Episode15:老子学院

「ミス・ビアンカ。これをどうぞ。温かい物を飲むと精神が落ち着きますよ」


「あ、ありがとう、リキョウ」


 アトランタ市中にチェックインしているホテル。ビアンカが借りている部屋でベッドに腰掛けてまだ少し呆然としているビアンカに、リキョウがどこかから調達してきた温かい紅茶を差し出す。それを礼を言って受け取るビアンカ。


 実際にまだ少し心が昂っていた。先のヴィクターとの邂逅時に感じた衝撃がまだ抜けきっていないのだ。



「まあ……あんま気にしすぎるなよ。あの小僧はお前にとっては許しがたい存在なんだ。憎しみを抑えきれないのはどうしようもねぇよ」


 ユリシーズも珍しく神妙な口調で口添えしてくれる。確かに憎しみあった。だがそれだけで彼女もここまで自分に衝撃を受けたりしない。


「ありがとう、ユリシーズ。でも……違うのよ。あなたの言った通り、あいつに対して憎しみがあるのは当然よ。でもそれだけじゃない。私はあいつに見せられていた幻覚の中で、確かに悦び・・も感じていたのよ。命乞いするあいつを一方的に殴りつけて、残忍な悦びが自分を支配しているという自覚があったの。それでも自分を止められなかったのよ」


 それこそが彼女がショックを感じている一番の要因であった。自分の中にあんな醜い感情がある事が信じられなかったのだ。



「……奴の力には相手の願望を『増幅』する効果もあったようです。あの時に感じた物がそっくりそのままあなたの心という訳ではありません」


「そうだな。それに人間なんだ。聖人君子なんて絵空事だ。誰しもが醜い心を自分の中に飼ってるモンだ。そういう心を持ってたからって恥じる事なんて何もねぇ。だから気にするなとは言わねぇが、気にしすぎるな」


 やはり珍しく普段は犬猿の仲な2人が息を合わせたように慰撫してくる。それが妙に可笑しくてビアンカは無意識にクスッと微笑んでいた。それに只の慰めではなく、彼等の言う事も尤もではあった。


「そう、ね。ありがとう2人とも。お陰で少し気が楽になったわ」


「お? 少しは元の調子が出てきたか? お前が大人しく塞ぎ込んでると気味が悪いから助かったぜ」


「う、うるさいわね! あなたには言われたくないわよ!」


 ユリシーズに揶揄されて、自分でも少し自覚のあったビアンカは顔を赤くして怒鳴る。


「まあ彼の言い方はともかく、あなたのような美しい女性が憂慮に塞ぎ込んでいる姿を余り見たくないのは確かですね。あなたには笑顔と凛とした毅然さが良く似合います」


「……! う……あ、ありがと」


 逆に全く揶揄している様子の無いリキョウに大真面目にそう言われて、ビアンカは今度は羞恥に顔を赤らめてしまう。




 彼女が精神的に立ち直ってある程度落ち着いた所で、話はようやく本題に移る。即ちヴィクターがもたらした情報と、それを踏まえての今後の行動だ。


「ジョージア州立大学か。そんな所に保管されてるとは確かに盲点だったかもな」


「でも結構大きい大学よね? 出入りする学生や教授、従業員の数も多いはずだし、そんな怪しげな物を沢山保管していて誰かに見咎められたリしないのかしら?」


 保管にも相当のスペースが必要になるはずだ。それを構内に出入りする全ての人間の目から隠しておく事は不可能だろう。上手く誤魔化したとしてもスマホとSNS全盛のこの時代では必ずどこかから情報が洩れるし、証拠写真なども撮られやすくなる。


 そこでリキョウが手を叩いた。


「なるほど。中国統一党がカバールの悪魔達と手を結んだ理由はソレ・・もあるのかも知れませんね」


「ソレ?」


 ビアンカは首を傾げる。だがユリシーズは納得したらしく説明してくれる。


「フィラデルフィアでもそうだったが、特にアダムの奴と行ったボルチモアでは街中のそれも真っ昼間に奴等とドンパチやる機会も多かったはずだな? なのに街の人間に誰も気付かれなかったのは何故だ?」


「何故って、それは…………あ! そういう事!?」


 ビアンカが得心したように手を叩く。ユリシーズが頷いた。



「そう、『結界』だ。戦闘だけじゃなくて、それ以外にも何か見られたくない物を大量に保管しておくには便利な力だと思わねぇか?」



「……!」


 周囲の人間の精神に干渉して、その場所に近寄ったり認識したりをさせなくする悪魔特有の力。確かに使いようによっては非常に便利な能力だ。因みに悪魔の血を引くユリシーズも同様の力が使える。


「となると大学の関係者……それも恐らく学長クラスの役職者にカバールの構成員がいて、中国の工作に協力している可能性が高いと言えますね。あそこには『老子学院』もありますので神仙達の根城になっている可能性もあります。これは証拠を押さえるのは少々骨が折れそうですね」


 プライドが高そうなリキョウをしてそう言わしめる程の激戦になる可能性もあるという事だ。だがそれとは別にビアンカには気になる事があった。


「その『老子学院』ってなんなの? 名前からして中国に関係がありそうだけど……」



「ああ、知らない方もいるのは当然でしたね。『老子学院』はまあ一言で言うと中国政府の出先機関・・・・のような物です」



「で、出先機関?」


「おいおい、ぶっちゃけたな」


 ユリシーズが苦笑する。彼は老子学院について知っているようだ。


「事実ですからね。老子学院は名目上・・・は提携を結んだ大学の構内に設けられた、中国語や中国の文化、歴史などを専門とする独自の教育機関です。実際にそれらを教えているのは事実ですが、教員・・達は全て中国から派遣された工作員であり、現地での情報収集、教育洗脳などを担う中国スパイ達の活動拠点となっているのです」


「老子学院が存在するのはここだけじゃない。奴等は全米の大学にかなりの数が食い込んでやがる。実際に大統領も老子学院を問題視してそれを解体する為の法律を作ろうとしているが、例によって上下院の自由党共に邪魔されてるって状況だ」


 つい最近まで一般人だったビアンカには初耳の情報ばかりだ。どうやらこの国は想像以上に危機的な状況にあるようだ。しかし国民はそれを知らない。



「とにかくこれで今回の目標は定まった訳だ。ジョージア州立大学及びその中にある老子学院。そのどこかに隠されている『ヴァーチャー』の保管場所を見つけてその確たる証拠と共に押さえる事。それが目的だ」


 ユリシーズが総括するとリキョウも同意するように頷く。


「そうですね。しかし先程も言ったように老子学院に乗り込むとなると、カバールの悪魔だけでなく『紅孩児』の神仙達をも相手取らねばならない可能性があります。ビアンカ嬢を1人には出来ない関係上、どうしても懸念は残りますが……」


 ホワイトハウス以外の場所でビアンカを完全に1人にする事は出来ない。それはカバールの悪魔達への格好の餌となってしまうからだ。しかし場合によっては相当の激戦が予想される今回の任務に、ユリシーズかリキョウのどちらか1人をビアンカの護衛に残しておく余裕はない。そうなると必然的にビアンカにも戦いに同行してもらわねばならないという事になる。


 リキョウとしては、どうしてもそれが不本意であるようだ。だがビアンカはかぶりを振った。


「リキョウ、心配してくれるのは嬉しいけど、これは私の戦いでもあるのよ。既に覚悟も決まってる。雑魚相手なら充分自分の身は守れるし、それよりは今回の仕事を確実に成功させる事を優先して欲しいわ」


「へ、そういうこった。こいつ悪運だけは異常に強いから、余り過度に気に掛け過ぎない方がいいぜ。それに気を取られて自分が不覚を取ったら本末転倒だろ? 俺達はまずは目の前の敵を倒す事を優先すべきだな。結果的にそれがこいつを守る事にも繋がる」


 悪運が強いという言い方はちょっと納得できない物があるが、それ以外は概ねユリシーズの言う通りである。彼女の事を気に掛ける余り、リキョウが自分の本領を発揮できないという状況になってはそれこそ本末転倒だ。そういう事態を防ぐ為に彼女はアルマンに相談して自衛能力を高めているという面もあるのだ。


 リキョウが苦笑しながら溜息を吐いた。


「ふぅ……どうやらこれに関しては私が間違っていたようですね。確かにあなた達の言う通りです。ビアンカ嬢も相応の覚悟でこの戦いに身を投じているのですから、それを軽んじるような言動は侮辱に当たってしまいますね。……解りました。これよりはあなたを保護対象ではなく、1人の仲間・・と見做します。場合によっては激戦が予想されますがお覚悟は宜しいですね?」


「ええ……勿論よ。ありがとう、リキョウ」


 ビアンカは頷いて手を差し出す。リキョウもその手を握り返して握手を交わした。懸念を払拭したビアンカ達は、来たるべき激戦に備えて入念に準備を整えると、深夜を待ってジョージア州立大学へと赴くのであった。

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