Episode19:暗黒の御子

 本性を現した『炎熱妖怪ファイアーファントム』アモンと、『紅孩児』の上仙である黄汪文。2人の強敵を相手にユリシーズ達が油断なく戦端を開こうとした時……



『んんーー。でもやっぱり『エンジェルハート』が近くにいるというのはお互いにやりにくいよねぇ? ここは一旦僕が彼女を預かって・・・・おくから、気兼ねなく全力で戦うといいよ』



「っ!!?」


 全く唐突に、黄の物ともアモンの物とも異なる第三者の声がその場に響いた。それと同時にビアンカ達の背後に強い魔力を発散する気配が出現した。


 ユリシーズやリキョウでさえその接近に気付かなかった。ビアンカはすぐ真後ろで聞こえた声に慌てて向き直った。


「ひっ!?」


 そして思わず悲鳴を押し殺してしまう。とんでもなく大きな『目』が間近で彼女を見据えていたのだ。それは赤黒い血管の浮き出た表皮に覆われた巨大な一つ目・・・であった。『目』の直径は1メートル以上ありそうだ。


 その『目』を覆う表皮の両側から蝙蝠のような腕と一体化した皮膜翼が生えて、それで羽ばたいて地面から浮遊しているのだ。更にその『目』の下には表皮と同じ色合いのやはり蝙蝠のような小さな脚が2本生えていた。



 蝙蝠の翼と脚を持つ巨大な一つ目。それが彼女の間近に出現した存在であった。



「き――――」


 ビアンカは咄嗟に跳び退って距離を取ろうとする。当然ユリシーズとリキョウも反射的に彼女と『目』の間に割って入ろうとするが、それらのどの動きよりも『目』の方が速かった。


 『目』から一条の光線のようなものが射出される。否、その光線は形と実体を持った光の帯・・・とでも言うべきもので、まるで生きている蛇のようにビアンカの身体に巻き付いた。


 光の帯は『目』と連結されていて、『目』が翼をはためかせて素早く上空に飛び上がると、それに引っ張られてビアンカも空中に吊り上げられた。


「く……ぐっ……!」


 ビアンカは必死に身体をもがかせるが、光の帯は絶妙な力加減で彼女の身体を拘束しており外れる気配が無い。腕ごと身体に巻き付いているのでグローブで殴ったりも出来ない。



「ミス・ビアンカ!」


 リキョウが叫んで煉鶯を飛ばそうとするが、


「――敵に背を向けるとは余裕だな、仁?」


「……!!」


 黄が何本もの太い氷柱を撃ち込んできたので、それに対処せざるを得なくなる。同じ上仙である黄は後ろを気にしながら戦える相手ではない。同じように……


『ふんっ!!』


「ちぃ……!」


 『目』に向かって黒火球を投げつけようとしたユリシーズも、その隙に突っ込んできたアモンの攻撃によって中断を余儀なくされる。



『……サタナキア・・・・・か。このヴァーチャー計画からは一歩引いていた貴様が今更出てきて何のつもりだ? 『エンジェルハート』の横取りは許さんぞ。優先権・・・は最初に接触した私にあるのは解っていような?』



 ユリシーズを牽制しつつ、アモンが上空にいる『目』……サタナキアを睨み付ける。アモンの態度からしてもサタナキアは中級悪魔などではなく、カバールの構成員たる上級悪魔であるようだ。


 この街にはバルバトスも含めて3体もの上級悪魔がいたという事になる。


『勿論解っているさ、アモン。これは本当にただの善意・・だよ。『エンジェルハート』が戦闘に巻き込まれて死んでしまっては君だって困るだろ? それが気になって全力を出せないんじゃないかい? だから戦闘の間は僕が一時的に預かっておくだけさ。そうすれば君だって心置きなく戦えるだろう?』


『……ふん、確かにな。何を企んでいるかは知らんが邪魔だけはするなよ?』


『はは、それは約束するよ』


 悪魔どもが話している間にも当然ビアンカは必死に逃れようと身を捩っていたが、無情にも光の帯は全く緩んだりしなかった。



『さあさあ『エンジェルハート』。それじゃ僕等は特等席・・・で安全に観戦するとしようか』


「……っ!」


 サタナキアはそう言うとビアンカを吊り下げたまま更に高く飛び上がった。そして戦場から離れるように、ヴァーチャーが保管されていると思しき旧講堂に天窓を破って侵入していった。 


「ち……後を追います!」


「あ、おい、待て!」


 躊躇いなく連れ去られたビアンカを追って駆け出すリキョウ。ユリシーズも慌ててその後を追おうとするが、やはりアモンに妨害される。


『ミスター・黄。あの中国人の始末は任せるぞ。ここの秘密を知られた以上生かして帰す訳には行かんからな』


「言われるまでも無い。あなたこそその男の始末をきっちりつけて頂くようお願いする」


 黄はそう言って、ユリシーズの相手をアモンに任せて自身はリキョウを追って駆け出していった。




『さあ、小僧。観念して大人しく…………!!』


「邪魔……すんじゃねぇェェェェッ!!!」


 ユリシーズの身体から凄まじいまでの魔力が噴き出した。それは上級悪魔であるはずのアモンが思わず目を瞠るほどの圧力であった。


「ぬぅあぁぁぁぁぁっ!!」


 ユリシーズは振り向きざまに、自身の手の先に発現させた黒炎の剣ヴェルブレイドをアモンに叩きつけた。魔界の炎による超高熱がこの世の物ならぬ切れ味を付与し、どんな物でも切り裂く斬断の刃となる。


 アモンはそのヴェルブレイドの斬撃をまともに受けた。普通であれば抵抗すら許さずにその身体を切り裂くはずの黒炎剣はしかし……


「……!」


『馬鹿め、無駄だ!』


 ヴェルブレイドはアモンが掲げた腕に接触すると一方的に弾けて消滅してしまった。どうやら炎の力を用いた攻撃は例え斬撃であっても無効化してしまうようだ。


 アモンが反撃にそのライオンの鉤爪を振り下ろしてくる。その爪にも炎が纏わりついていて、喰らったら裂傷と火傷を同時に負うだろう。


「ち……!」


 ユリシーズは咄嗟にダークバリアーでその爪撃を防ぐ。直後バリヤー越しに凄まじい衝撃を感じて身体をよろめかせた。


『カアァァァっ!!』


 アモンは畳み掛けるように連続で両腕の爪を振り回して攻撃してくる。その度に衝撃によって身体を揺さぶられ反撃できない。やがて連撃を受けるバリヤーに亀裂が走り出す。


(……っ! やべぇ!)


『死ねぃ、小僧!』


 ユリシーズは後ろに跳び退ろうとするが、それよりも前にアモンが今度はその炎に包まれた巨体ごとショルダータックルを仕掛けてきた。既に亀裂が入っていたバリヤーはその質量と衝撃に耐えきれずに、遂に粉々に砕け散って消滅した。


「ごはっ……!!」


 そのままの勢いでアモンの突進を受けたユリシーズは、ファイアータックルを受けて全身の骨が砕かれるような衝撃と追い打ちに炎熱で炙られ、重度の打撲と火傷を負って血反吐を吐きながら吹き飛ばされた。



「く……が……」


 ユリシーズはうつ伏せに倒れ伏して再び血を吐く。バリヤーが軽減してくれたお陰で致命傷は負わずに済んだが、こんな物をあともう一発受けたらそれだけで終わりだ。


『ふぁはは! その頭、噛み砕いてやるわ!』


 アモンがその獅子の口を全開にして牙を剥き出しながら咆哮と共に迫ってくる。ユリシーズは痛む身体を押して立ち上がると、迫る炎獣に対して魔術で2本の氷柱を作り出して投げつけた。


『……!』


 するとアモンは初めて回避の動作を取った。横に跳び退って氷柱を躱したのだ。ユリシーズは口の端を吊り上げた。


「どうした、サーカス野郎? その見た目通り冷たいのは嫌いか?」


『小僧が……ほざけっ!』


 アモンは激昂して獅子の口を大きく開けると、そこから放射状に広がる紅蓮の炎を吐きつけてきた。攻撃範囲が広く躱すのは難しそうだ。ならばとユリシーズは逃げずに真っ向から火炎放射を迎え撃つ。


『הְיוׄאוּרָן』


 攻勢魔術フロストレイムを発動する。彼が掲げた手の先から強烈な冷気が噴き付け、霜となって放射状に広がる。そしてやはり放射状に広がって迫るアモンの炎とぶつかり合った。


「ぬぅぅぅぅぅぅ……!」


『カアァァァ……!!』


 強烈な炎と冷気のせめぎ合い。状況的にはフィラデルフィアでヴァンゲルフと戦った時に似ているが、あの時はユリシーズが一方的に押し勝った。だがアモンの火炎放射はヴァンゲルフの蒸気とは比較にならない熱量と魔力圧であり、両者の押し合いは完全に拮抗状態となっていた。  


 そしてこのままでは埒が明かないと判断した両者が、どちらともなくほぼ同時に攻撃を打ち消した。熱と冷気のぶつかり合いによる大量の蒸気が辺りを覆い尽くし視界を遮る。



 そして……やはり双方示し合わせたように同じ行動・・・・に出ていた。即ち蒸気の煙幕を突き破るようにして、相手に近接戦闘を仕掛けたのだ。


「……!」『……!』


 相手が自分と同じ戦術を考えていた事に一瞬驚愕する双方だが、既に後に引ける状態ではない。覚悟を決めて魔力を全開にする。アモンはその爪だけでなく腕にまで強烈な炎を纏わせての連撃。ユリシーズは逆にフロストレイムを自身の腕に纏わせる形で、冷気と氷に覆われた拳による連打。


「おおおおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


『グォォォォォォォォォォォォォォッ!!!』


 互いに荒々しい咆哮を上げながら正面切っての連打の応酬。炎と氷を周囲に大量に飛び散らせて幾度もぶつかり合う。ユリシーズの身体には鉤爪の裂傷と炎による火傷がいくつも刻まれるが、同時にアモンの身体にも弱点である冷気を纏った氷の拳が無数の傷を穿っていく。


 双方傷だらけで血みどろの倒し合いになるが、やはり人間とのハーフであり元々ダメージを負っていたユリシーズの方が不利であった。次第にアモンの圧力に押され始める。


「ぬぐ……ぐっ……!」


(ちぃ……このままじゃやべぇな……!!)


 ユリシーズの心に焦りが生じはじめる。敵にもかなりのダメージを与えているが、それよりも自分の方がマズい。このままだと押し負ける。彼がそれを実感した時……



(……よぅ、大分手こずってるようじゃねぇか。何だったら手を貸してやるぜ?)


 

(……っ!!)


 自らの心の内より湧き出る全く別の意思・・・・・・を知覚した。それは彼の中に眠るもう1人の彼・・・・・・の物であった。決して表に出してはならない存在。フィラデルフィアで不覚を取った時に一度現出してしまい、あの時はビアンカがいてくれなければ大変な事になっていた。


(引っ込んでろ! てめぇの出る幕じゃねぇ!)


 今はビアンカも連れ去られて不在だ。万が一こいつ・・・が表に出てしまったら何もかも滅茶苦茶になってしまう。


(ほぅ、そうか? このままじゃ負けるって弱気になってたヤツの台詞とも思えねぇな? まあ俺はどっちでもいいんだぜ? このままてめぇが無様に負けても俺は表に出られるからな。今はあのダンテの野郎もその娘もいない。俺様を止められる奴は誰もいねぇ)


(……! させるかよ……!)


 それだけは絶対にさせる訳にはいかない。こいつはビアンカの事を警戒している。もし次に表に出てきたら必ずビアンカを殺そうとするはずだ。それは絶対に阻止しなければならない。


 現在アルマンとも相談しながら、彼の中にいるこいつを完全に調伏して消し去る方法を模索している最中だ。或いは再びビアンカの父親・・を頼る必要もあるかもしれない。それまでは何としてもこいつを表に出す訳には行かなかった。 



「う、おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


『……! 何だと……!?』


 自分の命は自分だけの物ではない。その意識がユリシーズに常ならぬ底力を発揮させる。彼の拳を覆う氷晶がより大きくより鋭くなる。そしてその身体からも常時強烈な冷気が噴き上がるようになる。


 それまで自分が優勢だったアモンは目を見開いて、自身も限界まで魔力を強化して噴き出す炎の熱と圧力を上昇させる。だが……


『馬鹿な……!?』


 ユリシーズの冷気による圧力が止まらない。それどころかアモンの発する熱と炎を飲み込んで丸ごと凍らせていく。


「うるあぁぁっ!!」


 そこに一段と巨大化させた氷の拳を連打で叩きつけるユリシーズ。武器である炎ごと凍らされてそれを相殺できなくなったアモンは、氷拳のラッシュをまともに受けた。


『ぐはあぁ……!!』


 弱点である冷気を衝撃と共に全身に叩き込まれたアモンは、その身体を粉砕されて地面に転がった。



『ば……ばか、な……。貴様、その、力は……』


 獅子の首だけになって地面に転がったアモンが文字通り虫の息で、しかしそれでも尚驚愕の目線をユリシーズに向ける。


「……身の程知らずにも悪魔王・・・の血を引く『悪魔の子』を作ろうとした世紀の大馬鹿野郎の置き土産だよ」


『……!! そういう、こと、か…………』


 ユリシーズのその言葉だけで凡その事情を把握したらしいアモンは、納得したように呟くとそのまま動かなくなった。そしてすぐに砕けた身体と一緒に消滅してしまった。



 決着がついた事を悟ったユリシーズは、一瞬だけふぅぅぅ……と大きな息を吐いた。そしてすぐにビアンカが連れ去られた講堂を見上げる。


「全く……ホントに敵に捕まるのが大好きな女だぜ。……いや、俺達に隙があったのも悪いか。既にリキョウの奴が先行してるが、奴だけに任せちゃおけねぇな」


 ユリシーズはかぶりを振ると激闘の傷を癒やす間もなく、痛む身体に鞭打って古い講堂の中へと突入していった。  

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