Episode3:押しに弱い女?

 ロサンゼルスと並んでアメリカ西海岸を代表する大都市であるシアトル。一般人には巨大で特徴的な外観の展望台『スペースニードル』でお馴染みだが、古くから太平洋の海運における重要な中継地点であった事から、運送輸送などインフラに関わる大企業が多く本社を置く企業城下町としても経済界の間では名高かった。


 アメリカ西海岸の、アラスカを除けば最も北側に位置するワシントン州は、当然ながら東海岸にある首都DCからはかなりの距離がある。そして距離があるという事は当然、移動にも時間が掛かるという事で、これが仲の良い友人や家族同士での旅行などであればその長い道中も快適ではあっただろう。しかし……



「西海岸といや、ロサンゼルスに行く予定はねぇのか? あそこには今知り合いがいるんだよ。旅行ついでにちょっくら立ち寄れねぇか?」


「い、行き先を決めてるのは私じゃないから、勝手に他の街には寄れないわよ」


 いつもの任務と同じく現地までは大統領府所有のビジネスジェットで飛ぶ事になる。そのジェットにはパイロットを除けば、現在4人の人間が搭乗していた。


 1人は勿論ビアンカ自身だ。悪魔を誘き出す『天使の心臓』の持ち主たる彼女がいなければ作戦は遂行できないので、完全な必須要員と言えた。問題はそんな彼女の護衛役として同行する残り3人のメンバーにあった。


「だったら帰りならいいだろ? 金なら出すぜ。俺も折角アメリカまで来たからにはあちこち見て回りたい所が沢山あるしよ」


 そのメンバーの1人サディークが、ビアンカの隣の席に密着するように座って馴れ馴れしい態度で話しかけてくる。


「い、いや、だから決めてるのは私じゃないから……」


 押しの強い彼の態度にビアンカはタジタジとなってしまう。今まであまり周囲にこういうタイプの男性がいなかった事もあって、どう対処していいのか解らない。比較的フェミニズム思想が進行した欧米諸国ではこういう自分の欲望を全面に出すタイプの男性は少なくなり、必然女性の側も対処方法・・・・に不慣れとなる。


「アンタはもっと自分の欲求を表に出した方が良いぜ。待遇改善を訴えろよ。アンタがいなきゃ悪魔退治は成り立たねぇんだ。多少我儘言ったって許されるさ」


 だが欧米とは全く異なる価値観、国教の国出身であり、尚且つ今まで金にも女性にも不自由した事がないであろうと容易に想像がつく身分であるサディークは、そんなビアンカの戸惑いを無視してグイグイと迫ってくる。



「おい、いい加減にしろ。ビアンカが困っているのが見て解らんのか?」


 そしてそれを残りのメンバーが黙って見ているはずもない。陸軍の兵士で黒人のアダムが苦虫を噛み潰したようような顔と声で制止する。


「ああ? 俺は今ビアンカと話してんだよ。関係ねぇやつは黙ってろ」


 すると途端にサディークは不機嫌そうに相手を恫喝する調子になる。一般人ならそれだけで怯んでしまいそうな迫力だが、一般人ではないアダムには勿論効かない。


「サウジアラビアでは知らんが少なくともこの国では、相手の意思を無視して一方的に話かけるのを『話している』とは言わんな。それに俺は彼女の『護衛係』なのでな。ビアンカに対する侵害・・を放置する事は出来ん。今すぐ彼女から離れろ」


「侵害だぁ? てめぇ……上等だ」


 サディークが目を細めて席を立ち上がる。アダムも受けて立つとばかりに立ち上がってお互いに睨み合う。アダム程ではないがサディークも充分立派な体格なので、それなりに広いビジネスジェットのルームフロアが狭く感じるような圧迫感と威圧感が凄まじい。


「てめぇは兵士なんだろ? だったらお上・・の言う事には黙って従えや」


「大統領や国防総省の命令には勿論従う。だが王子だか知らんが他国人のお前の命令を聞かねばならん義務は一切ないな」



「ちょ、ちょっと2人共、こんな所で……」


 ヒートアップしそうな2人にビアンカが慌てて仲裁しようとする。こんな高速飛行中のジェットの中でこの2人に暴れられたら大変な事になる。だがサディークもアダムもそんな消極的な仲裁を聞くような状態ではない。ビアンカの焦りが大きくなるが、そこに……


「……!!」


 彼等の間に割り込むようにして青っぽい体色の大蛇・・が出現した。突然現れたので初見のサディークは勿論、アンカレジで見ているはずのアダムもギョッとして飛び退いた。


 これはもう1人のメンバーであるリキョウの使役する仙獣のうちの1つ、『冥蛇めいだ』だ。という事は……



「……他に激している人物がいると却って冷静になれるという話は本当のようですね」


 リキョウはかぶりを振りつつ、まずアダムの方に視線を向けた。


「ミスター・グラント。ビアンカ嬢に迷惑を掛けるなと言って、あなたがその『迷惑』になってどうします? 少し冷静になりましょうか」


「……っ」


 冷静に事実を指摘されたアダムが言葉に詰まる。続いてリキョウはサディークにも視線を向ける。


「サディーク殿下・・、これは物見遊山の観光ではありません。この国を蝕むカバールの陰謀、そしてそれに巻き込まれる多くの人の命が掛かっているのです。これは一種の聖戦・・です。その自覚が無いのであれば却って邪魔になりますので今すぐお引き取り願えますか?」


「ぬ……!」


 正論で諭されたサディークも咄嗟に反論できずに唸る。今しかないとビアンカも自分の意見を表明する。


「リキョウの言う通りよ。現地で何があるのか、どんな悪魔が待ち構えているのかも分からない状態で、そういう気分・・・・・・にはとてもなれないわ。だから今はシアトルでの任務に集中して欲しいの」



「……ふぅ、俺とした事がつい周りが見えなくなってしまっていたな。勿論だ、ビアンカ。プロの軍人としてこの任務の達成を最優先とする事を改めて約束しよう。安心してくれ」


 一早く冷静になったアダムが、バツが悪そうに頭を掻きながら請け負う。ビアンカもホッとして頷いた。


「勿論よ。信頼しているわ、アダム」


 するとサディークもまた頭をガリガリと掻きながら溜息を吐いた。


「ち……よりにもよって俺ら・・聖戦ジハードって言葉を使いやがるかよ。そう言われちゃ仕方ねぇ。立ちはだかる悪魔ジン共は俺が残らず斬り捨ててやるぜ。それなら文句ないだろ?」


「……! サディーク、ありがとう!」


 ビアンカは笑顔になって礼を言う。そんな彼女にしかしサディークは指を突き付ける。



「ただし! どんな戦争にも戦後褒賞・・・・は付き物だ。それだけは譲れないぜ。こういうのはどうだ? 今回の任務で悪魔を一番多く倒した奴が、任務の後にお前と丸一日付き合えるってのは? それならお前らもやる気が出るだろ?」



「「……!!」」


 アダムとリキョウの表情が変わる。リキョウ自身もかつてアトランタで任務の報酬代わりにビアンカとのデートを要求した事があったが、まさかサディークも一応競争という形ではあるが同じような提案をしてくるとは。 


「ほぅ……そういう事であれば反対は致しませんよ。確かにモチベーションの維持に報酬・・の存在は欠かせません。あなたと彼女のデートを阻止するという意味でもその話に乗るとしましょうか」


「リ、リキョウ!?」


 つい先程まで他の2人を諭していたはずの彼があっさりとサディークの提案に乗ってしまった事に驚愕するビアンカ。


「申し訳ありません、ミス・ビアンカ。アトランタ以降貴女との関係に進展がない事が気になっておりまして。そろそろ貴女との関係を一歩進めたいと思っていた矢先なので」


「う……」


 正面から切り込まれてビアンカが言葉に詰まる。アトランタ以降も当然リキョウからのアプローチは何度かあったものの、色々理由をつけて躱していたのだ。別に彼が嫌とかではなくむしろ好ましくさえあったが、何故かユリシーズの顔が脳裏にチラついてしまい、リキョウとそれ以上関係を深める気になれなかったのだ。


「……彼女が嫌がる事を無理強いしない。それが条件だ」


「アダムッ!?」


 まさか寡黙で真面目な彼がこの話に乗るとは思わなかった。だがアダムはかぶりを振った。


「ビアンカ、安心してくれ。要は俺が勝てばいいだけだ。それでこの話をチャラに出来る。俺はそんな交換条件で君と付き合いたいとは思わないからな」


「ア、アダム……」


 アダムが彼女を助けようとしてそう言ってくれているのだと分かって、ビアンカは何と言っていいか分からなくなる。だがここは素直に感謝すべきだろう。



「けっ! いい奴振りやがって。欧米人ってのはそういう所が淡白で共感できねぇんだよ。好きな女を物にできるチャンスってのは自分で作っていかなきゃいつ迄経っても巡ってこないモンだぜ?」


「不本意ですがそれに関しては同感ですね。私も自分の気持ちに嘘をつくのは流儀に反するので」


 だがサディークもリキョウも報酬としてビアンカとのデートを要求する事を撤回する気はないようだ。サウジアラビアで王子だったサディークは勿論だが、リキョウも中国では名うてのプレイボーイだったようなので、案外女性に関する価値観やスタンスは似ている部分があるのかも知れない。 


 カバールとの戦いは基本的にいつも過酷なものとなるし、彼らには以前にも何度も助けられている。それで彼らのモチベーションになるのならとビアンカも無理に断る事は出来ず、結局無事に今回の任務を終えたら一番戦果・・を挙げた人物に、『報酬』として一日デート権を与える事となってしまうビアンカであった。

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