国の雑踏はどれだけ人がいても、悪く言えば代わり映えが無かった。リキョウの目には皆が
しかしこの国の人々は違った。1人1人に個性があって輝いて見えた。そんな人々が大勢集まるこのニューヨークは、リキョウからすれば
「……とはいえ自立した個性があるが故に、その
リキョウはそう言って嘆息した。通りを行き交う人々の多くがすれ違いざまに自分達に注目しているのを彼は感じていた。保守色の強い田舎ならともかくここではアジア人もそこまで珍しくないので、注目される原因は勿論自分ではない。
「はぁ……凄い。こんなに高いビルが一杯……。何メートルあるんだろう」
その
こんな芸能界から飛び出してきたような美少年が、人通りの多い場所で注目されない訳がない。中にはイリヤに対してスマホを向けてシャッターを切る者さえいた。特に女性に多い。このSNS全盛の時代、肖像権もなにもあったものではない。
「イリヤ君、お上りさん丸出しでいつまでも呆けていないで、検事局へ急ぎますよ」
「あ……う、うん」
男性でしかも子供である為かそうした好奇の目線には疎いらしく、イリヤは何も気づいていない様子で慌てて追従してきた。
(やれやれ……よもやこの私が
どうせ
むしろイリヤのような目立つ少年が側にいて注目されていた方が、敵は手が出しにくくなる可能性さえあった。
(ふむ……もしやカリーナ女史の
リキョウも許に随行する中である程度ダイアンの人となりを把握しており、あの抜け目ない御仁ならその線も大いに有り得ると判断した。
リキョウに注意されても尚物珍しそうに街を見渡すイリヤを引き連れながら、ロウアーマンハッタン……つまりマンハッタン島の
ニューヨーク州南地区検事局はその名の通り、このニューヨークシティを含めたニューヨーク州の南部を管轄としている。カリーナはここの検事総長なのだ。ダイアンと同年代のしかも女性としてはかなりの出世スピードと言えるだろう。裁判官の経験こそないものの、連邦最高裁判事の指名を受けるのに経歴や能力的にも不自然さはない。
検事局はこのニューヨークの市庁舎と道を挟んで隣り合うように建っていた。近くにはニューヨーク市警の本部もある。周辺は巨大なビルばかりなので埋没しているが、単体ではそれなりに大きく立派な建物であった。
玄関を潜るとすぐに厳かな雰囲気のロビーがあり、またイリヤが圧倒されて内装を見渡していた。この上では世界最大規模の都市を管轄とする検事達が、この都市のみならず州内で起きる様々な事件の裁判で被告を有罪にする為に忙しくしている訳だ。
受付を兼ねている施設管理事務所の窓口へ向かう。やや冷たそうな印象の若い女性が窓口にいた。
「やあ、麗しいお嬢さん。今日も仕事に精が出ますね」
「……検事局に何かご用ですか? 申し訳ありませんが、アポイントの無い方は誰にもお取次ぎできません」
受付にいた女性はイリヤの容姿に目を奪われながらも、彼とリキョウの関係性が解らずやや警戒した表情で応対してきた。こんな目立つ子供連れでリキョウのような堅気には見えないアジア人がにこやかな笑顔で現れたら、数多くの刑事事件を扱う検事局の人間としては警戒せざるを得ないだろう。
仕方がないとはいえ、初対面の女性にこのような対応をされてリキョウは嘆息した。しかし大統領府の人間が派遣されていると大体的に喧伝する訳にもいかないので、今ここで名乗る事は出来ない。
「勿論ちゃんとアポイントは取ってありますとも。カリーナ・シュルツ女史に対してね」
「……! 検事総長の……?」
「ええ、『円卓は間もなく壊れる』とお伝え頂けますか。それで彼女には通じると思いますので」
カバール側が大統領府の人間を装って彼女に近付こうとする事態も懸念されたので、予め暗号を定めてあった。このキーワードを言わずに大統領府の人間を名乗ったらそれは
「……解りました。ただしもし検事総長が知らないと言った場合、警察を呼ばせて頂きます。幸いすぐそこにありますので」
「どうぞご自由に」
リキョウは慇懃な仕草で一礼する。既にこの検事局の警備員達がこちらを遠巻きに監視していた。どうやら今の自分は余程怪しい外見に見えるらしい。ビアンカにも笑われた記憶を思い出してリキョウは再び嘆息した。まあそれだけでなく、イリヤのような子供連れである事も怪しさを倍増させているのだろうが。
受付の女性が内線でどこかと話している。しばらく応答が続いて、やがて女性が通話を切った。
「……シュルツ検事総長がお会いになるそうです。オフィスまでご案内します」
「大変結構ですね。イリヤ君、行きますよ」
リキョウは再び嫌味なほど慇懃に一礼してからイリヤを促した。女性に案内されてカリーナのオフィスに向かう。エレベーターから降りると、そこはまるで一流ホテルの中と見紛うような高級な内装の廊下や部屋が広がっていた。
「なるほど、アメリカの法曹界というのは随分羽振りの良い業界のようで」
リキョウが少し皮肉気に呟く。中国では特に政府にとって都合の悪い人間が冤罪で陥れられる事は日常茶飯事であり、検察というのはその片棒を担ぐ存在というイメージが強く、中国人民にとって怖れられる存在でもあった。勿論アメリカにおいては全く事情が異なるだろうが、元々持っているイメージというのは大きい。
「……こちらがシュルツ氏のオフィスです。どうぞ」
やや居心地が悪そうに咳払いした女性が廊下の奥にある大きなドアの前まで彼等を案内し入室の許可を得ると、そそくさと立ち去っていった。リキョウはそれを見送ってかぶりを振った。
(おっと、いけませんね。私とした事が、知らずの内に苛立って『気』を発散していたようです。これは大統領から与えられた重要な任務。私の個人的感情など些細な事。自分の仕事に集中するとしましょうか)
ビアンカの護衛から外された事が軽い苛立ちの原因になっていた。それを自覚した彼は一つ大きく息を吐いて気を落ち着けると意識を切り替えた。
「失礼致します」
一言断ってからドアを開ける。中は広い造りの部屋になっていて、品の良い内装と調度品が彼等を出迎えた。
「ようこそ、ニューヨーク州南地区検事局へ。私がカリーナ・シュルツよ。あなたがダイアンの寄こした私の警護係という事でいいのかしら?」
「……!」
そして奥の大きな窓を背にしたデスクには1人の女性が腰掛けていた。年の頃はダイアンと同年代の、意外にも僅かに黒人の血が入っていると思われるムラートの女性であった。リキョウは完璧な動作で一礼する。
「はい。大統領府からウォーカー大統領の指示で派遣されて参りました、
「ふん……一応の礼儀は心得ているようね。ムラートの私にアジア人の警護を寄こすとは、これもダイアンなりの心遣いというヤツかしらね」
席を立ったカリーナはリキョウの前まで歩いてきて、皮肉気に口を歪める。どうやら友人と言っても、いや友人だからこそ歯に衣着せぬ関係のようだ。
リキョウはここで
「ほら、イリヤ君。君も挨拶しなさい」
「あ、う、うん。あの……は、初めまして。イリヤ・スミルノフです……」
彼は自分の後ろで縮こまっていたイリヤを強引に前に出して挨拶させる。英国貴族の子供のような服に身を包んだ色白で金髪碧眼の芸能人顔負けの美少年が、恥ずかしそうにもじもじしながら上目遣いに挨拶する。
「――――」
果たしてカリーナの動きが止まった。同時に彼女の目がまるでこの世ならざる物を見たかのように限界まで見開かれた。
「お……おぉ……」
「……ミセス・シュルツ?」
不審を覚えたリキョウが思わず声を掛けるが、カリーナの目はイリヤに釘付けになっていた。その口から大きな吐息が漏れ出る。
「はぁぁぁぁ……!! う、嘘でしょぉぉぉぉ……!!」
小さく叫んだかと思うと、イリヤの前に屈み込んで彼の両肩を掴んだ。拳法の達人であるリキョウが目を瞠る程の早業であった。
「ぼ、僕!? 名前は!? 年齢は!? どこから来たの!? 好きなものは!? あ、ああ……! なんて綺麗でスベスベなほっぺた! ちょ、ちょっとだけ触らせて?」
「え、ええ!? そ、その……ちょ、ちょっと、あの……! や、やめて……助けてぇ!!」
最初に名乗ったはずなのだがそれすら聞いていなかったらしく、頬ずりせんばかりのカリーナ。その勢いに目を白黒させたイリヤは、半ば
(これは……想像以上ですね。よく今までスキャンダルの類いに見舞われなかったものです。まあそれだけイリヤ君の破壊力が強烈だったというのもあるでしょうが、恐らくこの
予想以上の
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