21話 猫の声

「おはようございます! 今日は卵どうしますか?」

「ん……半熟で」

「はい」


 そしてなんでもない朝がはじまる。いつもの朝食に、いつもの返事。昨夜の夜空の散歩の事はお互いになかったかのように振る舞う。


「……マイア」

「はいっ」


 マイアはアシュレイに声をかけられて飛び上がった。結局マイアは気にしてないフリをしたとしても気になってしかたないのだ。喧嘩した時はいつの間にか仲直りしているのに。


「もう少し半熟がいい」

「あ! じゃあ私のととりかえましょう、ね?」


 口を開いたと思ったら子供みたいな我が儘を言うアシュレイに、今日ばかりはマイアはほっとした。

 そんな気詰まりな朝食の時間が終わった時だった。


「伝言デース! 伝言デース!」

「はいはいー!」


 レイモンドとの交信用に使っている小鳥ゴーレムがやってきた。また魔導具の依頼だろう。マイアはゴーレムの持ってきたメモを取り出した。


「依頼あり。まずは話を聞いて可能かどうか判断して欲しい、か」


 マイアは今日昼過ぎにはそちらに向かう、と小鳥ゴーレムに託した。ぱたた……と羽音を残して飛び去って行くゴーレムの姿が見えなくなるまで見送っていた。


「それじゃいってきますね」

「ああ」


 気のせいだろうかアシュレイの声はそっけなかった。


「小腹が減ったら、キッチンの缶にクッキーがありますから」

「早く行け」

「はーい」


 マイアは改良した風の魔法のマントで街まで飛んでいった。


「なーにがクッキーだ」


 アシュレイは飛んでいくマイアを眺めながらそう呟いた。そして気配だけ漂わせているカイルに向かって話しかけた。


「なぁカイル?」

『あの子にとっては手がかかる子供と同じなのだ、お前は』


 カイルは屋根からひょこりと顔を出してアシュレイをからかった。


「どこがだ。それにしてもどうしてお前はうちの周りをうろつくんだ」

『だってお前の結界があるから中に入れない』

「そうじゃない。今まで森の最奥から出て来なかったお前が何故ここのところよく現われるのかを聞いている」

『ははは、それか』


 カイルは宙返りして屋根から降りるとアシュレイの顔の前に鼻を突き出した。その近すぎる距離に思わずアシュレイは顔をしかめた。


『ある日からここは感情がうずまきはじめたから、面白い』


 金色の表情の読めない目でカイルはアシュレイを見た。


『今もゆらゆら……。逆に聞きたいぞ。可愛げのない魔術師どの。近頃どうしたというのだ』

「別に……俺は俺のすべきことをしているだけだ」

『そうか。夜空のデートはすべきことか』


 それも見ていたのか、とアシュレイはこめかみを押さえた。


「デートじゃない。迎えにいっただけだ」

『迎えにいって抱き合って帰るのか。へぇ……』

「お前、黙らんと本当に消すぞ!」


 たまらずアシュレイはカイルの顔を掴んだ。実体のあやふやな精霊はにやにや笑いながら消えた。


「カイル……確かに俺には誤算があったさ。十三歳の子供は、三年もたったら……」


 アシュレイはそう呟きながら昨夜、マイアを抱き寄せた時の感触を思い出していた。




「レイモンドさんいらっしゃいますか?」


 その頃、マイアはフローリオ商会のレイモンドの元に到着していた。


「マイアさん、お待ちしてましたよ」


 マイアは今日もにこにこ愛想のいいレイモンドの顔を見るとほっとした。正直、あの妙な雰囲気は耐えがたくてレイモンドの呼び出しはありがたかった。二人はさっそく連れだって商談室に向かった。


「今回の依頼は一応保留にしているんですよね」

「どんな依頼ですか?」

「それが……『猫の声が聞きたい』というのです」

「猫、ですか」


 マイアはたったそれだけの為に結構な値段のする魔導具が必要な理由が分からなかった。


「実は大層な資産家の方が亡くなられて……彼には子供がいないのです。なのでその莫大な遺産は本来なら親族に相続されるはずなのですが……彼は遺言を残していました」

「遺言?」

「はい。遺産を飼っていた猫に、そうでなければ猫が次の主人へと選んだ人に遺産を譲る……と。それで今、その屋敷は大変な騒ぎなのです。次から次へ親類縁者がやってきては猫の気を引こうとしたり勝手に連れ帰ろうとしたり……」

「それは大変そうですね」


 レイモンドのげんなりした顔を見て、マイアはその猫に同情した。


「これは彼の弟の甥にあたるセドリックさんという方からの依頼です。彼は猫の声が聞こえればこの騒動も収まると考えて居るようです」

「もし、私がそういう魔道具を作れるとしたら受けて欲しいと思っているんですね」

「……はい。セドリックさんは得意先の一人でして。まあ会ったら分かると思います」


 故人とはほとんど他人といっていい関係に思えるセドリックという男性。その願いを叶えて欲しいとレイモンドは本気で思っているようだった。


「わかりました。その方に会えるでしょうか」

「はい。マイアさんと話がついたら伺いますと伝えてあります」

「じゃあ行きましょう」


 レイモンドはマイアを商店街の方に案内した。そこにこぢんまりとある布屋さん。そこの主人が依頼者のセドリックだった。


「お待ちしてました」


 にこにことマイアを出迎えてくれたセドリックは三十代半ばくらいだ。マイアはその広くもない店の品揃えに驚いた。


「布で溺れそうですね」

「ははは……常連のお客さんの好きそうな布とかボタンを集めていたらこんなになってしまいましてね」


 そうして柔和に笑うセドリックを見ていると、なぜレイモンドが彼の願いを叶えたいと思ったのかマイアもなんとなく分かったのだった。

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