Episode6:裸の王様

 現在『ニューオリンピア自治区』は3つの区に分けられていて、『中央区』は政庁を兼ねるオフィスビルを含めた最も広いエリアで、完全にアフリカ系の黒人たちが中心となっている。ビアンカ達が最初に入ったのも『中央区』であり、犯罪と暴力が蔓延るこの自治区全体のイメージはほぼこの中央区のイメージと同義であった。


 他に『西区』と『東区』があり、西区はフロイト教・・・・・が支配しているテリトリーで、人種の区別はなくフロイト教の信者たちが中心となっている。こちらは中央区に比べると比較的規律が取れているらしい。


 東区は主に中国系や韓国系などアジア系の人種が集まっていて、中には個人商店を開いている者も多く、この自治区全体における一種の商業地区・・・・と言っていい場所であった。


 『オリンピア自警団』は主に中央区を中心に幅を利かせている暴力集団であり、この自治区全体で最も規模の大きい組織でもあった。『政庁』たるオフィスビルを管理・・しているのもこの自警団らしい。



「一応はこの自治区の支配組織という事になり、黒幕への道筋を見つけられる可能性が最も高いのもこの自警団だろう」


 アダムは隣を歩くビアンカに説明しつつ自分の考えを述べている。ビアンカは首を傾げた。


「ダニー・フロイトだったかしら? この自警団のボスが黒幕自身という可能性はないの?」


「十中八九ないだろうな。ペドロや他の住人たちの話を聞く限りでも、そこまでの大物ではないようだ。カバールの悪魔は俺達の目に見えない場所に潜んでいるのは間違いない。そいつを炙り出す取っ掛かり程度にはなるだろうがな」


 話しながら自治区の通りを歩くビアンカとアダム。リキョウとサディークはそれぞれ西区と東区の調査、偵察に赴いている。アダムは中央区の担当だ。ビアンカは必ず誰かに付いている必要があるので、今回はアダムに同道している。


 中央区の通りには浮浪者や麻薬中毒者と思しき者達が徘徊しており、白人であるビアンカに視線を投げかけてくるが、大半は一緒にいるアダムが一睨みくれてやると、彼の体格や威圧感に恐れをなして目を逸らした。


 彼等はペドロが言っていた酒場『ユニコーン』を目指して歩いていた。自警団の連中はオフィスビル以外にその酒場をたまり場にしているらしいからだ。



「あったぞ、あれだな」


「……!」


 アダムが指差す方向に、比較的広い駐車場スペースを持つバーレストランがあった。駐車場には大きく一角獣のシルエットが描かれた看板が屹立しており、遠くからでも視認できた。店の入り口には『ユニコーン』のスペルが。


 まだ昼間の時間帯から営業しており、下品な音楽や男達の濁声、女達の嬌声と思しき騒音が漏れ聞こえてくる。ビアンカは眉を顰めた。


「本当に酷い所ね。一刻も早く任務を終わらせてDCに戻りたい気分になるわ」


「気持ちは分かるが、あまり表には出すな。ただでさえ君はここの連中の耳目を集めやすい状態だからな」


 アダムは苦笑しつつ忠告する。『ユニコーン』の前まで着いた2人だが、ここで店の前で屯していたガラの悪い連中が2人に気付いて取り囲んできた。


「何だ、お前。見ない顔だな? 新入りか?」


「その女は白人かよ。そいつは立ち入り禁止だ。入っていいのはお前だけだ」


 ゲートの時と同じような感じの絡まれ方だ。アダムは殊更にその巨体による威圧感を発散させる。


「こいつは俺の女だ。どこに連れていくかは俺が決める。お前らの指図は受けん」


「な、何だと、こいつ。逆らう気か……!」

「白人を庇うならお前も奴等の仲間だ」


 男達はアダムの威圧にたじろぎながらもなけなしのプライドで踏み止まって、数を頼みに包囲を狭めてくる。とはいえアダムなら蹴散らすのは簡単だ。ビアンカ自身もこんな奴等に負ける気はない。問題はここでトラブルを起こす事が正しいのかどうかだが……



「……ビアンカ、殺さない程度に手加減しておけ」


「……!」


 アダムが彼女にしか聞こえない声音で呟く。彼はここで暴れる事を是としているようだ。理由は分からないが、そういう事であればビアンカも遠慮が要らない。いい加減にフラストレーションが溜まっていた所だ。


「オラッ!」


 男の1人がビアンカに襲い掛かってきた。手にはナイフを握っている。だが素人のナイフなど怖くもなんともない。水平に滑らせた手刀で男の手首を打ち据えてナイフを叩き落とす。そして痛みで怯んだ所にハイキックを側頭部にお見舞いする。


 ビアンカが素人相手に得意としているコンビネーションだ。碌に防御も出来ずにハイキックを喰らった男は白目を剥いて倒れ込む。


 眼前の相手を倒したビアンカが振り向くと、他に4人程いた男達は全員一瞬でアダムに打ち倒されてアスファルトを舐めていた。勿論ナイフやバールなどで武装していたが、そんな物は彼にとって無いに等しかった。


 とはいえ店の入り口で乱闘騒ぎを起こしたのだ。それが中に伝わらないはずがない。案の定店内からもっと大勢の男達が出てきた。恐らく全員自警団の連中だろう。中には銃を持っている者もいる。


 アダムは勿論問題にしないが、ビアンカも対悪魔用の手袋とシューズは外しているもののアルマンのチョーカーは身に着けていたので、拳銃程度でいきなり致命傷を負う事はないはずだ。



「……ただの酔っ払い同士の喧嘩かと思ったが、久しぶりに随分活きのいい奴が現れたもんだ」



「……!」


 と、その男達を割るようにして奥から1人の男が姿を現した。やはり黒人だが、他の男達よりも身なりが良い。というよりはっきり言えば趣味の悪い成金のような、高級だが下品な装いであった。その姿を見たビアンカは直感した。


「あんた、ダニー・フロイトか?」


 同じ確信を抱いたアダムが確認すると、男はあっさりと肯定した。


「ああ、そうだ。俺もだいぶ有名人になったもんだ。お前は新顔だな? この『自治区』には何しに来た?」


「それがあんたに関係あるのか?」


「あるから聞いてるんだよ。俺はこの自治区の『自警団』を率いてるからな。犯罪者・・・がいないかチェックする義務があるのさ」


 犯罪者で溢れ返った肥溜めの王がそんな事を言うので、ビアンカは思わず失笑しそうになった。



「ちょっと事情・・があって『外』に居られなくなってな。ここの噂を聞いてやってきた」


「なるほどなるほど、そいつは災難だったな。確かにここなら警察に捕まる心配はない。ここには同じような奴がごまんといるぞ。ただ……白人女・・・を連れてる奴はそう多くないがな」


 そこでダニーの視線がビアンカを向いた。彼女は黙ってその視線を受け止める。


「こいつも同じような身の上だ。白人だが他の白人を殺した罪で警察に追われてる。ここのトラブルにはならんと保証する」


 アダムが予め決められた設定を語る。ダニーは思案する様子になった。



「ふむ……まあそういう事なら見逃してやってもいいが、1つ条件がある。お前、随分と腕っ節が良さそうだな。お前がうちの自警団に加わるならその女の事は目溢ししてやる。どうだ?」



「……!」


 ペドロが言っていた通りの展開になった。もしかするとアダムはこれを見越して先程の喧嘩を容認したのかも知れない。倒れて未だに呻いている男達の姿は、アダムの『腕っ節』のこれ以上ない証明になる。


「いいだろう。俺もここでの仕事・・が欲しかった所だ。自警団に加わろう。その代わりこの女には手出し無用だぞ。これは俺の女だ」


「ははは! 随分な執着ぶりだな! きっとさぞ具合・・が良いんだろうな? 心配しなくても俺は白人女は嫌いなんで頼まれても手は出さんよ。兵隊どもにも伝えておこう。街の連中に関しては、自警団に入ればそのメンバーの女に手を出そうなんて馬鹿はここにはいないさ。尤も『西区』の連中はその限りじゃないかも知れないから気を付けろよ?」


 ダニーが下品に笑いながら請け負う。これである程度だがこの自治区内でのビアンカの身の安全は確保された事になる。アダムが自警団入りを決めたのは潜入調査というだけでなく、ビアンカの安全も理由だったようだ。


「それで充分だ。アダム・グラントだ。宜しく頼む」


「ははは、強くて活きのいい奴はいつだって歓迎さ! ここは白人共に支配されない俺達のパラダイスだからな! さあ、店の中に入れよ! 早速歓迎会と行こうじゃないか!」


 ダニーは上機嫌に入店を促して、自らも店内に戻っていく。パラダイス。その言葉がこれ程虚しく響く状況もないだろう。


 ダニーはこの自治区が如何に危うい状況で成り立っているか解っているのだろうか。恐らく裏でこの事態の糸を引いているカバールや中国にしても、この自治区の事などダイアンや国民党にダメージを与える為の捨て駒程度にしか思っていないだろう。


 文字通りの『裸の王様』だ。ビアンカはダニーに哀れみさえ感じた。いや、ダニーだけではなく……


(……もっと可哀想なのは、そのルイーザって女性ね)


 神輿として祭り上げられた哀れな女性。ダニーが偽りの権力を手に入れられたのも、ルイーザの血縁だからというだけだろう。ルイーザの為にもこの歪な自治区は解体すべきだという認識をより強くするビアンカであった。




「…………」


 だがビアンカも、そしてアダムでさえも、今の一幕を一匹の犬・・・・がじっと観察していて、アダムが無事に自警団に入れた結末を見届けると、その犬が踵を返してどこかに走り去っていった事に気付かなかった……

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