五、近代化の街の駅(1)

 列車は草原を抜け、森の中を軽快に走っていく。一日に一回ほど、向かいから走ってくる列車と行き違いながら、どんどん進む。

 車掌さんの話だと、もうすぐ森を抜けて、そうしたらまた街が見えるらしい。窓を開けて、少し身を乗り出しながら時々前を見たりする。

 食堂車で貰ったお茶を飲みながらのんびり流れる木々を眺めて、三十分もすると森は抜けた。また草原に出たかと思えば、すぐに草は無くなった。荒野というほどの土地でも無いけれど、どう考えても好い土地とは言えない。だと言うのに、これから行く街はこの領の主都だった。

 列車はまた速度を上げる。一瞬だけ見えた川は、黒く汚れていた。

 次第に空気も悪くなり、厭な臭いが立ち込めるようになる。窓を閉めてからものの数分で、辺りは工場だらけになった。日が傾きだす頃だと言うのに、殆どすべての煙突からはこの機関車の吐くそれより何倍も色が濃い煙がもうもうと噴き上がっていた。

 走る線路は別の線路と合流し、三本が一直線になってからあちこち錆びた鉄橋を渡ればすぐに列車は駅に到着した。横を走る二本の線路には途中にも駅があったから、あっちは短距離列車用の線路なのだろう。

 壁のフックに掛けていたベルトを腰に巻いて、ホルスターに銃を仕舞う。ちゃんと、六発分弾丸は入っていた。

「ルナさん、お降りですか?」

 車掌さんが車掌室から出てきて言った。

「お風呂に入りたいなと思って」

 流石に、二駅連続でトンデモ大衆浴場だなんてことはないだろう。

「それが、この辺りには大衆浴場が無いんです」

「そんな」

 この辺りは屋敷しかありませんから、と車掌さんは言った。言われてみれば確かに、この辺りには煙突も煙も無いし、空気も多少はいいような気がした。

「もうちょっとクラスの高い列車なら、シャワーも付いてるんですがね」

「無いものねだりをしても仕方ないですよ」

「はあ、全くその通りで。確か普通列車に乗って四つくらいのところの駅前に大衆浴場があったかと。私も明日には行きたいと思ってますが」

 ちょっと待っててくださいね、と車掌さんは客車を出て行った。

 私はナップサックに、下着と虹色に染まったタオルを入れた。上着を着て、ナップサックを肩に掛けたところで、車掌さんが戻ってくる。

「今、駅がここで、南行の普通列車に乗って――あ、ちゃんと四駅ですね――ここに銭湯があります」

「なんでここにあるんですか?」

「ああ、それはこの辺りが工場労働者の住宅地になっているからですね。まあ、工場のすぐ近くに家を作るわけにも行きませんからねぇ。あ、切符売り場はあっちです」

 車掌さんにお礼を言って、私は列車を降りた。改札の外に一度出て、切符売り場と書かれた窓口の前に立つ。

「どこまでですか?」

「えっと、ここまでの切符を、往復でお願いします」

 手元に広げられた路線図を指さす。

「わかりました。少々お待ちください」


 普通列車は、少し小さな機関車が牽いているくらいで、客車も同じようなものだった。強いて言うなら、背もたれにクッションが無いけれど。

 夕暮れの工場地帯をのろのろと走り、やがて目的の駅に止まった。

 ホームはさっきの駅とは違って狭い。駅舎の作りもいたって簡素で、木造の掘立小屋が一つ立っているだけだった。

 駅員さんに切符を見せて改札を抜ける。駅前には寂れた家々が立ち並び、凡そ領の主都とは思えない風景だった。道行く人は見な煤や油で汚れた服に身を包み、一様にその顔には生気というものが見えなかった。

「あの、大衆浴場ってどこにありますか?」

 駅員さんに尋ねる。

「ああ、それなら右に曲がって線路沿いを歩いてすぐだ」

「ありがとうございます」

 言われた通りに右に曲がって線路沿いを歩くと、すぐに煙突が見えてくる。工場地帯の煙突とは違って、煙はあまり黒くない。

 大衆浴場は仕事終わりの人達で随分混んでいるらしかった。女湯でさえも、頬や体を煤、或いは油で汚した人々がこれだけ居るのだ。男湯の方はもっと沢山の人が居るのだろう。必ずしも男の方が働くというわけではないのだろうけれど、それでも番台のところから見えた男湯側の靴は、女湯のそれよりも多かったと思う。

「ねえ、あなたここの人じゃないでしょ」

「え?」

「見ない顔だよね、どこから来たの?」

 歳は多分同じくらい。短く切り揃えた髪から覗く顔には油が付いているから、この子も工場で働く一人なのだろうか。

「この領の、一番端の田舎街だよ」

 私はそう答えた。

「ふうん、旅してるの?」

 脱いだ服を銃の上に被せながら、私は頷いた。

「あなたは?」

「工場で働いてる」

 どうやら、見立てはあっていたらしい。

「何歳? 多分おんなじくらいだよね」

「十六」

「じゃあ一緒だ。外のこと聞かせてよ」

「いいよ」

 女の子はエミリと名乗った。工場で出来たものなのかは分からないけれど、腕や足には傷がいくつも出来ていた。

 肩までお湯に浸かって、なんとなく天井を眺める。上を見ていた方が、なんとなく疲れが取れるような気がするのだ。

「どこ見てるの?」

「天井だよ」

「楽しい?」

「別に楽しくはないかな」

 エミリが横に座る。私は少し奥に詰めた。

「ルナってさ、おっぱい大きくない?」

「そうかな」

 そんなことは無いと思うけれど。

「分かんない。私あんまり同年代の裸なんて見たことないもん。この辺で十六歳なんて私くらいだから」

 話すエミリの方を見た。顔に付いていた油は綺麗さっぱり落ちている。

「まだ顔に何か付いてる?」

「ううん、逆。取れたなと思って」

「落とすの大変なんだよ、あれ」

 そう言ってエミリは笑った。それから、しょうがないんだけどね、と言った。

「工場で働くのって大変?」

 お湯は、熱すぎず、かと言って温すぎるようなことも無い。

「そりゃあ大変だよ。毎日ノルマをちゃんと達成しないと怒られるんだよ」

「それは、やだな」

「やだよね。でも、もうすぐだから」

「何が?」

 エミリは答えなかった。

 睫毛に水滴が付いていて鬱陶しかったから、タオルで拭いた。

「一個気になってたこと聞いていい?」

「どうしたの?」

「なんでそのタオルそんな派手な色してるの?」

 もう一度自分のタオルを見直す。ひどい色だと思う。何が芸術だと、思う。

「この間寄った街の大衆浴場がね――」

 だらだらと旅のことを喋ったりしてから、お風呂を出た。


「銃、持ってるんだ」

 エミリは私が荷物を入れていた籠を見てそう言った。

「貰ったの」

「銃ってそんな簡単に手に入るものなんだ」

 簡単ではないのだろう。街中に銃砲店を見たことは無い。

「使う?」

「まだ撃ったことない」

 このまま一生撃たなくて済むなら、それでいい。

 外に出ると、すっかり日は暮れてしまっていた。ただ、遠くにはライトで照らされた煙突が見えて、その先端からは来たときと同じように黒煙が上がっていた。

「この街の工場は年中無休で二十四時間動いてる。誰かが、ずっと働いてる」

 エミリはそう言った。

「もう真っ暗だし、家に来る?」

「でも、悪いよ」

 列車に帰ればそこで眠れる。

「多分もう列車は走ってないよ」

「そうなの?」

 それじゃあ、帰れない。

「うん、暗くなったから。どうせこの辺に宿なんて無いし、歓迎だよ」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

「こっち」

 エミリは駅とは反対側に歩き始めた。二本目の角を左に曲がって、長く連なる小さな家の、四つ目の扉を開けた。

「ただいま」

「おかえりなさい。その方は?」

 ご両親だろうか。歳は、見た目だけなら六十くらいに見える。

「さっきお風呂で会った。旅してるんだって。駅に戻れないだろうから、連れてきた」

「そう。いらっしゃい、狭い家だけど、くつろいでいってね」

「お邪魔します」

 敷居をまたぐ。手前側は土間になっていて、竈が一つ作られている。座敷には箪笥が一つと、卓袱台が一つ置いてあるくらいで、他には奥に襖がある程度だった。

「ご飯はもう食べられましたかな」

 お父さんが言う。

「いえ、まだです」

「それは丁度いい。じゃあ、みんなで食べよう。今日は特別に多めに作ってあったんだ。なあ母さん」

「ええ、一人や二人増えたって足りますよ」

「すみません、何から何まで」

 天井から吊られた裸の小さな電球が、部屋を柔らかく照らしていた。

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