七、盗賊の居る信号場

 列車の後ろの方から銃撃の音が聞こえる。続けて窓ガラスが割れる音が聞こえて、少し静かになった。

「ルナさん、銃を」

 車掌さんはそう言った。それから自分も上着の中に手を入れて、私が持っているのよりもずっと新しい小型の拳銃を取り出した。

「管理局に通報している暇はなさそうですね」

 コツ、コツ、とゆっくり足音が近づいてくる。森が、静かなのだ。

 客車の後ろ側にある妻引戸の硝子に大きな影が映った。

 車掌さんが、引き金を引いた。耳をつんざくような音が耳を突くのと同時に、硝子に穴が開く。

「外したか……」

 車掌さんが、小さく呟いた。妻引戸がゆっくりと開いて、大きな男が車両に入ってきた。

「危ないじゃねぇか、車掌さんよ」

 私は銃をホルスターから抜き出した。それを大男に向けて、構える。

 私が今ハンマーを手前に倒して引き金を引いたら、あの男は死ぬかもしれない。

 人を殺すというのは。

 ――未来を奪うことか。

 大男は、太腿に吊るホルスターから銃を抜き取って間も無く撃った。弾は車掌さんの銃に当たった。壊れたそれは壁に当たって、それから一番端の座席の上に落ちた。

 私も、撃たないとダメなはずなのに。

 私には、撃てなかった。

「おい、銃を捨てな」

 私は、下ろさなかった。前に構えて、銃口を大男に向けたまま、でも引き金を引くことは出来なかった。

「ケッ、せっかくのカモだってぇのに乗客はたったの一人か。面白くねぇ」

 大男はそう言った。

「お客様には手を出すな」

「黙ってろ車掌風情が。おい、さっさと捨てな」

「ルナさん、今は従ってください。もう、為す術はありません」

 ゆっくりと、銃を座席に置いた。

 大男は、もう一度引き金を引いた。弾は、車掌さんの右腕を掠めて、列車の妻面にめり込んだ。

「車掌、余計なことはするなよ」

 車掌さんの服が、腕から赤紫色に変色していく。

「おい、荷物はそこにあるので全部だな」

 大男の目を見て、ゆっくりと頷く。

「よし、それを持ってこっちへ来い」

「ルナさん、申し訳ございません。すぐに助けに行きます、暫く……」

「余計なことをするなと言っているだろうが!」

 また、大男は引き金を引いた。車掌さんの左肩を掠めて、前側の妻引戸の硝子も粉々に砕け散る。機関車の、ナンバープレートが見えた。

「さあ、早く持ってこい」

 車掌さんを見た。車掌さんは、私の目を見て頷いた。

 網棚の上から鞄を引っ張り降ろして肩に掛ける。ゆっくりと歩いて大男の前まで行くと、大男は満足げな顔をした。

「寄越しな」

 私は、黙って従った。

 大男に腕を掴まれながら、列車を降りる。男の手には、私の銃が握られていた。

 青く茂る草木を踏みながら、ゆっくりと信号場から離れる。周りを囲む森に入って五分も歩くと、ボロボロの車が一台止めてあった。あちこち塗装が剥げて錆が浮き出ていて、それ以外にも一センチくらいの丸い凹みがあちこちに出来ている。窓硝子も、嵌っていない。その横に、少し小柄な――と言っても私よりは身長が高い男が一人立っていた。

「親分、どうでした」

「見ての通り、女一人だ」

「そりゃあ、儲けになりませんね。その銃は?」

「こいつが持ってた銃だ。古いが、まだ使える」

 二人は私の腕を縄で縛って、後部座席に荷物と押し込んだ。

「でも、この顔なら良い値が付くんじゃねぇですか?」

「そうかもしれねぇな」


 ――もしあのとき私が。。


 そんな風に考える。あのとき迷わずに撃てていれば、結果は違ったかもしれないのだ。車掌さんが怪我をすることなんて無かったかもしれない。

 大男は、私の胸の下あたりにロープを腕ごと巻いて縛った。固く結ばれたロープは私の力ではびくともしなかった。ただ、車が情けのない音を上げながら森を進んだ。

「そう言えば親分、反乱、失敗したらしいですぜ」

「そうなのか? まあ、一般人が兵隊に勝てるわけはねぇな」

 今の私には、多分何も出来ない。何かをしようとしたところで、殺されてそれで終わる。そう解るから、私は何もせずに、二人の話を聞いていた。私は、無力だ。

 でも、自分が大切だと思う人を傷つけないためには――

「しっかし、グレネードをくすねて反乱とは、面白いことを考えるもんですね」

「いくら訓練された兵士でも、近くまで走られてそこで自爆されちゃ敵わねぇからな。一つの手としてはアリだろうよ」

 ただ、と大男は言った。

「ガキを使うのはいけ好かねぇな」

「全くその通りです」

 小柄な方がそれに同意して、車はそこで止まった。

「おい、降りるぞ」

 大男は、また私の腕を掴んだ。

 森の中にポツリと小屋がある。石造りの、車とは違って綺麗な建物だった。木で出来た扉を開けて中に入ると、男はマッチで蝋燭に火を点けた。

「そこで座って待ってろ」

 部屋の中には、大きな木のテーブルが一つ、椅子が四脚置いてある。奥には竈があって、その上には汚れた鍋がそのまま乗っている。食べてそのままにでもしているのだろう。

 テーブルの上には、アンテナ付きの通信機がどかりと置いてあった。

 男たちは、蝋燭で煙草に火を移して、テーブルをはさんで向かい合うようにして椅子に座った。薄暗い部屋の中を蝋燭と煙草の火だけが照らしていた。

「しかし、この女どうするんです?」

「さあな、二、三回楽しんだら新品とでも言ってオークションに出せばいい。髪は、別で売った方が高くつくだろうな。長さも色も、申し分ない」

「ああ、なるほど、そりゃ楽しみだ」

 小柄な男は、にやりと笑ってこちらを見た。

「荷物の方はどうなんだ?」

「ああ、荷物ならここに。中開けましょうや」

 二人は机の上に私の鞄を置いて、中身を並べていく。

「洋服の類は売っても金にはならねぇな」

「お、パスに、財布ですぜ」

 ジャラジャラと、木で出来たテーブルの上にコインをばら撒く音が聞こえた。

「流石旅をしているだけはあるな、下は兎も角、上は白金貨まである」

「白金貨四枚もあれば、この暮らしなら一か月――いや二か月は遊んで暮らせますぜ」

「馬鹿野郎、これを元手にもっと列車を襲う」

 少し離れたところにある窓から差し込む光の加減が変わっていく。太陽の動きであんなにすぐに動くこともないだろうから、きっと雲だろう。部屋の中が少しずつ明るくなる。

「そりゃいい! 乗務員も腰抜けばかりだったし、案外簡単に億万長者になれるかもしれませんねぇ!」

 小柄な方の男が、ガハハと愉快そうに笑った。

「しかし、これだけの金か。他の持ち物を見るに然程裕福でもあるまいに――」

「身体でも売ったんですかねぇ」

「まあ、だろうな。まったく持って、人は見かけに寄ら――」

 大男の右腕が、千切れ飛んだ。同時に窓硝子が割れ、その破片が男たちに降り注いでいく。

「え?」

 千切れた腕が、私のすぐ横に落ちる。

 私は、意外にも冷静で居ることが出来た。勿論、千切れた腕は怖いし、吐き気もする。でも、それだけなのだ。

「ぐああっ――」

 対して、大男は大いに狼狽していた。窓が割れたのだから、窓の外から攻撃されたのだろう。そんなこと、少し考えれば分かるはずなのに。

「クソッ、誰だ!」

 二人して、窓際に寄っていく。

 そして今度は――

「ぬああ」

 ――小柄な方の男の、その左膝から下が消えた。

「クソッ、狙撃か!」

 私は、縛られているばかりで、何をすることも出来ない。ただ、見えない敵に攻撃される男たちを、じっと見ていた。

 扉がバキバキと音を立てながら壊されて、車掌さんと同じ青い制服に身を包んだ男の人たちが入ってくる。腕の白い腕章には、鉄道警備隊と書いてあった。

「動くな! お前たちには鉄道法違反の疑いが掛けられている!」

「お客様、お怪我はありませんか」

 その内の一人が、私に駆け寄って私のロープを解いてくれる。

「大丈夫です」

「それは何よりです。列車までお送りしますのでこちらへ。この度は、大変申し訳ございませんでした」

 私は机の上に広げられた荷物をすべて鞄の中に戻して、小屋の外に出た。

 鉄道警備隊の車に乗り込むとき、二つ、大きな銃声が森の中にこだました。


「ルナさん! ご無事でしたか!」

 列車に戻ると、車掌さんが上半身裸で列車から降りてきた。

 列車は壊れた車両を外したのか、ちょっとだけ短くなっていた。

「車掌さんこそ、傷は大丈夫なんですか?」

「え? ああ、私は大丈夫ですよ」

「あの時私が撃ててれば」

 車掌さんは、いやいや、と首を横に振った。

「何を言ってるんですか。ルナさんはお客様なんですから。それに、こんなのかすりきイテテ」

「ちょっと、無理はしないでくださいよ」

 車掌さんを支えながら、列車に乗り込む。

「しかし、犯人無力化のためとは言え、お客様には大変残酷なものをお見せしてしまいました」

 車掌さんを車掌室に押し込んでいると、鉄道警備隊の人がそう言った。

「いいえ、出来ることなら見たくは無かったですけど」

 あれのお陰で私が助かったのは事実だ。

「助けて頂いてありがとうございました」

「いえ、お客様をお守りするのが、我々の務めですから」

 では、と言って鉄道警備隊の人は客車から出ていった。戻ってきたときは車掌さんのことばかり見ていたから気づかなかったけれど、すぐ横の線路には別の、真っ黒に塗られた列車が止まっていた。


 いつもの座席に座って、ふと空を見たら、急に目頭が熱くなった。

 ――エミリは。

 死んでしまったんだろうなぁ。

 拭っても拭っても涙は止まらない。だからと言って、泣いても死んだ人は帰ってくることは、絶対にない。でも。

 ――私の心の中では、生きているのか。

 そんなの、古臭いような気もするけれど。

 私は、なんだか心の底からそんな気がして、もう一度涙を拭いた。

「死んだら、だめだな」

 そう思う。まだ、エミリは死んだと決まったわけじゃないけれど。もしかしたら、帰りに寄ったときにまた大衆浴場で会うかもしれない。

 ――そうだったらいいな。

 今回は、運が良く鉄道警備隊の人が助けてくれたけれど、次も都合よく行くかどうかなんて分からない。

 私は、ゆっくりとホルスターから銃を引き抜いた。膝の上に置いて、じっくりと見る。


 撃たなくてもいいなら、その方がきっといい。でも、もしその時が来たら――


「守ってね」


 列車は衝撃の一つも無くゆっくりと走り出した。

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