Episode21:狂乱の錬金術師
ビアンカは美術館のメインホールの中央で高い十字架に磔にされたまま項垂れていた。ユリシーズが来てくれたらしいのだが、その後どうなったかが解らない。
ハンターは「彼なら今頃外でボクシングに興じているよ」と訳の解らない事を言って嗤っていた。しかしどのみち磔にされた無力な人質に過ぎない彼女には、ユリシーズを信じて待つ以外に出来ることがなかった。
そしてそれから数分の後……
「――
「っ!!」
待ち望んだ声が……しかも彼女の名前を呼ぶ声が聞こえて、ビアンカは反射的に顔を上げた。そこには彼女の予想通りの姿があった。
お互い性格的に反発を感じながらも、それでも尚意識してしまう、惹かれてしまう。そんな対象となった存在がホールの入り口に現れて彼女を見上げていた。ビアンカは思わず目に涙を浮かべてしまう。
「ユリシーズッ!!」
激情のままに叫ぶ。可能であればこのまま彼の胸に飛び込みたかった。彼はきっと受け止めてくれる。だが無情にも彼女の手足を十字に拘束している枷がそれを阻む。
「ビアンカ、待ってろ。すぐに助けてやる」
ユリシーズはそんな彼女の状態を見て怒りに目を細めると、まっすぐ彼女の下に駆け寄ろうとするが……
「いやはや、ヒーローとヒロインの感動的な再会だね! しかし私もいる事を忘れてもらっちゃ困るよ?」
「……!」
ビアンカが囚われている十字架の陰からハンターが拍手をしながら現れる。ユリシーズが足を止めた。
「貴様……丁度いい。カバールの一員に容赦する理由はない。舐めた真似してくれた落とし前は付けさせてもらうぞ」
「おお、怖い怖い。私はエメリッヒ君のように荒事向きという訳じゃないんだ。お手柔らかに頼むよ」
「抜かせっ!」
抜け抜けとのたまうハンターに青筋を立てたユリシーズは、一気に片を付けるべく拳を構えて突進した。だが……
「……っ!」
「――だから荒事は
ユリシーズとハンターの間に大きな影が立ち塞がっていた。それは……全身に金属の甲冑を着込んで馬に跨った
「……! ここの
「その通り。予め『リッキー』君と戦っているので理解が早くて助かるよ。私の『狂乱の錬金術師』は命無き
「ち……ほざけ!」
ユリシーズは舌打ちすると騎士を無視してハンターに攻撃を仕掛けようとするが、騎士は素早く槍を振り回してそれを牽制する。重厚な甲冑を身に着けているとは思えない挙動だ。
ユリシーズは繰り出される槍を回避して騎士に飛び蹴りを叩き込む。だがその瞬間、騎士の身体を覆うように半透明の膜のような物が出現して、ユリシーズの蹴りを弾いてしまった。ビアンカは目を剥いたが、ユリシーズは既に知っているのか驚いた様子無く舌打ちした。
「ち……やっぱりこいつもか」
「当然。私の
「……!!」
ニタニタと嗤うハンターの姿が異形に変じていく。顔の形が崩れ片方の目だけ異様に大きくなる。唇が膨れ上がり巨大な舌が突き出る。腕が異様に太くなり関節がいくつも増える。指が異常に細長く伸びる。胴体は捻じ曲がって、脚は骨を失ったようにグニャグニャの紐のようになって胴体に巻きつく。
「ひっ……」
ビアンカは思わず悲鳴を呑み込んだ。数瞬の後そこには、まるで売れない前衛芸術家が描いた出来の悪い絵画が実体を持ったかのような怪物が出現していた。
「……それが貴様の?」
『そう。私、狂乱の錬金術師
ハンター……ヴァプラが奇怪に変貌した声で哄笑すると、ホールにいくつもの影が飛び込んできた。それらは西洋の彫刻家が手掛けた上半身が露出した天使の彫像であり、東洋から持ち込まれた仏像であり、中世の貴族の肖像画から抜け出してきた貴族であり、そして恐れ多い事にまるで今のビアンカのように背中に十字架を背負った聖者の像までもがあった。
他にも様々な絵画や彫刻、展示品などが動き出し、ユリシーズを取り囲んだ。勿論最初に現れた騎士も未だに健在だ。
「ユ、ユリシーズ!」
危機的な状況に焦燥したビアンカが磔の身体をもがかせるが、やはり枷はビクともしなかった。歯噛みする彼女の見下ろすホールで邪悪な生命を吹き込まれた無数の芸術品に取り囲まれたユリシーズは……不敵に口の端を吊り上げた。
「心配するな、ビアンカ。そこで大人しく見てろ。……すぐに終わらせてやるさ」
「……!」
彼の表情と言葉に不思議な安心感を得たビアンカは、磔から脱出しようと無駄に足掻くのをやめた。こうなったら彼を信じるほかないのだ。
『ふ、ははは! プルフラス相手に死に掛けていた君に何が出来る! 子供達よ! その男を八つ裂きにしてやりなさい!』
ヴァプラの合図に、生きた美術品達がユリシーズに一斉に襲い掛かる。360度全方位からの一斉攻撃だ。ユリシーズに逃げ場はない。ビアンカは思わず息を呑んで最悪の事態を想像する。
だが彼は慌てる事無く、一切の回避や迎撃行動を取らずに、逆にその場に屈みこんで床に手を着いた。
『פיצוץ הלם』
そしてまたあの呪文のような言葉を呟く。ただし黒火球や吹雪などとはまた異なる呪文であった。
次の瞬間、ユリシーズを中心として凄まじい
『な、何だと……!?』
ヴァプラもまた驚愕の呻きを上げながら、その巨大な腕で爆風から自分を庇う仕草を取る。ユリシーズを中心にして発生した爆風と衝撃波は、彼に襲い掛かっていた美術品達に遍く叩き付けられた。
美術品達はどれもがあの半透明の防護膜で覆われていたが、衝撃波を受けて次々と防護膜が弾け飛んでいく。そしてユリシーズはその隙を逃さず人間離れしたスピードと怪力で次々と、無防備になった美術品達を破壊していく。
襲ってきた美術品の殆どはそれで破壊できたが、一部の美術品には回避されてしまった。あの騎士の甲冑とアジアの仏像、それに天使の像の3体だ。
『ば、ば、馬鹿な。今のは確実に上級の攻性魔術のはず……。貴様、一体……』
驚愕から余裕のなくなったヴァプラの口調が変わる。ユリシーズが皮肉げに口を歪める。
「ふん、相手が待ち構えてると解ってりゃ、こっちだって予め
『……ッ!』
ヴァプラが巨大な目を見開かせワナワナと身体を震わせる。ビアンカには魔術の事は良く解らないが、どうやらプルフラスとの戦いでは温存していた力があったようだ。
「さあ、化けモン。これだけ好き放題して覚悟は出来てるんだろうなぁ?」
『ぬ……ぬ……。ええい、掛かれ! 掛かれぇっ! 捨て身で奴を殺すのだぁっ!!』
ヴァプラが叫んで、残った3体の美術品をけしかけてくる。その命令を受けて、真後ろにいた仏像が4本の腕で殴りかかってくる。ユリシーズはまるで後ろに目が付いているかのような挙動で仏像の攻撃をかわすと、カウンターで強烈な蹴りを叩き込む。彼の中段蹴りは防御した仏像の腕ごと蹴り砕いた。そして飛び上がって仏像の頭に拳の打ち下ろし。仏像は頭から大きな亀裂が走って粉々に砕け散った。
今度は天使の像が手に持った剣のような武器を振り下ろしてきた。物凄い速度だがユリシーズは危なげなくそれを躱す。
天使の像が今度は横薙ぎに剣を振るってくる。ユリシーズは大胆に低くかがみ込んでそれを躱すと、反撃に跳び上がるようにしてアッパーカットを打ち上げた。アッパーは狙い過たず天使像の顎に命中し、像の頭がもげて宙を舞う。ユリシーズの追撃はそれでは止まらず、彼は両手を天使像の残った胴体に押し当てて、再び何らかの呪文を呟く。
するとその両手から黒い光が迸って、天使像をやはり粉々に打ち砕いてしまった。これで2体。
残る1体の甲冑騎士が馬上槍を突き出して、凄まじい勢いで吶喊してきた。ユリシーズは敢えて回避せずにその場で両手を広げて待ち受ける体勢になる。そしてやはり何かの呪文を唱えると、彼の広げた両手の間に黒っぽい『膜』のような物が出現した。あの警察署でビブロスの攻撃を防いだ物に似ているが、あの時より遥かに面積が広い。
騎士の槍とユリシーズの『膜』が接触する。
「ぬうぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
彼の口から気合の唸り声が漏れる。騎士の吶喊の勢いでユリシーズの身体が何メートルも後退するが『膜』が破れる事はなかった。そして遂に突進を止める事に成功した。
「ずぅあっ!」
ユリシーズは『膜』を解除すると、大きくジャンプして馬上にいる騎士の目前まで肉薄した。よく見ると彼の両の拳は黒い炎に包まれていた。その炎の拳で騎士に対して目にも留まらぬ連打を叩き込むユリシーズ。
一撃ごとに騎士の甲冑が凹んでいき、最後には貫通して彼の腕が騎士の
「止めだっ!」
先程天使像を破壊した時と同じ黒い光が騎士の体内から迸って、その甲冑ごとバラバラに弾き飛んでしまった。これで……3体!
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