第117話 切り離せ
「シロさん! アルト!」
俺は山積みになった薬瓶を目の前にして、どうしようかと考えた末に遠くにいた二人を呼んだ。「悪いけど、これを配って欲しいんだよね」
そう言って辺りを見回せば、肉塊が巻き散らかした黒い靄に呑まれた王宮騎士たち、獣人の一部の者に咳き込んでいる姿が目に入る。どうもあの黒い靄は、何らかの毒素を持っているのかもしれない。
「こっちが解毒薬。体調悪そうな人に配ってみて。で、こっちが痺れ薬。あの肉塊に利くかどうか試して欲しいから……ええと、アルトが解毒薬、痺れ薬はシロさんに頼もうかな」
「解りました」
それまで、自分が戦力外だと感じていたらしいアルトは悔しそうな表情だったが、それを聞いて表情が引き締まる。持てるだけの薬瓶を抱えてすぐに動く。
「痺れ薬……」
シロさんは僅かに眉根を寄せると、そっとドラゴンが飛び交う空を見上げた。「ドラゴンに頼んで敵にぶつけてもらった方が楽そうだが……」
「何でもやってみよう?」
俺はニヤリと笑いつつ注意点を告げる。「残念だけど、その痺れ薬は効果が六十秒しかない。一度にぶつけるより、小刻みにぶつけた方が肉塊の足止めになると思う。だから複数人に配って、間を空けて攻撃してもらえるといいな」
「解った。だったら他の獣人たちより小回りが利くだろうし、俺がメインで投げつけてみよう。それで、アキラ君はどうする?」
「俺は蘇生薬係かな」
そう言って肉塊の方へ目をやると、アバターチームも魔王軍も王宮騎士団連中も激しく戦ってくれていて、何だか俺の出番がなさそうなのである。
でも、悔しいからタイミングさえあれば攻撃するけど。
「無理はしないようにな」
シロさんは俺の表情を見て何か察したのだろう、苦笑交じりに言う。
そして俺はそれに親指を立てて見せてから、戦闘に復帰したのだった。
「あなたの薬、凄いじゃない」
いつの間にか、俺の横にマチルダが立っていて小さな笑い声を上げていた。
彼女の横顔を見て気になったのは、その髪の毛。以前見た時よりもずっと、毛先の白い部分が増えている。それと同時に、顔色も白い気がした。
俺の視線に気づいたのか、彼女が笑みを消して困ったように首を振った。
「……ごめんなさいね。多分、そろそろわたしもこちら側にいるには魔力が限界。だから今は、戦闘に関わるのは無理なのよ」
――まあ、仕方ないんだろう。
マチルダはもう、この世界の魔王ではないんだから。
「薬の効き目は確かに凄いですね」
俺はまた肉塊へと視線を戻した。
シロさんの動きはさすが獣人といった感じで、他の連中が攻撃を仕掛ける横をすり抜け、痺れ薬を肉塊へ投げつける作業に徹していた。ありがたいことに、肉塊の動きはそれによって六十秒ごと止まるようになっていて、皆の攻撃が簡単に当たっている。
「あのさ、マチルダ」
「なあに?」
「あの肉塊に取り込まれてしまった彼女は助けられない?」
俺が辺りを見回すと、神殿の敷地外に出ていたエルゼが暗い瞳で肉塊を見上げているのが解った。複雑な想いが渦巻いているのも見える、その双眸。
もしもエルゼの妹さんが助けられるなら、何とかしたい。
「例えば、あの肉塊から彼女だけを切り離して、蘇生薬を使ったりしたら?」
俺がそう言うと、マチルダは眉間に皺を寄せて低く唸る。
「んー、どうかしらね。あなたの蘇生薬がどこまで効くか、だろうけど……」
彼女は非常に言いにくそうに続けた。「肉体は復活できても、心まではどうかしら」
「どういう意味ですか?」
「彼女は穢れに呑み込まれてしまっているの。人間が、この世界の一番醜悪なものを見せられて正気を保っているはずがないわ。壊れた精神まで、あなたの薬は効くかしら、ってこと」
――壊れた精神まで。
蘇生薬は万能だろうか。
いや、死にかけたミカエルを救った時、ジャックが仕掛けた必殺技の解除はできなかった。あれは……どういうことだろう。俺たちアバター組から放たれた必殺技だから効かなかったのか、それとも。
ああ、でも、悩んでいる暇はない。
俺たちの目の前で、確実に肉塊はその身を切り刻まれ、少しずつ弱体化していくのが見えた。邪悪な魔力の黒い靄も、少しだけ薄くなった気がする。
俺はそこで急いでエルゼの方へ駆け寄った。
悩んでいる時間があるなら、訊いてしまった方が早い。何もしないまま肉塊を倒して後で悔やむくらいなら。
そして俺は困惑するエルゼの前に立った。
その時、この神殿での戦闘を遠巻きにして見ている人たちが少なからずいることも視界に入った。何で逃げていないんだよ、と顔を顰めながら俺はエルゼに訊いたのだ。
このまま、肉塊を倒していいだろうか、と。
もちろん、蘇生薬の可能性の話はした。心は救えないかもしれない、ということも。
でもエルゼは何の躊躇いもなく、俺に頭を下げた。
「生きてさえいればいい。たとえシャンタルが……もし『そう』だとしても、俺が面倒を見る。あいつは俺のたった一人の家族だから、どんな結果であれ恨まない。だから、助けて欲しい。謝礼ならいくらでも」
「謝礼なんかいらないし、それに、成功するかも解らない。でも、やってみるから」
俺はそう彼の肩を叩くと、急いで身を翻して肉塊と戦う戦列へと参加したのだった。
「おい、三峯!」
俺は堕天モードとやらが終了して、元の真っ白な天使の姿に戻った三峯に向かってこっちにこいという合図を送る。ドラゴンが飛び交う空に浮かんだままだった彼は、素早く俺のところに舞い降りた。
それと、大鎌を振り回して暴れているジャックも呼びつける。
「何だ? もうちょっとで倒せそうだぞ?」
ジャックが不満げに舌打ちしながら俺のところにやってくると、簡単に俺の考えていることを説明する。
肉塊からあの女性だけを切り離したいということ。それを手伝ってもらいたいということ。
「元々は人間なんだ、蘇生薬が効く可能性は高い。それに、彼女があの邪神の核というものなら、切り離してしまえば肉の部分だって動けなくなるだろ?」
俺がそう言うとジャックはなるほど、と頷いて見せたが、三峯は懐疑的だった。
「切り離しても邪神は邪神だろ? 蘇生薬で逆に元気に蘇ったりしたらどうすんだよ」
「そこはそれ、聖女様に浄化してもらえば……」
「楽観的すぎる」
三峯は軽く頭を掻いて、小さくため息をこぼした。「もし失敗したら、あの兄ちゃんを失望させるだけだろ」
「うん、でも」
俺は三峯をまっすぐ見つめて笑う。「それは彼も覚悟の上だろうから」
「とにかく、時間がなさそうだぜ? やるだけやってみよう」
ジャックがばしばしと三峯の肩を叩きながら言うと、やっと三峯も頷いてくれた。
そう、俺たちには時間がない。
肉塊は攻撃を受け、白い女性は悲鳴を上げ続けている。それは少しだけ、俺たちの罪悪感を煽ってくれた。
「もうちょっとで堕天モード復活するんだけどな」
三峯はそうぶつぶつ言いながら、戦闘状況を確認した。
勝ち戦であることが見えてきた気がするが、それでも痺れ薬の効果が切れた肉塊から縦横無尽に突き出される触手が俺たちの弱い部分を攻撃してくる。
つまり、魔族でもアバターでもなく、人間たちを。
俺は少しだけ辺りを見回して、王宮騎士団の人間に怪我人がいることに気づくと、素早く蘇生薬をかけて戦闘に復活させてやる。すると、それに気づいた国王陛下が軽く俺に手を上げてくる。
「お待たせー!」
そこに、セシリアの声が響く。
人間側の援軍が追加されたわけだ。王宮騎士団の連中は魔術を使える者たちばかりだから即戦力となる。自然と、この場の空気も安堵に満ちたものへと変化した。
俺は新しい攻撃が始まる前に急いでミカエルに近づき、俺たちの考えを説明する。すると、彼は何の躊躇もなく頷き、国王陛下の方へ走り出す。そして、俺たちの援護をすべく統率を取ってくれるよう頼んでくれたみたいだった。
何だかんだで、ミカエルって俺の頼みを無条件で聞いてくれる。
ちょっと盲目的なところがあって複雑だけれども、今はそれが助かっている。
「よし、堕天使モード復活! いくぜ?」
三峯がそう叫ぶのが聞こえて、俺は蘇生薬係から戦闘係へと完全復活した。サクラやカオルも、俺たちと並んで戦ってくれる。
俺は確かに三峯やジャックよりはアバターの能力は劣る。でも、幸運値がそれを補ってくれるはずだ。
「切り離せ!」
俺がそう叫びながら地面を蹴ると、アバター組がそれぞれ声を上げたのが聞こえた。
「邪神の欠片は食いつくせー!」
幼女魔王が配下に向かって叫ぶのも聞こえる。ドラゴンや獣人たちの咆哮も、人間側の「援護に回れ!」という叫びも、何もかもが心強い。
聖女様たちだって地面から湧き上がる黒い穢れを浄化してくれている。
「よっしゃあ、これで最後!」
大鎌を振り回して宙をくるくると回る死神ジャックと、黒い堕天使の姿を見ながら、俺も敵を切り裂く無数の刃を作り出して、肉塊へと必殺技を放ったのだ。
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