【神話都市】神の言葉、少年の言葉(お題:任意の言語)
「
「神性文字? ……には、見えないけど」
「多分、今君が想像してるものとは違うんでしょうねぇ」
「……どういう意味だよ、
ひとつの机を挟んだ相手に向かって、純光は少し得意げに口角を上げた。
あからさまに眉根を寄せた弥志郎の問いを待たず、白髪の少女は自分の机からノートを取り出して、それから、空いた左手でペンを不器用に回してみせる。あまりに自然なその動きに、弥志郎は自分の制服の胸ポケットから抜き取られたペンであることに気付かなかった。
「君が想像してるのは、多分こういう
「……これのことじゃないのか?」
「まぁ、間違ってはないんだけどね?」
「どういう意味だよ」
「そちらこそ。これ、どういう意味かな?」
「……」
純光は几帳面に、一画一画に不自然なほどに力を籠めながら文字を書いた。アルファベットともキリル文字とも漢字とも仮名文字ともアラビア文字とも象形文字とも違う、けれどそのどれもに通じるような、根源的な図形を、数文字分。書き終えて、純光は何食わぬ顔で身長不相応な膨らみのある自分の胸ポケットにペンを仕舞った。
神々が住まう特異点的な聖地に、無宗教ながら自ら志願して進学してきた弥志郎には、その見慣れた文字の意味がすぐにわかった。挑発するような問い返しにムッとしながらも、弥志郎は一文字ずつ指しながら答える。
「『神』は『夜』『民』を『見守る』、だろ」
「正解、正解」
純光は、まるで年上の姉か教師のように気安く少年の答えを褒めた。弥志郎としては、神を自称し、その自称に違わぬ社会慣れしていなさを誇る彼女に対してむしろ妹か後輩のような感情を抱いていたので、「そんなお前に褒められてもな……」と雰囲気のギャップに釈然としない気持ちになったのだが。
しかし、すぐにそんな文句は些細だと切り替える。弥志郎は画面が暗転していたスマホを再点灯させながら問う。表示されるのは、道路に入った亀裂の写真。
「で。これが神性文字なら、これはなんだよ」
「だからァ、これも神性文字」
「……どうみても、ひび割れだろ」
「頭が固いわねぇ……」
「アン!?」
弥志郎は、思い切り口の端を歪めた純光に対していよいよ感情を剥き出しにしたのだが、しかしそれは純光に対して優越感の薪を提供したに過ぎなかった。
「いやぁ、そんなので学者になろーなんて、やっぱり無理じゃない?」
「……」
「ま、まだまだ子供だし、あたしと君の仲だからね。今回は答えを教えてあげる」
再び、くるりくるり。此度のペン廻しは児戯ではなく、無人の教室の空気を掻き回すような、弥志郎の脳を視覚から掻き回すような、奇妙な迫力があった。
「例えば、さ。弥志郎くんって、自分の字に癖がないって言い切れるかな?」
「うん?」
「『弥』の字の弓偏を、数字の『3』みたいに……こんな風に、一発で書いたり」
「……あぁ、まぁそういうのは」
「あるでしょ」
ずばり、癖を言い当てられて、弥志郎は一瞬息を呑んだ。ありふれた癖の類型ではあるけれど、そんな推測にしては彼女が書いてみせた『弥』は、あまりにも自分の筆跡に似ていた。
「それとおんなじよ。神様だって、いつだって几帳面じゃないんだから。例えば、こんな風に」
純光はそう言いながら、先ほどの神性文字の下に並べて、全ての字画を繋がるほど自然に脱力して文字を書いた。アルファベットともキリル文字とも漢字とも仮名文字ともアラビア文字とも象形文字とも違う、そもそもそれが文字かということから確認が必要なものを、恐らくは数文字分。書き終えて今度は純光はペンを仕舞わなかった。そのまま、多色ペンの色を切り替えて赤を出し、大きな丸を四つ、文字の上から描き込む。
「『神』は『夜』『民』を『見守る』、だよ。うーん、『みんなのこといつも見守ってるからね』、くらいフランクかな?」
「あー……もしかして、つまり、これって」
「うん、崩し字。これも立派な
目を見開いた弥志郎の表情に純光は満足げに笑って、今度こそペンを仕舞った。
そして、小さく息を吸って、真っ黒な、ペンのインクのような混ぜ物のない『黒』い瞳で、弥志郎を見据えて、語る。純光、神を自称する転校生の、その自称に見合うだけの風格に、崩し字を解体・分析しようとする弥志郎も顔を思わず跳ね上げる。
「弥志郎くん。その道路のひび割れが、誰かの手によって『書かれた』とは思いづらい」
「……あぁ」
「だから、ハッキリ言って偶然だ。今君が巻き込まれてる面倒事、少なくとも君に責任はないわ」
力強い断言。けれど、その言葉から弥志郎は安心を得られない。純光もまた、安心を与えるつもりのない、残酷だが妥当な未来予想を語る。
「だけどね。少なくとも、初動捜査のメンバーやただの信徒たちにとっては、このひび割れが最近の騒動の原因とは思えないだろうね」
「そういう、もんか」
「もんだよ。そして、不安に駆られた信徒たちは理由を求めるだろう。……そうだな、どこの派閥にも属していない余所者、とかに」
訥々と、淡々と、語る。声色は大して変わっていないのに、その語気に緩やかさが失せたからだろうか、言葉に重みが増したように感じる。
「……どうする? あたしに頼れば、色々楽だと思うけど」
「……純光。いい機会だから言っておくが、俺はお前のことを……『かみさま』って話を、信じてないからな。信用も、信頼もしてない」
「神聖文字の話は聞いたのに?」
「あれは文献に載ってるかもだろ」
「はっは! 屁理屈と言葉遊びが好きねぇ」
純光は。真正面から切り返した弥志郎の不遜に、けれど怒るでもなく笑いとばした。神であっても少女であっても、それは不快であろうに。
「……うん。じゃあ、まずひとつだけ。神聖文字の謎の前に、君の日本語を糺してあげよう」
「あん?」
純光は、そっと囁くように、微笑んだ。
「弥志郎くん。あたしのこと、今は信用も信頼もしなくていいの」
「……え」
「信仰しなさい。あたしは、きみのかみさまだから」
夕暮れの赤の中で、それでも白い髪は白く、黒い瞳は黒かった。
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