第122話 メンテナンスのお知らせ

「ずるい! ずるすぎる!」

 俺の声がマチルダ・シティの大広場に響き渡ったのは、朝も早い時間のことだった。

 いつものようにログインボーナスを取得するためにマチルダ・シティに戻り、自分の部屋で寝て庭の薬草やら野菜やらを収穫した後、俺は何となくマチルダ・シティの中を歩き回っていた。

 最近は俺だけサクラたちとは別行動で、昼間であろうともマチルダ・シティに引きこもることが増えた。

 それというのも、ここのところ外の世界が平和だったし、しばらくマチルダ・シティで薬の調合を頑張ろうとしていたからである。もちろん、その目的はエルゼの妹さんに効きそうな薬がいつかできるんじゃないかと考えていたからだが。


 そんな、平和な朝の時間、とんでもないものを見た。

 大広場で椅子に座って談笑していた二人組の姿である。一人はシロさん、もう一人は――。


「何で!? 性別が変えられるって知ってたら俺だって!」

 そう叫びながら、シロさんたちに詰め寄る。シロさんの向かい側の椅子に座って、穏やかに微笑むエルフの女性は――どこからどうみても、凛さんが女性化した姿だった。


 確かに、『あの事件』の後、凛さんの姿が消えたのは知っている。マチルダと一緒に日本に戻ったのだろうかと俺は考えたし、シロさんに色々聞きたかったけれど彼がもの凄く落ち込んでいるように見えたから、何も聞けなかった。

 それが、久しぶりに見たシロさんは随分と楽しそうに笑っていて、目の前に美女がいるわけだし俺が慌てるのも仕方ないと言えるだろう。


「いや、成功するかどうか解らなかったし、運がよかっただけなんだよね」

 凛さんはにこにこと笑いながら、そしてどこからどう見ても女性らしい仕草で首を傾げる。男性エルフアバターだった凛さんも凄い美形であったけれど、女性エルフアバターになった彼、いや彼女は、線の細い絶世の美女に変わっている。

 ただ、その口調は男性アバターだった時のように、少しだけ素っ気なさも含まれていた。

「運がよかっただけ?」

「そう。最初のうちはマチルダも、連れて帰れるかどうかは怪しいって言ってた。でも、あの時は彼女がこの世界で穢れ? とかいうものを食べて、凄く魔力が復活した直後だったから上手くいったみたいだね。でも、私一人を連れて行くだけでぎりぎりだったんだとか。だから、もしもあの場でアキラ君が日本に帰りたいって言っていたら、もしかしたら二人とも帰れなかったかもしれないし」

「いや、帰れたね!」

 俺はテーブルにバン、と手をついて叫ぶ。「俺の幸運値なめんな! 絶対、帰れた!」

「……うん、まあ、そういうことにしておいてもいいけど。その場合、幸運値が低いかもしれない私は帰れなかったかも……」

 と、凛さんが怖気づいたように身を引いて、そこで『しまった』と思った。

 元々、帰るのを希望したのは凛さんが先だ。

 万が一、凛さんが帰れなくて俺だけ帰っていたら――。

「……すみません」

 そこで一気に興奮が冷めた俺は、小さくため息をついた。

 すると、凛さんも困ったように笑いながら続けた。

「いいよ、大丈夫。ただ、私をこちら側に送り返すために彼女が色々無茶してくれたみたいでね。彼女は随分と魔力を消費して、当分の間こちら側には来られないだろうって言ってた。だからその……うん、当分は無理かな」

「え?」

「アキラ君や、他の人が帰りたくなっても、っていう意味で」


 ……おおう。

 がくりと肩を落とす俺に、凛さんは不思議そうに続けるのだ。


「それに、アキラ君は……あの王子様といい感じになってるんじゃないの? その、恋人的な意味で」


 ――おおう!

 それは言わないで欲しかった!


 最近、失敗したと感じたことがある。

 敬語を使わずに話そうと言ったのは俺だったけれど、それがきっかけになったのか、あの大天使がとんでもなくぐいぐい来るようになった。前から凄く距離が近いと思っていたけれど、それ以上にヤバい。マジヤバい。近いうちに食われそう。貞操的な意味で。

 っていうか。

 俺は友人みたいに付き合いたかった。

 そう、そうなのだ。

 三峯やジャックと会話するようになってから、警戒心が薄れていたのかもしれない。彼らと話すように、気軽に接することができたら――と思った俺は悪くない。悪くないはずなのだ。


 さらに、セシリアも隙あらば俺を着飾らせようとする。

 可愛らしい服装は確かに俺に似合うよ?

 吸血鬼美少女アバターなんだし、どんな服装でも着こなすよ?

 でもそこに、もれなく大天使のセクハラが追加されるようになった。手の甲にキスなんてものは可愛らしいもので、抱きしめる、頬にキス、さらに……。


 しかし、それに、だ!

 ジャックの呪い――ステータス低下とか魔力封じとかの必殺技が解除されて以降、ただでさえ王子様っぽいキラキラオーラが強くなっていて。

 サクラの放つ魅了と同じくらい、こちらの抵抗力を低下させてくれるわけだ。


 つまり、流されちゃってるわけだよ!

 不本意なことに!

 抱きしめられても抵抗できないのだ!

 不本意すぎることに!


「お兄ちゃんってバカ」

 サクラにそう言われたが、まさにおっしゃる通りです。カオルには「俺も頑張ってるんだから、アキラも頑張れにゃ」と言われた。いや、頑張りたくない。っていうか、何を頑張っているんだ、カオルは。


「まあ、人間、諦めは肝心だよね」

 凛さんがくくく、と笑いながら言って、俺はそっと彼――彼女を睨みつけることになった。シロさんは終始無言であったけれど、その目は楽しそうだったのがムカつく。くそう。


 そんなことがあった数日後。

 急に、俺たちアバター組の目の前にメッセージウィンドウが開いた。


『運営よりお知らせ』


 いつものお知らせより妙に目立つ、チカチカ光った赤文字。それをタップすると、表示された文章に困惑することになった。


『平素よりマチルダ・シティ・オンラインをご利用いただき、ありがとうございます。このたび、闘技場でご使用いただいているアバターの能力値調整をさせていただくことになりました。つきましては、以下の日時でメンテナンスを行います。メンテナンスの間は、闘技場アバターを強化することができません。メンテナンス後、各ユーザー様に補填のアイテムを送らせていただきます』


 ――メンテナンス?

 俺がそのメッセージを読んだのは、三峯の喫茶店にいた時だ。何故かその場にはジャックも遊びに来ていて、甲冑の面をつけているというのに器用にコーヒーを飲むという技を見せてくれていた時でもあった。

 当然のことながら、サクラもカオルも大天使ご一行様も一緒にいる。ここのところ、我々はやることがなくてのんびりしている感じだ。


 それというのも、まだフォルシウスの街が完全に元通りというわけにはいかず、ポチのギルドの依頼も受けることができない状態だったから。

 神殿の建物は完全に崩れてしまっていたため、修繕ではなくて建て直しになる。その作業員が足らず、ギルドの人員もそちらに送られているんだとか。だから、しばらくはギルドの活動自体が止まっているに等しい。

 王都からやってきた人間が指揮を執って工事を進めているようで、当分は騒がしくなる。しかし、セシリアやミカエルはそこに関わらない。というのも、指揮している人間が、第一王子殿下の側近ということで、下手に関わっても問題になりそうだとのこと。

 ポチは当分は休暇だー、と言って嬉しそうにしていたが、借金返済が遅れるだけだと気づいていないだけである。さすがポチ。


 しかし、壊れた三峯の喫茶店の内装の修理の手伝いをさせられていたリュカである。さすがポチ。

 ちなみに、ジャックもその修理を手伝っていたが、アイテムボックスから神殿からくすねてきたという彫刻を取り出して、喫茶店の中に飾っていた。美しい女性の像で、一目見ただけで見事なものだと解るが、それは完全に犯罪だ。

 何で俺の周りはこんなにも問題児ばかりなのだろうか。


「メンテナンス中は、俺たちも動けなくなるんかね」

 メッセージを読んだジャックがつまらなさそうに言ったが、それより能力値の調整とやらが俺たちにも関係してくるんだろうかと気になった。このお知らせは、『向こう側』でだけ有効なんじゃないのか、と疑問だった。


 でも、どうやらこれは俺たちにとって重要だったらしい。


 メンテナンスと指定された日時、時間帯はそれほど長くはない。

 俺たちは普通に生活して、何も変化がなく終わった。それはやはりお知らせとしてメッセージが届いて知ることになる。


『メンテナンス終了のお知らせ』


 そんなメッセージが目の前に浮かんだと同時に、俺たち全員が、今までよりも妙に魔力が強くなったというか、肉体的に強化された印象を受けた。なるほど、俺たちにも影響のあるメンテナンスだったらしい。

 これはステータスアップの調整かな、と思っていたら、マチルダから変なお知らせも届いた。


『あなたたち、身体の変調はないかしら?』

 そんな、お気楽そうな書き出しから始まったメッセージだった。

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