9話 新たなお客
「それは?」
夕食を終え、お風呂と着替えを済ませた後でハーブティを飲みながら居間のソファーで本を広げているマイアを見て、アシュレイが問いかけるとマイアは本から顔を上げて答えた。
「ミントティーですよ。飲みます?」
「そっちじゃない。本の方だ」
アシュレイの見覚えの無い本は薔薇の模様に縁取られた表紙に『秘密を愛した乙女』と書いてある。
「購入者の小説家さんに貰ったんです。ロマンス小説ですって。私、小説ってはじめてです」
「ロ、ロマンス……?」
「まだ冒頭ですけど、結構面白いですねぇ。すごいなぁ……こんなお話を考えられるんだなぁって」
「そ、そうか……もう遅いから部屋に行って読め」
「そうですね」
マイアは素直に頷くと本を持って寝室に向かっていった。アシュレイは微妙な顔をしながらその姿を見送った。
「……おはようございます」
その次の朝、マイアは目の下にクマを作りながら朝食を用意していた。
「まさか……寝てないのか?」
アシュレイは見た事のないマイアのくたびれようにうろたえた。
「寝ましたよ……ちょっとだけ……」
「そんなに面白い本だったのか」
アシュレイがそう聞くと、マイアの顔がかっと赤くなった。
「あ! ああ……お、面白かったです! はい」
「そうか、じゃあ俺も読もうか」
アシュレイがそう言うと、マイアは首をぶんぶんと振った。
「だ、駄目です!」
「なんでだ」
「私が貰ったものだから駄目です! で、卵の焼き具合は?」
「炒り卵がいい」
「わかりました!」
それきりマイアは口を利いてくれなくなったので、アシュレイは困った顔をして食卓に座った。
それから黙って朝食を食べてマイアはさっさと洗濯に向かい、洗い物を抱えて外に出た――途端にマイアは顔を覆ってうずくまった。
「貸せるわけないでしょ! もう!」
ダグラスから貰った小説はとても面白かった。それこそ貰った三冊とも一気に読んでしまうくらい面白かったのだが……マイアには少々刺激の強いシーンがあちこちにあったのだった。
「はー……まったく」
ぼやきながらマイアは立ち上がり洗濯物を洗い始めた。
「さて……」
一通りの家事を終えて、マイアは自分の部屋で机に向かった。紙を広げてペンを取る。そして考えはじめた。
「人の役に立つ道具……うーん……」
マイアは目の前に転がる魔石をつついた。動力が元々高価な魔石である以上、マイアの魔道具は安価に気軽に手を出せる金額にはならない。だから、どうしてもマイアの道具でないといけないと思えるものでなければならない。
「むむむ……」
考え込んでいる間に寝不足もあって眠たくなってきた。ふと、マイアがうとうととしかけた時である。
「マイア! 客だ。お茶いれてくれ」
「はーい!」
居間からアシュレイが呼ぶ声にはっとしたマイアは慌てて部屋を飛び出した。向かった居間には品良く結い上げた金髪の若い女性が所在なさげに座っていた。
「いらっしゃいませ、お茶をどうぞ」
マイアがお茶を勧めると、彼女はそれを一口飲んでようやく口を開いた。
「……私はキャロル・アディントンといいます。生家は街で商会を営んでおります。その……二週後の安息日の天気を聞きたくて参りました」
用件を切り出した彼女の言葉に、アシュレイは不可解そうに眉を寄せた。
「そんなものは街の魔術師に聞けば分かるだろう。半年先の天気ならともかく」
「でも……その日は大事な日なんです。間違いがあっては困るのです。取引先でもあるフローリオ商会に相談したらここなら絶対なんとかなるって聞きまして」
「天気を読むくらいの魔法はそう難しいものではない」
レイモンドだ、とマイアはハッとした。何か考えがあって彼はこのキャロルという女性を寄越したのだろうか、とマイアは思った。そんなマイアの横でアシュレイはこめかみを押さえて空を見る。
「二週間後の天気は雨だ。強い雨が振る」
「……やはり、そうですか」
そうキャロルは呟くと、みるみるうちにその瞳に涙がたまる。
「これ、使ってください」
マイアがかがんでハンカチを差し出すと、キャロルはそれを受け取って涙を拭った。
「その日……なにかあるのですか?」
「私の結婚式があるのです。夫となる人が首都に役職を得ることになって急に決まった結婚で……」
「そうですか……」
二週間後だったら日付の変更も難しそうだ。マイアはアシュレイをちらりと見上げた。アシュレイはマイアの考えを読み取って首を振った。
「駄目だぞマイア。もちろんこの天才魔術師の俺は天候を変えることは出来る。だがそれは副作用として例えばどこかで日照りを起こすような危険なことだ。一個人の事情でやっていい事ではない」
「しかたありませんね……」
キャロルは肩を落として立ち上がった。マイアはその落胆した様子に申し訳無い気持ちになって頭を下げた。
「ごめんなさい。お役に立てなくて……」
「いえ、ようやく諦めがつきました」
「……あの、どうしてそこまで晴れていないといけないんですか?」
もちろん祝い事の日に晴れていた方かいいのは分かるけれど、それにしてはキャロルの態度は妙だった。そもそもこんな街を離れた所まで来るなんて必死すぎる。
「忙しい両親に代わって私を育ててくれた祖母がもう起き上がれないのです。それで祖母の部屋から見える自宅の庭で結婚式をしようとしていたのです。祖母が……皆に祝われる私の姿を見たいと、それが最後の望みだと……」
「まあ……」
「でも天気までは仕方がないですよね。結婚式の前に花嫁衣装を見せれば……きっと祖母も……」
マイアは胸がきゅっとした。自分にはもう花嫁姿を見せる肉親はいない。最後の望みなど聞く間もなく別れが来てしまった。思わずマイアはキャロルにこう言っていた。
「それ、私がなんとかします」
「……はい?」
キャロルは助手だとばかり思っていたマイアが急にそんな事を言ったので、思わずきょとんとした顔で見つめ返してしまった。
「あなたが……?」
「ええ。私は……」
マイアはちょっと考えて、唇を切り結んだ。そしてハッキリした口調で言い切った。
「『魔道具師』です。あなたの悩みごとを私の魔道具で解決させてください」
「本当ですか……」
「はい!」
キャロルはそれを聞くとようやく笑顔を見せた。そして何度も頭を下げて帰って行った。
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