四、芸術的な街の駅
私は列車の最後尾につけられた貨車兼車掌車――緩急車と言うらしいけれど、その中で車掌さんと苦心していた。
銃を貰ったのはいい。貰ったのはいいのだけれど、ちゃんと銃について教えてもらっていないのだ。何が生きる理由が一つ増えただ、などとついさっき言ったことが怒涛の勢いで恥ずかしくなってくる。
「わかんない……」
つい、そうやって呟いてしまう。
「流石にこういう事態は想定しておりませんで、本もありません。どうしましょう。私も自分で使う銃のことしか分かりませんし」
車掌さんは、銃をいじっている私の後ろでそう言った。カチャカチャ金属音を鳴らしているから、多分弾丸をいじっているのだろう。
「この列車に銃に詳しい人は居ないんですか?」
もう二日は、銃をいじっている。判ったのは、最近主流のシリンダーと言うらしい部品が外側に出てきて後から弾を入れる方式じゃないということと、バレルに付いている三角形のレバーを倒すとにょきっと金属が出てきてシリンダーの穴の中に入ることくらい。撃ち方はおろか、弾の装填方法でさえもサッパリわからない。このレバーは多分装填に使うのだろうけれど。
「うーん、もしかしたら機関士なら知っているかもしれませんが――」
運転中です、と車掌さんはあっけらかんと言った。そんなことは解ってる。
「あ、そうだ。次の駅に着いたときに教えてもらえばいい」
「でも、疲れているんじゃ……」
「彼ならまあ、心配ないでしょう。幸いに、次の駅に着くのは深夜じゃありません。そうそう、言い忘れてましたが次の駅は芸術的なところですよ、ハハ」
「芸術的なところ?」
「まあ、私はあんまり好きなとこじゃありませんけど」
窓を開けて少し乗り出して列車の前の方を見ると、闇の中に高い壁が立ちはだかっているのが見える。その下部には灯りがあって、どうやらそこに門があるらしいことは分かった。
列車は徐々に速度を落とし、門の前で停止した。前照灯が照らす門はピンク色に塗られていて、よく目を凝らしてみればその周りの壁もマーブル模様に色づけられていた。
「ね? 芸術的な街でしょう?」
確かに、芸術的と言えば芸術的なのだろう。大きな壁のすべてをビビッドカラーに塗るのには、相当な労力や時間が掛かる。それを押してまでこうするのだから、たぶん。
でもなんというかこれは――
「悪趣味ではありません」
私が口を開くと同時に、車掌さんはそう言った。なんとしてでも言わせまいとするその気概は、まるで子を鬼から守る親のようだった。
「もしかして、タブーな感じなんですか?」
「そりゃもうタブー中のタブーですよ。あの塀の中の人達はこれが素晴らしい最高の芸術だと思ってますからね。言ったら首が飛びますよ、まったく」
車掌さんは溜息をつく。
「こんなのは序の口です。まだまだね。中に入ればもっとすごいですよ」
列車がゆっくりと動き出して、門を潜り抜けた。
街はどの家も漏れなくビビッドカラーで彩られ、場所によっては壁と同様マーブル模様が作られていた。更には、塗りだけだった城壁とは違い、屋根の先端にはよくわからない奇妙な形の細工が載せられている。
カラフルな街中を、いたって地味な黒や茶色で塗られた列車は悠々と駆け抜け、街の中心辺りにある駅にゆっくりと停車した。
「ときにルナさん、お食事はどうなさいますか? ここはお店が多いですから、外のレストランでお取りになるのも手かと思いますが……」
窓の外に見えるのは、一面オレンジ色のプラットホーム、別のホームに止まるはピンク色の蒸気機関車に水色の客車、看板には緑地に紫色の丸文字で改札。
「降りるのは、覚悟が決まってからにします」
到底、夜降りて店で食事、なんて気分にはならなかった。
「では、ソフィアさんに伝えておきますね。今日はみんなでご飯を食べましょう」
車掌さんはそう言って列車の扉を開けに行った。
私は銃について教えてもらうべく、列車を降りて機関車の方へ歩いた。歩いたと言っても、一番前の客車に載っているから、石炭を乗せた車両の分しか歩かないけれど。
機関車の戸をノックして、中を覗き込む。
「どうした? 乗客は立ち入り禁止だぞ」
機関車奥側に座っていた若い男の人がそう言って立ち上がった。髪はこの国では珍しい金髪だった。
「いえ、入りたいというわけでは」
機関車自体に用があるというわけでは無い。
「じゃあなんだ。乗客が機関士や機関助士に用はないだろ? 客車へ帰んな」
態度が一方的で、どうにも話が通じそうもない。話しても無駄なような気がして、私はごめんなさいと言って客車の方に足を出した。あとで、車掌さんに取り次いでもらえばいい。
「待て」
これは、別の男の人の声だ。歳はさっきの人よりも二回りほどは上だろう。多分、この人が機関士で、さっきの金髪の若い人が機関助士なのだと思う。
「ルナか?」
「え?」
「そうなんだな。……さっきは機関助士がすまないことをした。まだまだ未熟なんだ」
「じゃあ、あなたが機関士さんですか?」
身長は私よりも三十センチは高い。だから、百八十センチちょっとと言ったところだろうか。手には細長い金属製のハンマーを持っている。
「ああ」
機関士さんは低い声で答えた。
「教えて欲しいことがあって」
「なんだ? なんでも言ってみろ」
「銃の使い方を教えて欲しいんですが」
オレンジ色のプラットホームにハンマーが落ちた。
「ああ、勿論だ」
機関士さんは、なぜか目に涙を湛えていた。
銃のケースを回収して、列車の中を後ろへと歩く。食堂車の中には美味しそうな匂いが充満していて、その中で車掌さんはうたた寝をしていた。起こさないように通り抜け、貨車に入る。
「見せてみろ」
床にケースを置いて、中から銃を取り出す。
「ああ、これなら解るぞ。まず撃鉄を半分くらいのところまで――」
空が白んでくる頃に目が醒めた。支度をして、それから、昨日使い方を教えてもらった銃をホルスターに入れる。旅をする人が銃を持つのはそう珍しいことでも無いけれど、街中を歩くのにそのまま見えてしまうのもなんだか嫌で、薄手の上着を羽織った。
「本当に行かれるんですか?」
車掌室から眠そうに目を擦りながら出てきて、車掌さんはそう言った。どんな寝方をしていたのやら、髪に変な癖がついていた。
「私はオススメはしません」
「でも、私降りてみます」
車掌さんは自分の頭を掻いて、目を丸くした。
「お気を付けてくださいね、ここの人たちは、なんというか、癖が強いですから」
横を通って、車掌さんは列車の後ろの方に歩いていった。多分、洗面所に行くのだろう。髪を流したところであの寝ぐせが治るとは思えないけれど。
「さてと」
私はオレンジのプラットホームに降りた。昨日は夜だったからそこまで気にならなかったけれど、昼間だと目が痛くなる。でも、街に出たところでどこもこんな風景らしいから、どうしようも無いだろう。諦めて慣れるしかない。
車掌さんのそれよりも何倍も明るい制服に身を包んだ駅員さんにパスを見せ、駅を出る。
まだ朝だと言うのに駅前には沢山の人が街を闊歩し、その誰もが明るい派手な服を身にまとっている。おまけに街を歩く人達は髪の色が金ですらなく、赤や紫と言った色に染められていた。
ひとまず、駅の正面から真っ直ぐ奥まで続く通りを行く。道路に敷き詰められた石の一つ一つがピンク色に塗られているという徹底ぶりで、昨日列車から見た景色に相違なくすべての建物が派手な色に塗られていた。
駅から続くこの道にはどうやら商店が多く軒を連ねているらしい。まだシャッターが閉まっている店もあるけれど、大半の店の前では道路に立って客引きをしていた。何とか捕まらないように道路側ギリギリを歩くけれど、如何せん目立つのだ。髪は真っ黒で、服装はカラフルなんて程遠いほぼ無彩色。これで目立たないわけがない。街の人たちの珍品を見るような視線が痛かった。
駅から十分くらい歩いたところで、大きな、ピンク色の水を空に押し上げている噴水に出る。噴水を避けるように道は円形を描き、東西南北にそれぞれ伸びていた。
噴水から出る水は当然普通の色ではなく、赤く着色されていた。
「ちょっとお姉さん、旅の人?」
髪、眉は明るい青、ピンクで赤いフリルがあしらわれた洋服を来たおばさんが私の視界に映り込む。その服の胸元には大きく『派手』と書かれていた。
――何が派手なんだ。
「全部か……」
「え?」
「あ、はい、旅をしてます」
「そうよね! そりゃあここに住んでる人でそんな色のない恰好してる人は居ないわよ。どう? ウチじゃ服とかアクセサリーとかを取り扱ってるんだけど、その地味ぃな恰好にせめて花の一つでも添えてあげたらいかがかしら。そうね、これなんかどう? 世紀の天才マーブル様がデザインしたブレスレットよ」
ブレスレットになってみれば、なんてことは無い普通なものの様に見えるのだけれど。
「身体を動かすのに邪魔になってしまいそうで……」
旅をするのに派手なブレスレットはちょっと憚られる。
「うーん、そうね、じゃあこれはどうかしら。同じく世界随一の天才マーブル様がデザインした髪ゴムなんだけど。ほら、あなた髪長いし」
髪ゴムなら、まあ確かに悪くはないかもしれない。
「おいくらですか?」
「銀貨八枚よ」
「ふぇ⁉」
銀貨八枚と言ったら、洒落たレストランでディナーを食べれるくらいの額だ。髪ゴム一つでその値段はどう考えたって、所謂ぼったくりという奴だ。少なくとも私の金銭感覚ではそうなっている。それに、私が今持っている髪ゴムは半銀貨にも満たない。
「芸術はね、価値が高い物なの」
確かに、この人が言うことも解る。解るのだけれど、それにしたって普通の髪ゴムの百倍くらいの値段が付いているのだ。そんなもの――
「まさか、ここまで説明させておいて買わないとは言わないわよね?」
「え?」
これは――押し売りだ。
財布が軽くなった。余裕を持って旅に出たとは言え、一駅でこんなに高い買い物をしていたらとてもじゃないけれど終着駅までたどり着くことなんてできやしない。
――はぁ……。
自然とため息が出る。まさか、銀貨八枚もするゴムで髪を結ぶ日が来るとは思わなかった。
「疲れるわよね、この街」
女の人の声だ。
「はい、とっても」
顔も見ないで、私はそう答えた。
「旅人?」
「そうです」
「私もよ」
ちらと見ると、女の人は、黒髪、私と同じ殆ど無彩色の服に身を包み、腰には銃を吊っていた。
「その髪ゴム、買わされたの?」
「銀貨八枚」
「ぼったくりじゃない……」
こんな色に囲まれていても、空だけはいつもの青を保っている。それだけが、救いだった。だから、私はずっと空を見ていた。
「昔ね、昔ったって十年くらい前、この街に一人の男が来たわ。名前は――」
「マーブル、ですか?」
「あら、よく知ってるわね」
私は自分の髪を指さした。
「ああ、なるほど……。その人がね、街に落書きをしたのよ。こういう色でね、こう、ばーっと盛大に」
それが、こんな風になるものだろうか。
「そりゃあ最初はみんな変な落書きだと思って見ていたのだけれど、ここの有力者がね、この色を気にいっちゃったらしいの。そのマーブルって人を天才天才って持て囃して、そいつもいい気になっちゃったのね。街にはこういう色の落書きが増えていったわ」
「誰も消さなかったんですか?」
「消しても意味なかったのよ。一つ消してる間に三つも四つも描いてるような具合でね、どうしようもなくなって、それでこうなった」
「こうはならないでしょ……」
足元のマーブル模様を見る。
――マーブル。
自己主張だろうか。
「さっき私、博物館に行ってきたのよ」
「どうでした?」
「何がいいのかさっぱりだったわ。でも、ここの人たちはこれが素晴らしいと思ってるのね」
私には、一生芸術が分かりそうもない。
「ねえ、約束しない?」
「なんのですか?」
「この先マーブルを見つけたらぶん殴ってやるのよ」
女の人は拳を握りこんだ。そんなに、憎いのだろうか。
「そこまでしなくても……」
「しなきゃ駄目よ。も――――、ほんとやんなっちゃうわ」
鳥が鳴く声が聞こえた。
「まさか、鳥もこういう色だったりとか……」
「流石にそれはないわ。流石に、ね。もしそうなってたとしたら私は今ここで自殺する自身がある」
「え?」
「冗談よ。――あら、もうこんな時間? そろそろ行かなくちゃ。私はセレナ、またどこかで会いましょう」
「ルナです。またいつか」
セレナさんは、深い溜息と一緒に駅の方へと歩いて行った。その片腕には、マーブル模様の入った腕輪が着けられていた。
「そこの君! 今のそんな地味な髪色で満足なんですか⁉」
「ふぇ⁉」
「今なら芸術美容師である私が安くお染め致しますよ!」
私は、何も考えないで走り出していた。
駅に着くころには、だいぶ汗をかいてしまっていて、シャツが肌について気持ち悪い。どうせ行くのだからと思って、私は大衆浴場に向かった。
外観は、言うまでもない。けれど、脱衣所はいたって普通の脱衣所だった。これといってカラフルなことも無く、変なオブジェが付いていることも無い。得も言われぬ感動を胸に抱きながら服を脱ぐ。黒い無地の下着でさえも私を落ち着かせる。もう、色が無ければなんでもいい。
白いタオルを片手に、私は意気揚々と浴室の戸を開けた。この脱衣所で、流石に浴室だけ派手なんてことはないはずだ。
――はずだったのだけれど。
そんなことなかった。壁はエメラルドグリーンに塗られ、床は真っ赤なタイル。そして、浴槽は金色、挙句お湯は虹色だった。
「もうやだ……」
足の力が一気に抜ける。
情けなく、私は床に膝をついた。
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