中編①

 彼に連れられて、康太は武家屋敷の中に入った。中も期待を裏切らないほどの広大な屋敷だった。門をくぐると屋敷の玄関まで石が埋め込まれた地面の上を歩き、屋敷の中に入ると玄関で数人の和装をした女性が出迎えた。時代が入り乱れた空間に頭が追い付かず、康太は促されるままに家の奥に進み突き当りの扉の向こうに通された。一台の大きなピアノが部屋の半分くらいを覆うように鎮座し、その手前にちんまりと対面する2つのソファとその間にガラステーブルが置かれていた。奥側のソファに座るセーラー服を着た同じ年ぐらいなのに、大人びていてセーラー服に違和感がある少女がこちらを見たことで目が合った。

「灯お嬢様、演奏はもう終わりましたでしょうか?」

「ええ、浩さん。そちらは?」

「あなた様のピアノ演奏に惹かれてやって来たのです。」

 名乗っていないことを思い出し、男性にこちらを振り返られて、康太は姿勢を正した。

「大浦康太です。突然お邪魔してすみません。」

 と勢いそのままに名乗り頭を45度以上になるまで下げた。すると、耐えられないというかのようにクスクスと笑う声が耳に入った。おずおずと顔を上げると口に軽く手を添えて笑う少女、灯さんがいた。隣の男性、浩さんも微笑ましいというかのように穏やかに笑みを浮かべていた。それらに照れくさくなり顔が熱を持って行くのが分かり視線を外した。

「ごめんなさい。大声でそれほどに名前を言われるのは初めてだから。良かったら、こっちに座ってお話しをしませんか?」

 彼女は手で反対側のソファを示した。帰りたくない気持ちでやって来たので場違いと感じながらも、半ば投げやりにソファにかけた。

「うわ、フカフカだ。」

 座った瞬間、家にあるものとは全く違うことが分かるほどに反発なく沈むソファに感動した。それを見て更に彼らに笑われた。田舎者が都会の人に見られて恥ずかしがるシーンをドラマで見たことがあったが、こういうものかと思った。

「紅茶もどうぞ。口に合うといいけど。お菓子も食べて。」

 灯さんに言われてテーブルを見れば、いつの間にか康太の前には紅茶の入ったカップと更に並べられた1口サイズのお菓子が並べられていた。マカロン、プレーンクッキー、何かが練り込まれたクッキー、小さくカットされたイチゴケーキ、カップケーキなど。それらを見てお昼は食べたが家に帰るのが早いからと少なめにしていたことに気付き、お腹が鳴った。それにまたクスクスと笑われて勧められたので、紅茶に手を伸ばした。一度母が飲んでいたティーバックの紅茶は苦みばかりで美味しさなど感じられなかったが、それは少し苦みがあるがすぐに消えて鼻がスッキリとした。

「以前飲んだティーバックの紅茶と全然違う。目が覚めそう。」

「口に合ったようで良かった。お菓子も美味しいから食べてみて。遠慮しないで。」

 灯さんは嬉しそうに笑みを浮かべた。だから、勧められたお菓子も食べたが、どれも今まで口にしたことがあるそれとは違っていた。元来、康太は洋菓子より和菓子の方が好きだった。ケーキやマカロン、クッキーは油が多く甘ったるいので胸やけがするのだが、甘味はあるが油はそれほどではなかった。だから、胸やけせずにどれもペロリと平らげてしまった。

「美味しかったです。どれも。いつもは1口で胸やけがするのに、そんなことありませんでした。」

「良かった。料理長も喜ぶわ。それに、よほどお腹が空いていたのね。」

 灯さんは一気になくなった康太の前の皿を見てそう言った。それになぜか恥ずかしくなり顔が熱くなったので、熱い紅茶を飲んでそれを隠そうとした。

「康太君はピアノが好きなの?」

 話題を変えて彼女が尋ねてきた。彼女の自然な口調でいきなりの名前呼びに驚いたが首を大きく横に振った。

「好きなのは良太、弟の方で、俺は全然音楽とか興味ないっていうか。面白くないっていうか。」

 言っている間にどんどん声が小さくなった。ピアノの演奏に惹きつけられて来たのに、その演奏者である彼女を前にまるで逆のことを発言している自分の曖昧さに気付いた。しかし、彼女は嫌な顔をせずにただそのズレに首を傾げただけだった。

「それなら、どうして音を聴いて来たの?」

「それは、音がいつも聴いているのと違っていたから、です。」

 自信なく答えた。素人の自分がピアノを演奏できる人に言って良い言葉かどうかも分からなかった。しかし、彼女はとても嬉しそうに微笑んでいた。

「そうなの。それなら良かった。何が違ったのか聞いても良い?」

「えっと、良太が弾いているのは単調というか、どんな曲を聴いても眠り歌にしか聴こえなくて、でも、灯、お嬢様が弾いているのは体を動かしたくなるというか、曲によって伝わってくるのが違うというか、小さい子供が何も知らずに音で遊んでいるようなそんな感じです。すみません。俺、そんなに表現がうまくなくて。」

 康太は頭を下げた。作文が苦手だと自覚しているので、表現能力が劣っていることは自他ともに認めていた。だから、こんな曖昧な表現では伝わらないと思い謝った。しかし、顔を上げると灯さんは嬉しそうに笑った。

「こんなに嬉しい言葉を聞いたことはないわ。浩さん、聞きましたか?」

「はい。お嬢様。よろしゅうございましたね。」

 彼女は立ち上がり手を叩いて今にも飛びそうに喜びを一杯に表現していた。それを見て浩さんも嬉しそうに頷いた。

「なんということでしょう。とても嬉しいわ。今までの賞賛など吹っ飛ぶほどにとても嬉しい言葉だわ。」

 彼女は歓喜しているのか、急に康太の横に座って興奮気味に手を握ってきた。

「康太君、もっとあなたとお話ししたいわ。」

「はい?」

「お友達になってくれない?」

 急な彼女の懇願に康太は戸惑った。しかし、康太の片手を両手で包んで祈るように言う彼

女に他の選択肢はなかった。

「俺でいいなら。」

 とだけ言うのが精一杯だった。

 小学校では、良太には男女関係なく友人がいて周囲に人が集まるのはいつも彼の方だった。だから、それほどまでに自分に対して言葉を言ってくれた人は初めてで、とても胸が高鳴るほどに嬉しかった。でも、それを言葉にすることはできずに、赤くなっているだろう顔をそっぽを向かして彼女に見られないように隠してしまった。我ながらとても失礼な態度だったと反省する点だった。しかし、彼女はそれに嫌な感情を持つことはなかったようで、ただ、嬉しそうに「よかった」と呟いていた。

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