Episode13:星条旗の要塞にて
港湾都市として有名なボルチモアだが、その港の先にある意味でこの街を象徴する歴史的な建造物がある。
尤も舞台となったといっても、この要塞で行われたのはボルチモアまで攻め寄せた英国の艦隊とこの要塞との砲撃戦のみであり、しかも要塞側は大砲の射程距離、艦隊側は命中精度にそれぞれ問題があり、双方長期間にわたって砲撃戦を続けたものの、殆ど死傷者も出ずに英国側が撤退するという締まりのない内容ではあったが。
だが現在のアメリカ国歌の『星条旗』が生まれた場所としても有名であり、この国の独立の象徴として現在は固定記念物として保全されていた。
そんな伝統ある歴史的建造物で……現在、陰惨で退廃的な光景が展開されていた。
要塞の大部分の面積を占める星型の中庭。その丁度中央辺りに大きなX字型の杭が立てられていた。いわゆるX架というものだ。
そしてそのX架には今、
それは勿論、罠に嵌ってリーキン・パークから連れ去られたビアンカであった。時計の針が0時を回ったばかりの深夜の帳が降りた暗闇の中、淡い月明りに照らされてホットパンツと白いタンクトップという露出度の高い姿で無惨に磔にされているビアンカの姿は、何とも言えない艶めかしさと被虐美を醸し出していた。
しかし当のビアンカには勿論そんな被虐美を出しているつもりはなく、それどころか必死にX架の拘束を解こうと足掻いているのだった。しかしX架の四隅で彼女の手足を拘束している枷は頑丈で、彼女がどれだけもがいてもビクともしなかった。
悪魔に操られていたらしいアディソン市長に薬で眠らされ、気付いたらこの場所にいて現在のように磔にされていた。それなりに時間が経っているらしく、時刻はすっかり深夜になっているようだった。
フィラデルフィア美術館の時のように起きぬけに黒幕が出迎えるという事も無い。アディソン市長の姿も無かった。誰も居ない無人の要塞跡に、彼女はたった1人で拘束されているのだった。
勿論大声で叫んでみたが誰かが駆け付けてくる気配もない。マクヘンリー要塞は過去に一度観光で訪れた事があったので、自分がいる場所はすぐに解った。深夜とはいえ国の重要固定記念物に警備員も管理員も誰もいないなどという事はあり得ないだろう。ならばここは既に『結界』の中……つまり確実に悪魔が潜んでいるはずだ。
しかしそれを探る術のない彼女には、どこにどんな悪魔が潜んでいるかなど全く分からない。結果、表面上は自分以外に誰も居ない無人の要塞の真ん中で1人、磔の拘束から逃れようと虚しい努力を続けるのみとなっているのだった。
霊力が込められた白い指貫きグローブとシューズは身に着けたままだったが、強くて速いインパクトの瞬間にしか霊力を発動させる事ができないので、このような拘束状態から逃れるのには役に立たなかった。
(くそ……!)
しばらく足掻いた後、拘束を外せそうにない事を悟って彼女は内心で毒づいた。まんまと敵の罠に嵌って、再び囚われの身となってしまった。そんな自分の馬鹿さ加減や不甲斐なさに彼女は歯噛みした。
(……アダムはどうなったのかしら。無事に敵を倒したの? それとも……)
覚えているのは敵の罠に嵌った彼女に驚いた顔を向けてきた時までだ。あの時はコルベル判事が変身した中級悪魔へモスと対峙していた。彼はあの後無事にへモスとの戦いに勝利できたのだろうか。
何も分からない。この場には他に誰も居ないので、結局誰が黒幕なのかも解らないままだ。もうこうなってしまうと彼女にできる事は、ただアダムが無事に勝利してこの場に駆け付けてくれる事を祈るのみであった。
そしてそんな時間がどれくらい過ぎただろうか。実際にはそこまで長い時間ではないはずだが、磔にされてただ待っているしか出来ないビアンカには、体感的にはその何十倍もの長さに感じられる時間が経過した後……
「……ビアンカッ!?」
「……!!」
力無く項垂れていた彼女は人の気配と、待ち望んだ聞き覚えのある声にガバッと顔を上げた。
「アダム……!!」
要塞の入り口から中庭に入ってきたのは、屈強な黒人男性の軍人アダムであった。リーキン・パークで強制的に別れた時のままの姿だ。へモスとの戦いに勝利し、その足で休むことなく駆け付けてくれたのだろう。
「ビアンカ、無事か!? 敵はどこにいる!?」
「わ、解らないわ。目が覚めた後も誰もいなくて……。気を付けて」
ビアンカは不安げに声を震わせる。『結界』が張られている事からも、悪魔は確実に潜んでいるはずなのだ。だが今の所姿も形も無い。それが不気味であった。
「…………」
アダムは片目をあの赤いレンズに切り替えて、周囲に聳える要塞の建物全体を見渡していた。恐らく敵が隠れていないかスキャンしているのだろう。そして誰もいないと判断したらしく、慎重な足取りではあるもののビアンカの方に向かって歩き始めた。
「ビアンカ、もう大丈夫だ。すぐに助ける」
「あ、ありがとう、アダム…………っ!?」
安心させるように声を掛けて近付いてくるアダムに礼を言うビアンカだが、その時彼女の目線の先で目を疑うような事象が発生した。
(な、何あれ? 水……? 水が集まって……)
最初は小さな無数の水滴のようだった。それが独りでに動いて独自に合流を繰り返して、いくつもの巨大な水塊になっていく。そしてそれらの水の塊はそれぞれが連結し合って盛り上がり、まるでアダムを後ろから取り囲むような大きな水の膜を形成し――
「あ、危ないっ!」
「……っ!!」
アダムが咄嗟に前転して躱すのと、その水の膜がアダムのいた場所に覆い被さるのとはほぼ同時であった。間一髪であった。実際にはビアンカに警告されるよりも前に、彼自身の感覚で察知できていたようだ。
前転から素早く起き上がったアダムは、振り向いてその水の膜を睨み付ける。いや、それは既に水の膜ではなく大きな水たまりに変わっていた。
そしてアダムとビアンカが見ている前でその水溜りの中央部分が盛り上がっていき、人の背丈くらいの高さにまで伸びる。そしてその盛り上がった水塊は事実、周囲の水溜まりも全て吸収しながら急速に
僅か数秒後にはそこに……服を着た人間の
その男性の顔を見たアダムが目を瞠った。
「ウィリアム・バー会長!? トライトン・グループの……いや、だが年齢が……?」
トライトン・グループの会長。ボルチモアで最も重要な海運業を牛耳る企業グループのトップ。確かビアンカが拉致される前にコルベル判事とアディソン市長の会話に出てきていた人物だ。まさかこの人物こそが――
「……私が長年かけて揃えてきた手駒達を悉く潰してくれたものだ。召喚に大した
男性――バーは、そう言って嘆息するような仕草を取った。アダムが油断なく臨戦態勢を取る。ビアンカも今のバーの言葉で確信できた。
「貴様が、この街を裏で支配するカバールの構成員だったのか」
アダムの問いにバーは至極あっさりと頷いた。
「如何にも。何も政治家や司法関係者だけが自由党の党員という訳でもないだろう? 私はこれでも長年に渡って自由党に多額の資金提供を行って党の財政に寄与している古参の党員なのだよ」
「……!」
「だがそんな私も寄る年波には勝てん。いくら金だけがあっても老いの前には無意味だ。だからカバールに参加したのだ。そして
「老い……か。つまりこの街で起きていた老衰殺人はやはり貴様の仕業なのだな?」
10代から20代の若者達が90歳を超えた老人のような身体になって、老衰で立て続けに亡くなるという異常な事件。そもそもビアンカ達がこの街に赴く事になった発端。
「その通りだ。どうせ生きていても何の役にも立たん馬鹿な若造どもだ。ならばその無駄な若さを
バーは忌々し気に表情を歪めてアダムを睨み付ける。しかし一転してその表情が今度は喜悦に歪み、その視線が磔にされているビアンカに向いた。
「だが悪い事ばかりではない。『エンジェルハート』が私の物になれば、数体のグレーターデーモンなど余裕で釣りが来るくらいの収穫だ。こうなってみるとむしろ運が良かったとさえ言える」
「……っ」
邪悪で卑しい視線に射すくめられたビアンカは、無防備な磔姿でその視線から逃れる術も無く、怖気に身体を震わせた。
「俺が貴様の思い通りにさせると思うか? 貴様はここで終わりだ。勿論ビアンカを手に入れる事も無く、その呪われた生命に終止符を打つがいい」
アダムはそう言って左腕の光線銃を展開させる。カバールの構成員と判明した時点で対話や交渉の余地は無い。殺るか殺られるかだ。バーは不快気に鼻を鳴らした。
「ふん、卑しい黒人風情が。私は自由党に籍は置いているが、本当は薄汚い
バーがそう喚きながら何か動こうとした。だがその前にバーの胸を何条もの光線が連続して貫いた。胸に文字通りの風穴を開けて吹き飛ぶバー。人間なら勿論即死だ。だが……
「……!!」
地面に倒れたバーの身体が
『ふぁはは……無駄だ。私の身体は如何様にも分離できる液体で構成されている。液体にあらゆる物理攻撃は無効。貴様にこの私……『
「……っ!」
その大きなドロッとした水たまり――アマゼロトはどこから喋っているのか解らない不定形のまま蠢き、広がりながらアダムに襲い掛かる。
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