Episode7:宗教弾圧

 『ニューオリンピア自治区』の西側は元々教会などの宗教施設や、美術館や博物館などの文化施設、そして自然公園や運動場など保養施設などが集う立地であった。


 『フロイト教』の教祖・・であるマーティンは、そんな施設の1つであるカトリック教会を乗っ取って・・・・・て、そこを『フロイト教』の総本山として利用しているようだった。



「俺にはどうも馴染みが無いんだが……特定の誰か個人を信仰対象として崇めるってのはおかしな話じゃねえか? ただ死んだ人間ってだけだろ? まあ大昔に死んだ大工の息子・・・・・を崇めてる奴等からしたら、その対象が変わっただけで大した違いはないのかも知れねぇが」


 そんな『西区』の地を歩きながらサディークが皮肉気に鼻を鳴らした。今回ビアンカは彼に付いて西区への調査に同行していた。どこでカバールの悪魔の注意を惹けるか分からないので、基本的に彼女は全ての地区の調査に一度は同行するように決められていた。


 その順番・・をどうするかでまた3人の間で揉めかかったが、とりあえずビアンカが作った即席のくじ引きで決める事となり、最初がアダム、そして2番目にサディークの順番となったのであった。


「大工の息子って……。まあその通りなんだけど、あまり大っぴらにクリスチャンに喧嘩を売るような真似は控えてよ? イスラム教ほどじゃないけど、煩い人は結構煩いから」


 ビアンカ自身はそこまで熱心なクリスチャンではないので苦笑して流せるが、そうでない人もいるだろう。だがサディークは意に介した様子もない。


「へっ、普段ならともかく今現在、この場所なら問題ないだろ。そういう『煩い奴等』は根こそぎ追い出されて、今は新しいカミサマに夢中な奴等ばかりなんだからよ」


「だからそういう言動を控えてって言ってるのよ……」


 言ってるそばからのサディークの態度にビアンカは嘆息した。幸いというかこの辺りは広い通りが多いので、彼等の会話が他人に聞こえてしまう心配は少なかったが。


「ふん、だが何となく雰囲気・・・が変わってきやがったな。もうこの辺からその連中のテリトリーのようだぜ」


 サディークに言われて気付いたが、確かに中央区ではよく見かけた路上に屯する浮浪者やジャンキーの数が目に見えて減っている。落書きやゴミの量も少なくなってきている。それだけならむしろ良い事であったが……



「おっと、早速トラブルのお出ましのようだぜ」


「……!」


 サディークが指し示す先では、数人の男女がより大勢の黒人の男達に取り囲まれて何らかの威圧を受けている様子であった。黒人達は服装こそ統一されていないが、全員が黒っぽい色合いの特徴的な首飾りを付けていた。全て同じデザインの首飾りだ。


「何故だ! 私達は何もしてない! ここは有色人種も迫害されない場所のはずだろう!? 宗教の自由はないのか!?」


 囲まれてる数人のリーダー格と思しき男性が訴えるが、黒人達は増々威圧を強めるだけだ。


「この自治区では『フロイト教』以外の宗教は禁止だ! 他宗教の人間は全員『フロイト教』への入信・・、もしくは改宗・・が義務付けられている! この目障りなものを今すぐ退けろ!」


 黒人達がそう怒鳴って地面に敷かれた絨毯のような敷物と、その上に置かれた水の入った器や分厚い本のような物を蹴飛ばした。脅されているグループの女性が悲鳴を上げる。


 女性は特徴的なスカーフのような被り物を被っている。あれはビアンカもテレビやネットなどで見た事がある。主にイスラム教・・・・・の女性達が被っている衣装だ。という事はあの人達は……



「よう、ろくでなし共。ムスリムの前でクルアーンを蹴飛ばすとは、中々度胸があるじゃねぇか」



「……っ!? な、何だ、お前は!?」


 ビアンカが気付いた時には既にサディークの姿は彼女の隣から消えていて、『フロイト教』の黒人たちの真後ろに出現していた。驚異的な身体能力だ。


「何だってか? サウジアラビアから来た根っからのムスリムだよ。『自由の国』でこういう宗教弾圧は頂けねぇな。ヤク中で死んだジャンキーを聖人扱いして、ましてや無関係の奴等にもそのジャンキーを崇めろとかハードモード過ぎんだろ。宗教ごっこがしてぇんならテメェらだけで勝手にやってろよ」


 歯に衣着せぬというレベルではない禁句連発のサディークにムスリムたちは呆気に取られ、逆に黒人たちは頭から湯気が立ち昇りそうな勢いで瞬間的に激昂した。


「き、き、貴様ぁぁぁっ!! 聖キース・・・・を愚弄するかぁ!! 許さん!!」


 最寄りの位置にいた男がサディークに殴りかかった。彼より一回りは大きい巨漢で体重も相当ありそうだ。その全力の拳で殴られたらそれなりに効きそうだが、当然の如くサディークには通用せず、彼は軽く身を捩っただけで回避して逆にその大男の足を引っかけて転倒させる。


「何だ? 強いのは抵抗しない連中に対してだけか? 情けねぇ奴等だな!」


「こ、こいつ……! もう容赦せんぞ!」


 サディークの挑発に殺気立った男達は、一斉に懐に隠していたらしい武器を抜いた。刃渡りの長いナイフの他、マチェットのような刃物を持っている男もいる。刃物を抜いている時点で殺す気満々だ。どうやら多少規律正しいらしい『フロイト教』の信者たちも、一皮むけば自警団の連中と大差ない暴漢であるようだ。


「はは! 丁度身体が鈍ってた所だ! 少しは楽しませてみせろよ!」


 だが当然そんな物に怯むサディークではない。それどころか嬉しそうに笑って手招きする。こうなったらもう止められない。



「死ねっ!」


 男の1人がナイフを突き出してくる。それなりに速い動きだったが当然サディークには通じず、彼はその手首を正確に掴み取ると身体を引きながら捻るような動作をした。それだけで大きな黒人が、まるで自分からそうしたように回転しながら地面に突っ伏した。


 男の1人が背後に回り込んでマチェットを振り下ろしてくる。頭に当たったら即死だ。だがサディークは後ろに目が付いているかのように最小限の動作で振り下ろしを躱すと、逆にその男の顔面に肘打ちをお見舞いした。


 鼻血を噴いて仰け反る男だが、サディークはそいつの頭を掴み取って強引に抱え込むと、何と相手の首を掴んだまま背負い投げを決めた。巨体が宙に舞って、巻き込まれた男の1人がもんどりうって倒れ込む。

 他にも男達が次々に襲い掛かるが、全て徒手空拳のサディークに鎧袖一触で蹴散らされた。やはり彼は武器や霊力なしの体術面でも、ユリシーズやアダム達にひけを取らないレベルだ。



「く、くそ……何だこの化け物は! こうなったら……!」


「……!」


 1人だけ残った最後の男が作戦を変えて、乱闘にへたり込んでいるムスリム達の方へ向かう。そしてその中でも最も弱そうな、あの悲鳴を上げた女性を抱え上げてその喉元にナイフを突きつける。


「ひっ……!?」


「動くな! ……これで形勢逆転だな?」


 喉元のナイフを強調して女性を大人しくさせると、男はこれ見よがしにサディークを牽制する。彼も流石に人質がいる状態では迂闊に攻撃できないようで、その動きが止まった。だが、その顔には笑いが張り付いたままだ。


「貴様ぁ……何を笑っている!? 抵抗したらこの女を殺す。これは脅しじゃ――――あがっ!?」


 サディークを脅しつけようとしていた男が間抜けな悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。その後ろには……彼等が全く認識さえしていなかったビアンカがいた。無警戒の男の首筋に後ろから手刀を叩き込んでやったのだ。

 

「ナイスだ、ビアンカ」


「もう……! いきなりだし、びっくりしたわ。暴れる時はせめて事前に一言欲しいわね」


 暢気にサムズアップするサディークに、ビアンカは口を尖らせて苦言を呈した。彼は流石に少し申し訳なさそうに頭を掻いた。


「わりぃわりぃ。俺も意外とイスラム教に染まってたみたいだ。自分でもびっくりだぜ」


 ムスリムが迫害・・されてるのを見て、殆ど反射的に飛び出したという事らしい。彼自身は裕福な身の上の破天荒な性格の人物だが、やはり生まれ育った環境という物は大きい。物心つく前からイスラム教の慣れ親しんだ生活を送っていればそうなるのも不思議はない。




「あ、あの、ありがとうございました。サウジアラビア出身と仰っていましたが、あなたもムスリムなのですか?」


 助けられたムスリム達のリーダー格と思しき男性が話しかけてくる。


「ああ、まあな。アンタらはどこの出身だ? その英語の訛りからしてアメリカ暮らしはそんなに長くないだろ」


 高等教育の賜物か自身は流暢な英語を操るサディークの問いに、男は特に隠す事もなく頷いた。


「は、はい。私達は数か月前にアフガニスタンからこの街に来ました。今あの国は家族と安心して暮らせるような状況ではないので……」


 男は憂いを帯びた表情で、先程人質になった女性を振り返る。どうやら夫婦か何からしい。


「しかしこの街でようやく仕事を見つけてこれからという時に、丁度私達が住んでいた区画にこの『自治区』が出来てしまって……」


 元からここに住んでいたという事らしい。それは何とも不運な話であった。いや、同じようにこの辺りに住んでいたという人は大勢いるのだろう。その殆どは強制退去・・・・の憂き目に遭ったが、大多数が白人である彼等は他の場所でも生きていく術があった。だが非白人でしかもこの国にやってきたばかりであるこの人達は、この自治区から出るに出られなかったのだ。


「アフガンって事は同じスンナ派か。まあ俺達・・は国境や学派に関係なくムスリムを助けるって建前・・の組織だから関係ないか。とりあえずここにいると面倒そうだから移動するか。アンタらの家とか拠点みたいな場所はあるのか?」


「は、はい。現在私達がコミュニティとして集っている場所ならあります。そちらへ行きましょう。あ、因みに私はカシームと申します。こちらは妻のハディです」


「俺はサディークだ。こいつはビアンカ。白人だが俺の女だから気にするな」


 かなり大雑把な自己紹介を終えてビアンカ達は、カシームらこの地区のムスリムが集うという場所へ赴く事になった。





「う、うう……あ、あいつらぁ……。我等が威光を怖れぬ不信心者どもめ……。すぐに教会に戻るぞ! あのムスリムの用心棒・・・の件、マーティン様にご報告しなければ……!」


 サディーク達に叩きのめされて転がっていた『フロイト教』の男達だが、やがて意識を取り戻すと、この一件とサディークの事を教祖であるマーティンに報告して対処を仰ぐべく、拠点である教会へと引き揚げていった。



「…………」


 そしてその様子を一匹の野良犬・・・・・・が、先程のサディーク達とのトラブルからずっと眺めていた事に、人間達は誰も気付かなかった……

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