色
藤八朗
第1章始まりは終わりと共にやって来た
第1話終わりと始まりの日
僕が彼女を初めて見たのは母親の葬式の日、そう霧雨が視界を薄っすらと隠してくれるそんな日だった。
あの日、寡黙な父が人目を気にせずただ母の為に泣いていた。
後のも先にも父が泣いているところを見るのはこれが初めてで、少しの衝撃と…同時にそれ程までに母を愛していたのだろうという、同性として息子としてもこの両親との子供で良かったとすら感じていた。
父は家庭を顧みる方ではなく、務めている大学と結婚しているのではないかと感じるほどの仕事人間だった。
そんな父を僕は少し軽蔑し、何も言わない母に苛立っていた。
だからなのか、受験勉強と言う調度いい隠れ蓑に隠れて、母の入院している病院にあまり通う事なんて無かったんだ。
そんな母も、そして父も僕に何も言う事なんて無かったし、だから母がそんなに重い病気になっているなんて、高校生にもなって気付く事すら出来ずにいた。
母がもう余命短いという事を知ったのは、病院から危篤との連絡を受けた時だった。
当時、まだ高校に通っていた僕は,信じられない気持ちのまま先生からの伝言で急ぎ病院まで行くと……既に父は母の病室迄来ていて何も言わずにただ母の手を握っていた。
見詰めている視線の先には何を想っているのか…子供だった僕に読める筈もなかった。
「ああ、健か…」
やっと母から視線を外し、僕がいる事に気付いた父が話しかけてくる。
「母さんは?」
「…今は薬で寝ているよ」
小さな声でまたお母さんに視線を戻した父の表情は色々な感情が入り雑じった物だった。
「そんなに病状が悪かったの?」
怒りを抑えて僕は父に聞いた。
「そんな処に立ってないで中に入りなさい」
そう父から言われて初めて、自分が病室にすら入らずにいたことに気付いた。
病室に入り、ドアを閉めると父とは反対側の窓際の椅子に腰かけた。
「今夜が…峠だそうだ」
淡々と、機械の様でいて深い悲しみも感じられる言い方で父は言った。
今更だけど、僕は母を労わってやれなかった自分を強く攻めてた。
同じように、何も言ってはくれなかった父と母に強い反発心を覚えたのだ。
僕が父と母に怒りを覚えるのは間違っている。
正しい事ではないと、理解はしても納得が出来ない。 自分の事は棚に上げて……と言う奴だ。
「どうして、一言言ってくれなかったの?」
絞り出す様に口から出た言葉は、父を責めるような物だった。
「さつき、お母さんがそれを望んだからだ。 お前には受験があるから自分の事で心配をかけたくはないと言ってな」
「でも、教えて欲しかったよ」
僕と話す時でさえ、父は母から目を離そうとはしない。
「そうだな……お前には教えて措くべきだったと今は私も思うよ」
「なら!!どうして?」
思いの外大きな声が自分から発せられてる事に内心驚いた。
父の言葉で、抑えていたやり場のない怒りが解放される。
「信じたくなかった。 さつきがもうすぐ私の名前を二度と呼んではくれない事、お前にまで伝えてしまえば、それが本当の事になりそうで怖かった。 自分がこんなにも臆病だとは私自身知らなかったよ」
初めて母から目を離して僕を見た父は見たことがない程に辛そうな、泣きそうな顔をしていた。
だから、それ以上は何も言えなくなってしまったんだ。
父にとって母は、僕が思っている以上に大切な人だという事を今更ながらに気付いてしまうなんて、僕は何て子どもなんだろう。
「健…お母さんにお別れを言いなさい」
まるで小さな子供に言う見たいに棺の前で伝える父の声で、僕の精神は現実に戻される。
そうだ、今は母のお葬式の最中だった。
今から母の体はこの小さな棺事燃えてしまう。
僕は、ありったけの感謝を込めて、母の顔の近くに生前母が一番好きだった花を飾った。
今にも起きてきそうなほど綺麗な母の顔は父によって唇に薄紅色の紅が差されている。
結婚式を思い出すよ…そんな事を父は言いながら母の頬を撫でていた。
最近は告別式と同時に納骨する家庭が増えており、それを進める参列者達に対し父は頑なにそれを拒んだ。
まだ、彼女の全てを手離せないそう僕には言っていた。
無事に告別式が終わり、後の手続きを済ませている間、僕は先に父の車に戻っていた。
そんな時、式場で白のワンピースを着たショートカットの女性を見かけた。
場違いだとも思ったが、参列者じゃなければ黒を着用しなけばならない決まりがある訳でもない。
それよりも何よりもその女性の美しさに高校生の僕は目を奪われていたんだ。
僕の視線が不躾だったのか、その女性は僕の方に近づいてきた。
母を失ったばかりだと言うのに、どこか母に似たその女性に僕は心を奪われた。
「あの……何か御用ですか?」
何て事務的な言葉しか出てこないのか、自分の口下手を呪いながらも彼女は気にした風ではなかった事に安堵する。
「もしかして、大内教授の息子さん? 」
綺麗な彼女の唇から、自分の父親の事を聞かれるとは思わなかったが、その時の僕はそのことに疑問を抱かずにただ話しかけられるきっかけとなった事が嬉しかった。
「僕の父をご存じ何ですか?」
気の利いた言葉では無いが、差しさわりのない言葉を選びながら平静を装う。
先を行く友達にどこか焦りがあり、少しの敗北感のせいで友達にすら言えてないが、僕は女性と関係を持った事がなかったんだ。 勿論、彼女がいた事はあったが、僕の面白みのない性格のせいか、すぐに別れてしまった。
好きだから付き合いたかった訳ではなく、ただ興味があったから、告白されるままに付き合っていた。
そんなんだから、長く持つ筈がなかった。
事に女性はそういった感情に敏感で、いつも彼女の方から別れましょうと言われる。
でも、それすらも煩わしさから解放される安堵感の方が強いのだから、攻められるベきは僕の方だろう。
「お父様と似ているのね。 お父様も自分の事を僕と言っていたわ」
まるで人形の様に綺麗に笑う彼女。
何だか出来すぎた一枚の写真の様で、絵画の様で…目の前の儚げで魅力的な女性に心は奪われていた。
どこか僕を見ていても、僕の中に違う誰かを見ている様だったが、その時の僕にはそれが何を意味するのか知る由もなく、年上の綺麗なお姉さんに僕の心は浮足立っていた。
「父に用があるんですか?」
父を知っている彼女に、そしてこの場所に対して、当然とも言うべき質問を投げかける。
だってそれしか、彼女との接点何て知らないし、この時間を終わりにしたくなかった。
「いいえ…知人に最後のお別れを言いに…」
火葬場を利用していたのは、何も僕の家族だけではないのだから、不思議ではない。
不思議なのは、彼女が最後の御別れに来たにしては、まるでウエディングドレスを連想させる白の装いだという事だけだった。
でも、だから中には入れず、外にいたという事ならば解らなくもない。
「最後の御別れは出来ましたか?」
何気に聞いた言葉が、彼女の心を追い詰めていた事何て僕には勿論解る筈もなかった。
「ええ……いえ、どうかしらね」
表情が微かに揺れ、一層彼女を美しく見せた。
もうこの時には、僕は彼女に麻薬の様に溺れていたのだろう。
「会えなかったんですね?」
友と言うには、恋人に会いに来た様な彼女に自分の願望を投げ掛ける。
「ご想像にお任せするわ」
立ち去ろうとする彼女に僕は慌てて声を掛ける。
「あの!…また会えますか?」
僕の必死さが伝わったのか彼女は、
「運命なら…また会えるかも知れないわね」
とだけ言い残して、車を走らせて行ってしまった。
「運命なら…か…」
また会えるそんな強い願望とは裏腹に僕は、この時をどこか夢を見ている様にも思えていた。
だから、あの時を夢だと思うようになっていたのだろう。
忘れるには、余りにも甘美で強烈で、そして儚げだったから。
大学に入り体と心がこの空気に慣れる頃には、気持ちにも何処から余裕が出てきた。
母を失った悲しみも、最初の頃に比べると痛みが和らいだ様にも思えた。
時が解決するとは、あながち間違いでは無いのかも知れないが、僕は母の匂いが、存在が強く残る家には居ることが出来ずに、アパートにでた。
そんな僕とは正反対に父は、母の存在が感じられない場所では暮らせないと頑なに、母の遺品すら片付け様とはしなかった。
今も母と暮らした家で、大学と家とを往復するだけの毎日を送っている。
そんな父を僕はしばかねの様だと思い、なおのこと家からは遠ざかってしまった。
父は、母の気配が感じる空間に居ることで何処か幸せそうだった。
でも、僕は過去だけを向いて活きていくにはまだ、若すぎたのだ。
あらゆる意味で……。
そんな何気無い日々を過ごしているうちにあの時出会った彼女の事なんて、モノクロ写真の様に記憶から薄れていっていた。
「なあ、今日バイト無いんだろ⁉帰り飯を食って帰らねえ?」
友達の一人斉藤が声をかけてきた。
勿論、何時もならその誘いを断る事なんてしないのだが、今日は特別の日だった。
あれから、納骨を終え、母の遺骨は無事に大内家の墓に入った。
最後まで手放したがらなかった父も、遺骨の一部を手元に置くことで納得をした。
そして、自分が死ぬときは墓に一緒に入れて欲しいと僕に言ってきたんだ。
僕は……「分かったよ」とだけ答えたんだ。
電車とバスを乗り継いで、母が眠る墓地までたどり着いた。
何時もその時間が少しだけ苦手だった。
電車から見える……流れる気色が何故か物悲しく映ったから。
母の眠るその場所は、小高い丘の上に有り、風が優しく流れる日当たりの良い場所にあった。この場所は、父が特にこだわった場所で、生前母が好きだったお日様の光と自然が融合した、墓地と一口で呼ぶには暖かな所だった。
通常なら、先祖代々のお墓に入る所だが、二人は駆け落ち同然で一緒になったため、時が経った今でも絶縁状態になっているらしい。どうりで、祖父母に会ったことが無い筈だと、気付くには遅すぎて、僕の駄目なところを今更ながらに痛感した。
良くも悪くも、現状には余り拘りがなく、疑問にも思わなかったのだ。
其にしても、恋愛ごとには疎い朴念仁だとばかり思っていた父にも、そんなに情熱的な部分が有ったのかと……そちらの方が驚いてしまった。しかも、惚れていたのも父の方で、母が亡くなった日のあの状態の理由が解った気がした。
僕はバスを降り、少しだけ歩いた後、揺るかな階段を登った。
お年寄りにも優しく作られている場所は、運動不足の大学生にもやはり優しかった。
父は、もう来ているだろうか?
僕とは違い、良く母の眠るこの場所に来ているらしく……それが何だか矛盾を感じでいた。
あんなに頑なに母の死を受け入れまいとしていたなら、なんでお墓に何か来るのだろうか、そう考えてしまうからだ。
そんなことを考えながら歩いていると、母の墓前に、まるで生前の母を若くした様な…あの時の女性が立っていた。
そう、何をするでもなく、文字通り立っていたんだ。僕は…話し掛ける訳にもいかず、かといってその場から離れることも出来ずに、少しの間、ショートカットの女性を見詰めていた。思い詰めたようで、何も写っていない様なその瞳に、もう一度写りたいと願うのは、可笑しいだろうか?
そんな自問自答を繰り広げている間に、その女性は此方に歩いてきた。
不埒な考えを頭の中で繰り広げていた僕は…気付くのが一瞬遅れて隠れる事も、上手い会話回しも考える余裕が無かった。
「あら?……大内先生の…」
綺麗な顔で微笑まれると、なおのこと何も言えなくなってしまった。
何処までチキン何だ僕は‼ってそんなことを反省しても遅いわけで、
「…どうも…」
とだけ答えた。
どう聞いたって、会話ベタな物言いだった筈なのに彼女は気にした風でもなかった。
「君のそう言うところ…お父さんにそっくりね」
ここで1つ疑問が浮かんだ。
とは言え、名探偵でも無い僕は、ただ少しの違和感があっただけだった。
「父のこと詳しいんですね」
当然な質問だったけど、少し子供じみていたかもしれない。
「…ええ、お父さんも、お母さまの事だって知っているわ…君と会ったのはこの前が始めてだったけど」
そう言って笑う彼女は年齢よりも幼く見えた。
実際の年齢は知るよしも無いから、自分よりも上だろう位な比較だけれど。
「そうですね、この前が始めてです」
これまた面白味の無い返しで、こんな時、少しだけ友達の関根が羨ましくなる。
あいつは何処までも、こんな僕とでも会話が続いて途切れないから。
「君、面白いね」
言われている事が誉め言葉なのか、違うのか曖昧だけれど、僕は誉められて要るように感じた。
「初めてです,そう言われるの…」
僕の言葉が以外だったとでも言うように彼女は一瞬驚いた様なら顔をしたが、直ぐにもとの表情に戻った。
「…だとしたら、君の友達は損してるわ。だって君、個性的で楽しいもの」
おおよそ個性的とは程遠い存在の筈だが⁉
そんなツッコミが頭を横断したけれど、嬉しさの方が勝ってしまった。
こんなにも僕は単純だったろうか?
「…有難うございます……お世辞でも嬉しいです……」
普段言われ慣れていない言葉を言われると免疫が出来るまで、軽い風邪にかかった様に効いてしまう。
良くきく薬でも有れば良いのだけれど…。
あの頃、丁度僕もそんな感じだった。
いつの間にか彼女というウイルスにかかってしまっていて、なかなか体から抜けてはれない様に、僕は彼女の何とも言えない魅力に感染していた。
「じゃあ、またね」
まるで友達に言うみたいな彼女に僕の他人との距離感が壊れて行くのが分かった。
「またっ!……」
優しい風が二人の間を横切ったから、僕はその先が言えなくなってしまった。
「…ええ、またね」
こんなに嬉しい事は記憶している限りでは一番はじめのクリスマスの頃以来だ。
良い子の所にはサンタさんが来てくれるという母の言葉通り、手紙でお願いした玩具が朝枕元に置いてあったあの何とも言えない高揚感。
ただ、同時に僕は怖くなった。
サンタさんはいないのだと初めて気付いた時の様にいつか魔法は終わるのかも知れない。
だから、願わずにはいられない。
良い子にしているから、もう一度彼女に逢わせて下さいと…。
一時僕が彼女との想いに浸っていると、程なくして父はやって来た。
薄緑カーディガンに白のカジュアルシャツ、ベージュ系のスラックスをはいた父を見て、母の好きな色合いを選んで着用してきた事に今になって気付いてしまった。
何時だって父は母が一番だったんだ。
だって、今に始まった事では無いから…ただ僕が気付けなかっただけで。
「あれ?父さん少し痩せた?」
そう言った僕に、父は、
「お前は少し男らしくなったか、幼さが抜けてきたみたいだな」
と父親らしいセリフを言って見せた。
自慢じゃないが、父にそんな事を言われたのも初めてだったのだ。
いや、僕も父と会話をしようとしなかった。
だから僕も何時もとは違う親子の会話が出来る。
「珍しいね…父さんがそんな事を言うの」
「そうだったか?…」
そんなつもりはなかったんだが、等と言ってくる。
違う…父が変わったんじゃない。
僕の方がまともに話そうとしなかったんだ。生前母さんがいつも心配していた。 もっとお父さんと話し合って見なさいと、二人とも不器用何だから…と。 そうだね、母さん。 母さんの言うとおりだ。 うちの父さんも、普通に何処にでもいる父親だったんだ。
その事に気付こうともしない子供だったのは僕の方だったんだ。
そうだ、僕は先程の女性のことを父に聞いてみる事にした。
父と母の知り合いなら知っている筈だ。流石にもう一度出会えるのをただ待っているだけなんて、有り得ないだろう。
「ねえ、父さん?」
訪ねた僕に、父はどうした?と答えた。
「ショートカットの綺麗な女性ってお父さんの知り合い?」
「ショートの女性?…それだけじゃわからんな」
父は一瞬驚いた様な素振りを見せたが、その後直ぐに考える素振りをした。
僕は少しの違和感を覚えたが、そりゃ、息子の口から女性を問う質問を急にされたら驚くだろうと納得した。
それにあの人の事も、情報が少なすぎると、仕方がないと思ったんだ。
父の複雑そうな表情に気付ける程に僕は父を知らなかった。
そして、父にその存在を聞くまでもなく僕はあの彼女に会うことになる。
僕のバイト先に彼女が客としてやって来たのだ。
カラアンカランと聞き心地良い音が店内に響いた。
自ずと俺達は、入り口を確認し、「いらっしゃいませ」と声を掛ける。
そこに何気なく、普通のお客さんとしてやって来た彼女。 ジーンズを履き、少しボーイッシュな感じになってたけど、僕には直ぐに分かった。 不思議な透明感は変わって無かったから。
カウンター越しに彼女を見詰めた。
お冷やとオーダーを取りに行こうとした同僚にその役目を変わってもらった。
後で、奢るからと付け加えて。
斎藤は「後で、詳しく聞くからな」と言っていたが、快く代わってくれた。
あいつは今も昔も良い奴だ。
そんな斎藤に心の中で感謝しながら、彼女に近付いた。
勿論、お冷やを持って、店員として。
「ジーンズなんて履くんですね…」
だけど、彼女にかけた言葉は店員のそれとは程遠かった。
ちょっと、不躾だったか?
でも興味の方が勝ってしまう。
彼女は通行人がよく見える窓際の席に座ると、改めて言葉をかけた僕を見上げた。
「大河内君…?」
父の名前を知っているのだから、僕も大河内で間違ってはいないが、彼女には父と一括りに何てして欲しくなかった。
「健です。……俺は健、大河内は父も何で健と呼んでください」
随分と唐突過ぎたか?
でも構わない。……僕は誰かと一括りが嫌だったんだ。
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