手紙
小紫-こむらさきー
母へ
私は、親と絶縁した。
とは言っても、完全に絶縁は残念ながら出来ない。
可能なのはせいぜい戸籍を分けたり、相手に戸籍の附票や住民票の閲覧を制限したりすること。
残念ながら両親は分籍しても、戸籍謄本を閲覧できるし、法的に必要な場合は現住所を調べられる。
それでも、私は両親相手に「あなたたちに私の居場所を知られたくない」と拒絶の意を発した。
親と絶縁を決める決定打は、私のお腹に赤ちゃんが宿ったからだった。
三十歳になれば自殺するという私の夢は、いつのまにか消えていて、子供なんて絶対に産みたくないという気持ちもすっかり変わってしまった。
両親から逃げるように、住民票も移さず、国民健康保険も払わず、もちろん住民税も払えるはずもない生きる気力を失った私を変えた人がいた。
私を変えてくれたのは一人だけの力ではない。
私は、想像していたよりもたくさんの人に助けられていたし、気にかけてもらっていた。そのことに気が付いたのは生活が落ち着いて、しばらくしてからだった。
死にたい、消えたいと毎日のように思っていたはずなのに、いつのまにかそう思うことは減っていた。
自分に価値はなんてない。私は劣っていて、怠惰で、嘘つきでどうしようもない人間以下の存在なのだ。そうやって自分を蔑む機会も徐々に減っていた。
それは、私に根気強く安全な場所を与えてくれた人たちのお陰だ。
具合が悪ければ休んでも良い――驚くべきことに私は、体調が優れない場合でも倒れてしまうか、動けなくなるまでは休むべきではないと思っていた――、怒ったことと、彼が怒ることと私が役立たずであることはイコールではない、具合が悪くて横になるのは決して怠けているわけではないなど……。
その他にも、一人で居るときに暖房や冷房を使うことは悪くないことや、自分のために部屋の環境を整えることは彼にとっても良いことだとも……。
彼にとって私は物を知らない獣のようだったと思う。
私は、両親から人間として見なされていなかったのだ。出来損ないの人間以下の生き物だと長らく信じ込んでいた。
だから私には、生きるために何かを学ぼうだとか、良くなろうという気力が育たなかった。ただ、出来損ないなりに死ぬ時が来るまで好きに生きようと刹那的な視点だけがあった。
彼のおかげで少しずつ、私は変わった。
家で自分の大切な物を無断で捨てられたり、ゴミ袋に詰めて勝手に処分されたりすることもない。
これを教えてくれたのも彼だった。
有るとき、ふと昔の出来事を話した時、彼はもう一つ教えてくれた。両親が私にしていたそれは、私に対する侮辱だと。
最初は全くピンと来なかった。物を片付けない私が悪いので仕方が無いから。
困ったように眉尻を下げた彼は、優しい声で話してくれる。
「オレの物を、君は散らかっているからと勝手に捨てるのかい?」
戸惑いながら首を横に振る私に、彼は言葉を付け加えた。
「君が、そうする場合、相手のことをどう思っている?」
ああ、もしかして、両親は私のことが好きでは無かったのか? と気が付いた。
こんな小さな積み重ねで、私は、私自身の親に虐げられているのかもしれないと自覚していった。
具合が悪くて動けない日に「仮病じゃないです」と泣きわめく私を、長い時間をかけてあやしてくれた。
しかし、彼がしてくれたのは献身だけではない。
彼が仕事で帰れない日、私は悲しくて、どうして彼は私が大切なのに話を聞いてくれないのかと我儘を言ったことがある。
短文で彼に「私のことは嫌いなの?」「話したい」と、今思えば八つ当たりのような言葉を送りつけた。
彼が私に返したのは一言だけだった。「忙しいけど、君のことは嫌いではない。帰って寝た後に話をするから、眠らせてくれ」だ。その後に送った五十数通のメッセージは無視をされた。
怒った私は、こんな家を出て行こうと発作的に思い立った。でも、彼が今までしてくれた数々の行為や言葉を思い出して、踏みとどまる。
彼は私との約束を違えたことはない。だから、嫌いではないを信じて待つべきだと。
帰宅をした彼は、私に一言だけ声をかけてすぐに寝た。そして、信じられないことに、起きた後にキチンと私の不安を聞いてくれたのだ。
似たような積み重ねを繰り返して、少しずつ彼が言った「予定の拒絶や意見への反対は、君への拒絶ではない」という言葉を信じることにした。
そうして一年ほどを共に過ごして、彼は私に伝えてくれた。
「君とずっと暮らしていきたい」
彼とならやっていけるかもしれない。だから、私は首を縦に振った。
しかし、両親に居場所がバレるのが怖かった私は、彼に籍を入れるのは待って欲しいと頼んだ。彼の両親はともかく、自分の親に会うのは考えることすら嫌だ。
嫌なことから逃げながら、明確な答えが出ない内に、私のお腹には子供が宿った。
その時になってようやく気付くけた。私を貶していた両親は……私の大切だったり好きだったりすることを貶してきた。あの人たちは、きっと私の子供にも彼にも同じように軽んじるに違いない。
だから、私は必死で調べて彼と子供を守ろうと思った。
そして、戸籍の附票や住民票の閲覧制限をすれば、両親は少なくとも正当な理由なしに私の現住所を探れないことを知る。
閲覧制限は、当時DVを行う配偶者に対して施行されるというのが多かった。しかし、当時からちょうど二年前に虐待を理由として両親に対して同制度が施行出来るようになったのだ。
「これを試してみたい。許可されるかはわからないけれど」
「大丈夫。無理なら俺が絶対に君を守るし、両親が来たら追い返す。だから、君は君がやりたいことをしていいんだよ。失敗しても、怒ったり幻滅したりなんてしない」
不安そうにスマートフォンを見せながら、制度を利用したいという私に、彼は微笑む。
そして、家を出る前に私の頭を、そっと撫で抱きしめてくれた。
「俺と子供のことも考えてくれたんだよね、ありがとう」
そう言われて、私は目の奥がじわじわと熱を帯びたのがわかった。泣き出してしまわないようにと目元を拭って、私は家を出る。
警察署までの道のりはよく覚えていない。
生活安全課へ通されて、担当の方に話を聞かれた。
どうしよう、疑われるかもしれない。
これは虐待にあたらないかもしれない。だって入院するほどの怪我をしたことも、児相に保護されたこともない。
頻繁に殴られていたわけではなく、悪いことをしたらげんこつをされたり、ご飯を抜かれたりしただけだ。
そんなことを思いながらも「子供が生まれるのですぐに引っ越すのも負担が大きく……両親に居場所を知られると子供にまで被害が及ぶかもしれない」と自分なりに、制度の必要性を訴えた。
無理かもしれない。私は怠け者だから。大袈裟な反応をして、すぐに被害者ぶるから……と母親の言葉が頭の中でぐるぐる廻る。
不安になりながら話していると、担当の方が一枚の紙を用意して目の前に置いてくれた。
「では、虐待の加害者の名前をこちらへ記入してください」
虐待の加害者といわれ、私は息を呑む。
「非常につらかったですよね。大丈夫です。この書類を書き終えた後に区役所でも相談をすれば、両親に対しての現住所の閲覧制限を利用できます」
虐待の加害者と書かれた欄に両親の名前を書いたとき、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。私はなんでも大袈裟に言って被害者ぶっている嘘つきではなかったのかもしれない。
区役所で、警察に相談済みだということを話すと、個室へ通された。
ねぎらいの言葉をかけられながら、私は戸籍の附票と住民票の閲覧制限の支援を受けて、両親との絶縁を果たした。
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