Episode10:元カレ

 そのまま進んだ2人はビアンカ達の部屋の前までやってきた。殺人事件の現場となった部屋なので警察による仕切りが為されている。だがユリシーズは躊躇いなくそのテープを千切って、更にドアの取っ手を破壊して強引に中へ踏み込んだ。


「時間が惜しい。それにどうせ既に指名手配犯だし、この街を後にするんだから問題ないだろ?」


 呆気に取られるビアンカの視線に対して彼はそう言って再び肩を竦める。


 部屋の中は警察や鑑識によって荒らされていたが、大方は元の面影を残していた。彼女の今までの日常の思い出が詰まった部屋。


 ビアンカは再びあの締め付けられる感情を味わったが、意図的に頭を振ってその感情を振り払う。ユリシーズの言う通り今は時間が惜しい。



 彼女は急いで目的の物を探す。エイミーのベッドのサイドボードの抽斗を開けると、彼女が大切にしていた髪留めがそのまま入っていた。やはりこれに敢えて手を付ける輩はいなかったようだ。


 彼女はその髪留めを手に取ると、しばしエイミーの顔と彼女との思い出を頭に浮かべて冥福を祈った。そして急いでその髪留めを自分の髪に装着した。


 次は自分の腕時計だ。部屋の棚の上に置いてある小物入れ。そのまま置かれていたそれを手に取って中を開ける。


「……っ!?」


 そして目を見開いた。無い・・。確かにここに入れてあったはずなのに。


「おい、どうした? 早くしろ」


 ユリシーズが急かしてくる。ビアンカは泣きそうな目で振り返る。



「……無いのよ」



「何だと?」


「時計が無いの! あの夜、確かに入れたはずなのに! 何で!? 何で無いのよ!?」


 ビアンカは半狂乱になって棚や床を漁る。あの警察の捜索の最中にどこかに落ちたのかも知れない。


「おい、落ち着け! 闇雲に捜しても見つからんぞ!」


「でも! ここにあるはずなのよ! 無くなるなんてあり得ない!」


 あれは両親との思い出が残る大切な形見なのだ。絶対に失くす訳には行かない。だがいくら部屋を漁っても見つからない。彼女は再び泣きそうになる。


 ビアンカだけでなくユリシーズも意識がその腕時計に行っていた為だろう。部屋の入り口に誰かが現れた事に気付くのが遅れた。



「……ビ、ビアンカ? ビアンカなのか?」



「……っ!?」


 男の声。2人が弾かれたように声のした入り口に振り返った。そこには大学生くらいの、やや軽薄な感じの若い男性が佇んでいた。その姿を見たビアンカは目を見開いた。


「ヴィ、ヴィクター……?」


 それは彼女の現在の恋人・・であるヴィクター・ランディスであった。警察署で怪物達に襲われて以来事態が矢継ぎ早に展開した事で、彼の事をすっかり忘れていたのに気付いた。



「ビ、ビアンカ。君がここにいるって事は、今ニュースでやってる――――うわ!?」


「ヴィクター! 私の時計! 私の腕時計が無いのよ! どこにあるか知らない!?」


 今の彼女は警察署から脱走した指名手配犯であり当然ニュースで出回っているはずであり、ヴィクターの驚きは当たり前の事なのだが、今のビアンカにはそれを慮っている精神的余裕がなかった。


 ヴィクターの肩を掴んで揺さぶる。彼は何が何だか分からない様子で目を白黒させる。ビアンカが苛立って更に八つ当たり気味に強く揺さぶろうとした所で……


「おい、下がれ!」


「……!」


 ユリシーズが強引に彼女をヴィクターから引き剥がす。人間離れした膂力で引っ張られたビアンカはユリシーズに抗議しようとして彼を仰ぎ見る。そして若干息を呑んだ。


 ユリシーズは険しい表情でヴィクターを睨みつけていたのだ。ビアンカが他の男と密着していたから嫉妬して引き剥がした……のでは勿論ない。


「ど、どうしたの? 彼はヴィクターと言って、私の……」


「――ああ、今カレ・・・だろ。勿論知ってるさ」


 ビアンカの紹介を遮るユリシーズ。考えてみれば彼は彼女の警護をする為にずっと監視していたのだ。当然ながら彼女の交友関係など掌握済みだろう。では何故こんなにヴィクターに警戒・・した視線(今はサングラスで隠れているが)を向けているのだろう。



「おい、小僧。お前……何で俺達が視えてる・・・・?」



「っ!!」


 ビアンカは目を瞠った。そういえばユリシーズは、今自分達に他人からは視えない『結界』を張っていると言っていた。そう……人間・・には決して視えない結界を。ユリシーズが嘘を言っていた訳でないのは、彼の今の表情を見れば明らかだ。


「ヴィ、ヴィクター……?」


「……ビアンカ、誰だよそいつ。警察署から脱走したと思ったら、もう新しい男を引っかけたのかい? 君がこんなに尻軽の売女だとは思わなかったよ」


「……!!」


 ヴィクターの雰囲気が変わっていた。何か名状しがたい不気味な圧力のような物を感じたのだ。彼女はこの感覚に覚えがあった。つい最近……そう、直近であの警察署でこれと同じ圧力を感じた。


 そしてすぐに、あの警官達・・・から感じた物と同じだという事に気付いた。


「あ、あなた……あなた、まさか……」



「ビアンカ、君が捜しているのはコレ・・だろ? 両親の形見だって言ってたもんな」



「あ……!」


 ヴィクターが嗤いながら手を掲げると、その手には見覚えのある物が握られていた。まさに彼女が捜していた腕時計だ。


「か、返して!」


「おっと! ははは! 返して欲しければ俺を捕まえてみせなよ!」


 彼女が反射的に手を伸ばすと、ヴィクターは後ろに跳び退ってそのまま踵を返した。そして廊下の奥に走り去っていく。


「待って! 待ちなさい……!」


「あ、おい……! くそ、あのバカ……!」


 ビアンカが一切躊躇う事無くヴィクターを追い掛ける為に駆け出してしまったので、虚を突かれたユリシーズは一瞬反応が遅れた。その間に走り去ってしまうビアンカ。ユリシーズは舌打ちして彼女を追い掛ける。




 ヴィクターは迷うことなく寮の中を駆け抜けて、やがて建物の屋上に出る。基本的には一部の保全設備以外には何もないだだっ広いスペースとなっていたが、男子学生がスポーツをやったり、女子学生でも日光浴に利用する者がいる為、安全の為に外縁部には転落防止用のネットが張られていた。


 そのスペースの中央にヴィクターが佇んでいた。手には相変わらず彼女の時計を所持している。


「ヴィクター、それを今すぐ返して。いえ、返しなさい!」


「返しなさい、ね。ビアンカ、君はいつも俺を見下していたよね。今まではそれも仕方なかったけど、もう君にそんな口は叩かせないよ」


 その態度と相変わらず身体から発散される圧力にビアンカは確信を強める。


「ヴィクター、あなたは……」



「よせ。そいつはもう話が通じる状態じゃない。奴等に入れ替わられて・・・・・・・る」



「……!」


 追いついてきたユリシーズが再びビアンカを制止する。するとヴィクターが薄く笑った。


「入れ替わられてる? 違うね。俺は生まれ変わった・・・・・・・んだよ。あの人達が俺を仲間に入れてくれたんだ。君の情報と引き換えにね」


「あの人達って、まさか……」


 この状況で考えられる候補は限られている。ビアンカがそこまで思った時、後ろにある給水塔の陰から1人の人物が姿を現した。



「ふふふ、こいつからその腕時計の事を聞いてね。待ち構えていた甲斐があった。皆お前達を捜す為か、街の封鎖措置の為に出払ってるから手柄は私が独り占めだ」


「……!」


 それは聞き覚えのある声、そして見覚えのある姿。忘れもしない。彼女を強引に難癖を付けて逮捕した下手人のジャック・パーセル刑事であった。

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