Episode9:急接近

 『自警団』としての仕事・・は至って単純なものだった。自治区の通りを練り歩いて、うろついている連中を威圧して回る。ちょっとでも反抗的な態度を取ったりする奴は実力行使・・・・で黙らせて服従させる。基本的にはそれだけだ。


 尤もアダムが加わってからというもの、威圧感に溢れる彼がちょっと凄んだだけで大抵の輩は萎縮して、反抗する者は殆どいなかったが。


 それだけでなく、他の住民達から恐喝まがいの恫喝で金やドラッグなどを脅し取ったりする事も日常茶飯事であった。アダムは基本的にはそうしたあからさまな犯罪行為には加わらなかったが、ダニー達から怪しまれない程度には合わせていた。それにどのみち脅し取られる側も、お世辞にも真っ当な人間とは言えない者達ばかりであったのは事実だ。


 人間の屑がより弱い人間の屑を食い物にしている。まさにこの退廃の『自治区』を象徴しているとも言えた。



(……あまりビアンカを長居させたい場所ではないな)


 彼女とてもう大人なので今更この空気に影響されるような事も無いだろうが、彼女は明らかにこうした犯罪者やチンピラ達を嫌悪軽蔑している節がある。まさにそうした者達の巣窟といえるこの場所に長居する事は、ビアンカの精神衛生上あまり宜しくないだろうという事は容易に想像が付いた。


 早い所任務を終えて帰投したい所だったが、ダニーや自警団からは現時点では黒幕に繋がるような情報は何も得られていなかった。


 そんな状況の中、何か変わった事がないかとアダムが単独で街を見回っている時だった。



「ちょっと止めなさい! 私が誰だか分からないの!?」



「……!」


 通りの向こうから女性の叫び声と、複数の男の意味不明な濁声が聞こえてきた。流石にこれは見過ごせないだろうと彼は声が聞こえてきた方向に駆け向かう。


 表通りからは少し奥まった路地。そこにはみすぼらしい身なりをした何人かの黒人の子供たちと、それを庇うように立つ1人の黒人女性の姿があった。その周りには主にヒスパニック系やアジア系と思われる男達が何人もいて、女性を取り囲んで威圧していた。


 男達は皆焦点の定まらない目をしていて、口からは涎を垂らして意味不明な唸り声を上げている。ナイフなどの凶器を持っている者もいて明らかに緊急事態だ。男達はどう見ても自制が効く状態には見えなかった。重度の麻薬中毒者のようだ。 



「おい、何してる! 離れろっ!」


 敢えて大声を出して男達の注意を惹きつつ、急いで駆け寄る。ジャンキー達は本能的な部分でアダムを脅威と感じたらしく、喚き声を上げながら凶器を振り回して襲い掛かってきた。


「ふんっ!」


 だがアダムは全く躊躇う事無く突進し、先頭の男の顔面に鉄拳を叩き込む。無論充分手加減はしているが、それでもなお人間離れしたパンチを撃ち込まれた男は一溜まりもなく顔面を陥没させながらもんどりうって倒れ込んだ。


 だが他のジャンキー達は仲間が倒されても全く怯む様子無く、喚きながら凶器を突き出してくる。アダムは最小限の動きでそれらの攻撃をいなして、瞬く間に男達を殴り倒した。


 薬物で蝕まれた脳でも自分達が絶対に敵う相手ではないと判断できたのか、最後に残った男が懐に隠し持っていた拳銃を抜き放った。といっても勿論アダムなら対処は容易だ。だがあの女性の見ている前で銃弾に易々と対処する様を見せてしまっても良いものか。一瞬だけ判断に迷う。


「危ないっ!!」


「……!」


 だがその一瞬の間に、彼の予想外の事態が起きた。なんとその黒人女性が男の手首を打ち据えて拳銃を叩き落としたのだ。意外と速く正確な動きであった。更に女性は流れるような動きで、腰を据えた体勢から綺麗なストレートを男の顎に打ち込んだ。


 脳を揺さぶられた男が白目を剥いてその場に崩れ落ちる。アダムは呆気に取られた。女性の動きは明らかに何らかの格闘技を習得している事を示唆していた。



「ふぅ……彼等の注意を引いてくれて助かったわ。丁度使えないボディガード達を首にしたばかりだったから手が足りなくて」


 女性はあっけらかんとした様子で礼を言った。そして庇っていた子供たちを見下ろす。


「さあ、もう大丈夫よ。でも君達も大人からスリを働こうなんて思わないようにね?」


 女性のその言葉だけで何があったかは凡そ推測できた。子供達は何度も首を縦に振ると、女性に礼を言う事も忘れたように大通りの方に駆け逃げて行った。それを見送って溜息を吐く女性。


「……子供が犯罪に走るしかないようじゃ、どうしようもないわね」


 そう呟いた女性は改めてアダムに向き直った。


「あなた見ない顔ね? ここには来たばかり?」


「まあ、な。アダム・グラントだ。最近になってここの『自警団』に入ったばかりだ」



「……! そう、自警団に……。来たばかりなら私の事を知らなくても仕方ないわね。私はルイーザ・フロイト。一応この『自治区』の代表・・という事になっているわ」



「君が……?」


 アダムは少し目を瞠った。ビアンカとリキョウからルイーザに会ったという報告は受けていたが、まさか自分もこのような形で出会うとは思っていなかった。確かに彼等が言っていた通り、立場を嵩に着た傲慢な女性だったり何も知らない愚かな神輿だったりという感じではない。


「どっちにしろここには、こいつらのような理性と知性が吹っ飛んだジャンキー共が山ほどいる。いくらここの代表・・とはいえ、君のような魅力的な若い女性が1人でうろつくには不適当な場所だ」


「あら……? ええ、確かにそうみたいね、ふふ」


 ルイーザは何故か少し上機嫌に笑うと、同じ黒人であるアダムの体格を見まわしてから思案するような表情になった。


「あなた凄く強いわね。私も護身用に格闘技をやってるから解るわ。ふふ……いい事思い付いちゃったわ。ねぇ、アダム、だったかしら。これから私をダニー叔父さんの所まで送ってくれないかしら?」 


「彼なら『ユニコーン』にいるはずだから別に構わないが……」


「じゃあ決まりね。ほら、早く私をエスコートしなさい」


 ルイーザはやはり楽しそうな様子のまま、アダムに自分の腕を差し出した。アダムは一瞬ビアンカの顔が思い浮かんで躊躇したが、ここで変に固辞するのも不自然だ。彼は仕方なく・・・・ルイーザと腕を組んで『ユニコーン』まで彼女をエスコート・・・・・するのだった。





「おお、ルイーザ! 俺の可愛い天使! 新しいボディガードはすぐに選ぶから、それまで余り1人であちこち出歩くなよ!」


 ルイーザと共に『ユニコーン』に出向くとすぐにダニーが自ら出迎えに現れた。


「ごめんなさい、叔父さん。でも新しいボディガードの件はもういいわ。適任の人を見つけちゃったから」


 ルイーザはそう言って傍らのアダムを見上げる。それでアダムにも彼女が何を考えていたかがようやく解った。ダニーが目を丸くする。


「それってその新入りの事か? 中々腕っ節が立つから俺がスカウトしたばっかりだったんだがな」


「あら、そうだったの? でも私の護衛だって『自警団』の立派な仕事でしょう? それに他の人員を何人も割かなくて良くなるなら叔父さんにとっても良い事じゃないかしら?」


「ぬ……」


 ルイーザの言う事は正論らしく、ダニーが小さく唸った。それからややあって盛大に溜息をついた。


「はぁ、仕方ない。他ならない可愛い姪の頼みだ。それじゃ新入り。お前は今から彼女のボディガードだ。大事な仕事だから絶対に手を抜くなよ?」


「やった! そういう訳だからこれから宜しくね、アダム?」


 ルイーザは嬉しそうに手を叩いてから、再びアダムに腕を絡ませて見上げてくる。



「ああ、まあ……宜しく、ルイーザ」


 アダムは曖昧に返事をして頷いた。目まぐるしく変わる状況に彼自身が一番戸惑っていたが、思いもよらない展開となった。だが考えてみればよりこの『自治区』の中枢・・に近いと思われるルイーザの側にいた方が、何かと重要な情報が集まりやすいかも知れない。


 そう思い直してルイーザの護衛という仕事を受け入れるアダム。だが彼はルイーザがどうも自分を気に入った・・・・・らしいと悟って、同時にビアンカへの後ろめたさも僅かに感じてしまうのであった……

 

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