Yについて
五丁目三番地
第1話
「明日からメキシコに行ってくるから2週間以上連絡が途絶えたら死んだと思ってね。」
夕食のメインである餡掛け豆腐ハンバーグが暖色の電灯に照らされてつやつやと輝いていた。Yの好物である小松菜のおひたしを口に入れる直前に唐突にそんなことを言われたから、聞こえてきた言葉はおひたしと違ってよく噛んでも上手く飲み込むことはできなかった。
「あぁ、そうか。気をつけて」
さらりと言っては見たものの口調とは裏腹に形容しがたい不安が胃の奥底に漂う感触が不快だった。
「じゃあおやすみ。メキシコ楽しんでこいよ。」
「おう。ありがとう、お土産買ってきてやるから楽しみにしとけ。」
「帰ったらお前の好きなもの全部作るから。待ってるからな。」
「大丈夫だって。」
食後、リビングでスマホを見ながらくつろぐYの背中に声をかける。顔を見ていないくせして僕がやりきれない顔をしていると見透かしているようだった。どうしてそんなにYが生き急ぐのか僕には分からないまま、キャリーケースとリュックを背負って朝方家を出ていった。夢の中で聞いたドアが閉まる音はいつもより重く響いた気がした。
Yが居なくなってすぐはどうにも1人の生活に慣れず困った。ベタに夕食を2人分作ったり、帰宅途中に寄ったコンビニエンスストアでYの好きだったアイスクリームやお菓子を買ってしまってはなんとも感傷的な気持ちになることが度々あった。一日の終わりに布団の中で目を閉じるとYが冷蔵庫を開閉する音、ドライヤーの風音、パソコンを叩く音、人がいる気配と音が耳に流れてきていた。それが今ではピンと糸の張られた静寂が代わりに居座っている。日常と違う空気に呑まれて眠れない日が続いた。Yが居なくなって1週間。1人分の料理を上手く作れるようになったし、買い出しの後、悲しい気持ちにもなることもなくなった。それはYを忘れた生活ができるようになった訳じゃなく、思い出す回数が減っただけであり、根本的な解決はされていない。ふとしたきっかけで寂しくなることに変わりはない。そのくせYの顔を頭の中ではっきりと描けない自分に少しがっかりする。気づけば約束の半分が過ぎた。
連絡はひとつも来ないままだった。
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